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『東の魔王、西の勇者 ~普通のおっさんと少年ゲリラが世界を二分するまで~  作者: サラ男


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空港

空港に着いた。


 アリアは車から降りると、しばらく動かなかった。目の前には、いつもと変わらない空港がある。旅行客が歩き、家族連れが行き交い、仕事へ向かう人間もいる。誰も、自分がこれから何をしに行くのか知らない。


「こちらです」


 政府の職員に促され、アリアは歩き出した。だが、数歩進んだところで足が止まった。


「……私、本当に行くんですね」


 職員は答えなかった。アリア自身が、一番よく分かっていた。これから向かうのは、ついこの前まで戦争をしていた国だ。自分は、その国へ国の代表として入ろうとしている。


 空港の窓から、駐機している飛行機が見えた。あれに乗れば、簡単には戻れない。


 その瞬間、アリアの胸に様々な可能性が浮かんだ。殺されるかもしれない。約束が守られず、奴隷のように扱われるかもしれない。政治的な道具として利用されるかもしれない。二度と故郷へ帰れなくなるかもしれない。


 何が起きてもおかしくない。それまで頭では理解していたつもりだった。だが、空港で出発を待っている今になって、その一つ一つが現実のものとして迫ってくる。あらゆる可能性が、アリアの胸に重くのしかかっていた。


 アリアはスマートフォンを取り出した。父親からメッセージが届いている。


『着いたか』


 アリアは『着きました』と入力して送った。すぐに返信が来た。


『まだ間に合う』


 その言葉を見た瞬間、胸が苦しくなった。


 帰れる。今なら、まだ引き返せる。政府に連絡して、今回は行けないと言うこともできる。大きな問題にはなるだろう。それでも、自分一人が行かなくても国は続いていく。


 アリアは空港のベンチに座った。目の前を、人々が通り過ぎていく。笑っている人もいる。眠そうに歩く人もいる。子供が父親の手を引いている。


 そんな普通の光景を見ながら、アリアは考えた。自分が行くことで、本当に何かが変わるのか。


 連邦側が約束を守る保証はある。だが、条約が破られたら? 戦争が再び始まったら? 自分は帰れなくなる。もし、自分が人質としての役割を果たせなかったら。もし、外交交渉が失敗したら。もし、自分の存在そのものが両国の対立を深めることになったら。


 考えれば考えるほど、不安は増えていった。


 アリアは目を閉じた。戦争で亡くなった人間たちを思い出す。自分の国の兵士。隣国の兵士。連邦側の兵士。多くの人間が死んだ。その中には、まだ若い人間もいた。家族を残して死んだ人間もいた。帰りを待っていた家族もいる。


 そして、戦争が終わった今も、その人たちは失ったものを取り戻せない。


「……これ以上は」


 アリアは小さく呟いた。


「増やしたくない」


 政治家として、国のために、和平のために。そういう言葉なら、これまで何度も聞いてきた。だが、今の気持ちはもっと単純だった。


 これ以上、人が死ぬのを見たくない。


 スマートフォンを見る。父親から、またメッセージが届いていた。


『怖いなら、戻ってこい』


 アリアは、その文章を何度も読んだ。父親が自分に行ってほしくないことは分かっていた。


 だからこそ、最後に決めるのは自分だった。


 アリアは立ち上がった。搭乗口へ向かう。しかし、その途中で一度だけ足を止めた。


「……怖い」


 小さな声だった。


 連邦で何が待っているのか分からない。殺されるかもしれない。自由を奪われるかもしれない。故郷へ戻れなくなるかもしれない。


 それでも、自分が選ばれた理由は分かっている。自分は国の代表として行く。自分の後ろには、多くの国民がいる。そして、もし自分が逃げれば、次に誰かが行かなければならない。


 アリアは、ゆっくり息を吐いた。


「……行こう」


 搭乗口の前に立つ。


「アリア・ヴァレスさんですね」


「はい」


 搭乗券を渡し、受け取る。


 その瞬間、アリアは一度だけ後ろを振り返った。そこには、いつもの空港があった。何度も利用した場所。帰ってこられると思っていた場所。今は、少し違って見えた。


 飛行機に乗れば、自分の立場も生活も、これまでとは変わるかもしれない。それでも、アリアは歩いた。


「……行きます」


 小さく呟き、搭乗口を通った。


 飛行機の扉が閉まる。席に座り、窓の外を見る。滑走路の向こうに、見慣れた街が広がっていた。


 その景色を見ながら、アリアは自分と同じ立場に置かれた人間たちのことを考えた。自分と同じように、家族と離れ、故郷を離れ、国のために送り出される人たち。不安を抱えながら、それでも黙って飛行機に乗る人たち。


 自分だけが怖いわけではない。自分だけが犠牲になるわけでもない。この和平のために、それぞれの国で誰かが同じ決断をしている。


 アリアは、ゆっくり目を閉じた。


「……みんな、無事で」


 それが誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。


 ただ、自分と同じ境遇にいる人たちが、無事に帰れることを願った。


 飛行機が動き始める。アリアは窓の外を見つめた。やがて、故郷の街が遠ざかっていく。


 怖さは消えていない。それでも、アリアは前を向いた。


 自分と同じように、この和平を支えるために送り出された人たちの想いを胸に。


 アリアを乗せた飛行機は、連邦へ向かって飛び立った。

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