追証
黒崎は、株を続けていた。
東方エネルギーは、6,000円になっていた。
30万円で買った株が、1,500万円になった。
それが、黒崎の中に残っていた。
株というものが、少し分かったような気がしていた。
ある日。
マーケットビューを眺めていると、信用取引という言葉が目に入った。
現物取引とは違う。
証券会社から金を借りて、自分の持っている金より大きな金額を動かせる。
黒崎は説明を読んだ。
読んだ。
けれど。
よく分からなかった。
追証。
保証金。
維持率。
知らない言葉が並んでいた。
それでも。
自分の金より大きな金額を動かせる。
そこだけは分かった。
「これなら、もっと増やせるのか」
黒崎は信用取引を始めた。
最初は、小さな金額だった。
株価が少し上がる。
利益が出る。
証券サイトに表示された数字が増える。
黒崎は、その数字を何度も見た。
「……増えてる」
また上がった。
また数字が増えた。
黒崎は笑った。
現物で見ていたときとは違った。
動く金額が大きい。
数万円。
数十万円。
数字が増えていく。
画面を更新する。
増えている。
また更新する。
また増えている。
黒崎は、いつの間にか株価そのものより、自分の利益の数字を見ることが面白くなっていた。
仕事の休憩時間にも証券サイトを開く。
上がっている。
利益が増えている。
少し下がれば、不安になる。
上がれば、嬉しくなる。
そしてまた上がる。
「面白いな……」
黒崎は小さく呟いた。
最初は仕組みもよく分かっていなかった。
それでも。
数字は増えていた。
自分の判断で。
金が増えているように見えた。
もう少し。
取引する金額を増やした。
また利益が出た。
黒崎は、自分にもできると思い始めた。
そして。
ある日。
相場が大きく動いた。
海外のニュースが原因だった。
どこかの国で、クーデターが起きたらしい。
最初は、それだけだった。
黒崎も詳しくは知らなかった。
ニュースを流し読みする。
政権が崩壊した。
軍が主要都市を掌握した。
国境付近で緊張が高まっている。
そして。
数日後。
クーデターは、戦争に発展したらしい。
黒崎には遠い国の話だった。
けれど。
マーケットビューの数字は、遠くなかった。
黒崎の予想とは、逆に動いた。
「……戻るだろ」
そう思った。
しかし、戻らなかった。
下がる。
さらに下がる。
黒崎は仕事中にも、何度もスマートフォンを確認した。
数字が減っていく。
また減る。
さっきまで増えていた数字が、今度は減っていく。
そのとき、ニュース速報が入った。
どこかのチョークポイントが封鎖されたらしい。
黒崎には、その意味がよく分からなかった。
ニュースには、原油価格、海運、供給網という言葉が並んでいた。
それでも。
証券サイトの数字は、さらに下がった。
黒崎の指が止まらない。
「……なんでだよ」
小さく呟いた。
隣の席の同僚が顔を上げる。
「黒崎、大丈夫?」
「え?」
「さっきからずっとスマホ見てるけど」
「……いや、大丈夫」
「顔色悪いぞ」
「寝不足なだけ」
同僚は黒崎の顔をしばらく見た。
「無理すんなよ」
「ああ」
同僚が仕事に戻る。
黒崎もパソコンに向き直った。
しかし。
数分後。
またスマートフォンを見る。
下がっている。
さらに下がる。
含み損が膨らむ。
黒崎は、まだ待った。
戻ると思っていた。
戻らない。
そして。
証券会社から通知が届いた。
追証。
黒崎は、その言葉を見つめた。
最初は意味がよく分からなかった。
調べる。
追加で金を入れなければならない。
金額を見る。
払えない。
「……え?」
預金を確認する。
足りない。
黒崎は慌てて持っている株を売った。
東方エネルギーも。
6,000円近くまで上がった、あの株も。
売った。
それでも。
足りなかった。
黒崎は画面の前で固まった。
1,500万円。
ついこの前まで、そこにあった。
それが。
なくなった。
それでも借金が残っている。
黒崎は父親に電話した。
「……父さん」
声が震えていた。
全部話した。
信用取引をしたこと。
仕組みをよく分かっていなかったこと。
最初は数字が増えるのが面白くて、取引を大きくしていったこと。
失敗したこと。
東方エネルギーまで売ったこと。
それでも追証を払えないこと。
電話の向こうで、父親はしばらく黙っていた。
「いくらだ」
黒崎は金額を答えた。
また沈黙。
やがて父親が言った。
「祖母さんの土地がある」
黒崎は黙った。
「売るしかない」
「……土地を?」
「ああ」
黒崎は何も言えなかった。
あの土地。
祖母が一人で暮らしていた場所。
祖母が亡くなったあと、どうするのかと話していた土地。
それを。
自分の失敗のために売る。
数日後。
土地は売却された。
金が用意された。
追証は支払われた。
黒崎は助かった。
それだけだった。
その夜。
黒崎は一人で家を出た。
駅へ向かった。
ホームに立つ。
電車が来る。
風が吹く。
黒崎は線路を見た。
足が動きそうになる。
けれど。
「……できない」
一歩も踏み出せなかった。
怖かった。
ただ、怖かった。
黒崎は後ろへ下がった。
そのままベンチに座った。
しばらく動けなかった。
やがて電車が行ってしまう。
黒崎は顔を上げた。
生きていた。
それだけだった。
黒崎は帰宅した。
東方エネルギーは、もう持っていない。
祖母の土地も、もうない。
そして。
自分の失敗を、親に尻拭いしてもらった。
黒崎は、その夜、ほとんど眠れなかった。
やがて、窓の外が明るくなった。
朝焼けの空は、とても澄んでいて綺麗だった。
黒崎は、しばらくその空を見ていた。




