決意
ヴィクターは、窓の外を見ていた。
まだ戦闘は始まっていない。連邦へ向かっている軍隊は、国境の向こうにいる。遠くには車両の動く音があり、空には偵察機の気配がある。だが、まだ銃声はない。
それなのに。
胸の奥が、ざわついていた。
この空気を知っている。
戦争が始まる前の空気だ。
少年だった頃。市場から人が減った。道路を走る車が少なくなった。軍服を着た人間が増え、大人たちは子供の前で話をしなくなった。
「今日は早く帰れ」
「外へ出るな」
そんな言葉だけが増えていった。
何が起きているのか、当時のヴィクターには分からなかった。ただ、大人たちの顔を見れば、何かが近づいていることだけは分かった。
そして、戦争が始まった。
銃声。爆発。逃げる人々。燃える建物。
ヴィクターは銃を持った。少年ゲリラになった。生きるためだった。戦うしかなかった。
血の匂い。硝煙の匂い。焼けた建物の臭い。そして、死体から流れ出る腐臭。
風向きが変わるたび、その臭いが鼻の奥まで入り込んできた。仲間が倒れても止まれなかった。死体の横を通り過ぎ、次の銃声へ向かった。
それが、少年だったヴィクターの日常だった。
そして、世界には国際連合があった。
戦争を止めるための組織がある。そう聞いていた。
だが、現実には声明が出され、会議が開かれ、非難と懸念が繰り返されるだけだった。
銃声は止まらなかった。
国際連合は、いつも通り大国の言いなりで、結局、何の役割も果たさなかった。
遠い場所で大人たちが話している間にも、自分たちの街では人が死んでいた。
ヴィクターは目を閉じた。
胸の奥が熱くなる。
怒りだった。
あの頃には言葉にできなかった感情が、今になってはっきりしていた。
なぜ、何も知らない子供が銃を持たなければならなかったのか。
なぜ、誰も止められなかったのか。
「……そんなことがあってたまるか」
低い声だった。
エリアスが、黙ってヴィクターを見る。
ヴィクターは自分の手を見る。
昔、この手には銃があった。
今は違う。
この手には、国の地図がある。
軍がある。
道路がある。
病院がある。
学校がある。
そして、自分たちで作った国がある。
「昔の俺には、何もなかった」
ヴィクターが言う。
「国もなかった。守ってくれる軍もなかった。逃げる場所もなかった」
だから戦った。
だが。
「今は違う」
ヴィクターは、地図に手を置いた。
「俺たちは、戦うしかない子供じゃない」
「守るための国を作った」
そこで、ヴィクターは気づいた。
自分が怒っているのは、戦争そのものだけではない。
あの頃の自分のような子供が、また生まれることが許せないのだ。
戦争の理由も知らないまま銃を持つ子供。
家族を失い、逃げるしかない人間。
死体の横を歩くことに慣れてしまう子供。
もう、見たくなかった。
「二度と、あんな子供を作らない」
ヴィクターは静かに言った。
「誰かが止めてくれるのを待つんじゃない」
「自分たちで守る」
それは、憎しみから出た言葉ではなかった。
支配するためでもない。
戦争を始めるためでもない。
ただ。
守るためだった。
ヴィクターは窓の外を見る。
国境の向こう。
まだ何も起きていない。
それでも、世界は動き始めている。
「来るなら、来ればいい」
ヴィクターは静かに言った。
「俺たちは、もう昔の俺たちじゃない」
その声に、迷いはなかった。
戦闘は、まだ始まっていない。
だが。
ヴィクターの中では。
少年だった自分が、ようやく銃を置いた。
その代わりに。
今のヴィクターが、国を守るために立っていた。




