耽美とBL・4
「そうは言っても相手役を務めるベテラン俳優さんも多少なりとも女性的な可愛らしい男性の方が気持ちが入りやすいと思うんですよ。観にくるお客様の裾野を広げるためにも、まずはとっつきやすい可愛らしい男性の方が良いのではないかと……」
メモを取ってもなおそんなことを言い募るプロデューサーに、駒芽根そわれは怒鳴るのを我慢するべくギリギリと歯を食いしばった。
「そうですね。まあ、男性目線ではそうなるかもしれませんね」
「ええ。映画化という以上やはり観客動員数は大きな目安となりますので、それには既存のBLファン以上の客層を見据えないといけないわけでして。そうなってくるとやはり映画ファンの多数を占める男性の存在を無視することはできません。主演もできるだけ知名度のある俳優をキャスティングしたいと思っておりますので、そうなってくるとBLを知らない、むしろBLに嫌悪感もあるかもしれない女性たちも見に来ることを考えてなるべく柔らかめの、受け入れやすいキャスティング及び物語の内容で話を進めた方がいいのではないかと……」
「で、どっちなんです?BL映画撮りたいんです?BLっぽい男女の恋愛映画撮りたいんです?」
「一応BLというていで……」
「てい」
駒茅根そわれとアシスタントプロデューサーの声がハモった。
「私はまだ聞いておりませんが、もしかしてもう主演俳優は決まっているのですか?」
アシスタントプロデューサーが眉をひそめてプロデューサーを睨む。駒茅根そわれはピンとくるものがあった。
「まさかと思いますけど、例の俳優……」
「いえ!それはありません!それはもう、その企画は無くなったと自分は聞いています」
慌てて否定するプロデューサーに駒茅根そわれの目が座る。
「例の俳優って?」
駒茅根そわれの顔を覗くアシスタントプロデューサーにそわれは件の俳優の名をこっそり耳打ちする。
「えええ~……」
アシスタントプロデューサーは身体ごと大きく引くと「うわ~、なんで~、こわ~……」と身震いした。
「既存のBL映画やドラマを観ていただければわかると思いますけれど、可愛い男の子や綺麗な男の子を起用したところで男性は男性でしかないのでBLに抵抗のある方は最初から受け入れられないと思います。ボーイッシュな女性を起用というのでしたら、それはもうBLではなく男女の恋愛物ですし、トランスジェンダー男性やトランスジェンダー女性をテーマにするのでしたら、それはBLではなくクイア映画となります。そうなってくると私では難しいジャンルとなってくるので別の脚本家を起用されることをお勧めします」
「いや、あの、脚本は是非駒茅根そわれさんにという先方の希望で……」
「先方?」
「いや、あの、スポンサーが、ね?」
やけに焦るプロデューサーに駒茅根そわれは確信めいたものを感じ取る。
「男性が期待している女性偶像を男性同士に当てはめ、その歪を認識する。それが私の描くBLです。それでもよろしいですか?」
「……お手柔らかにお願いします……」
駒茅根そわれは大きく鼻息を吹いて了承した。
創作物の楽しみ方は人それぞれだ。主人公に感情移入しようがするまいが、こんな恋をしてみたいと思おうが思うまいが、励まされて将来の指針になろうがなるまいが、世に出した作品は受け取り手の感性に後は任される。誰がどう受け取ったとか、これはこう受け止めるべきとか、他人がどうこう決めつけるものではないだろう。
かつてオネエ言葉はゲイ男性の方言と表現した人がいた。彼らは決して女性になりたいわけでも、女性として愛されたいわけでもない。だが言葉を発するときに、何かを表現するときに、誰かとコミュニケーションを取るときに、標準語でも敬語でもなく、オネエ言葉という独特な方言を使うことによって気を使わねばならない普段の会話より幾分素直になれるのだろう。
わかる、と駒茅根そわれもテレビを観ながら深く頷いた。先生や上司に使う敬語。怒らせないように気を使ってしゃべる親。足元を掬われないように細心の注意を払う同僚や近所。バカにされないようにふるまってしまう友人関係。
でもネットの中では。SNSの中では。顔も名前も知られない空間では男でも女でもなく、歳も関係なく。乱暴な言葉遣いでも、女なのにとも言われず、いい歳してなどと窘められることもなく。したい表現で自由な発言が出来た。
男性が使う言葉の方が駒茅根そわれの性には合っていた。「俺」とか「僕」とか「ワシ」とか。一人称を男性に変えることだけで好きな漫画やキャラクターのことを語るのに饒舌になれた。
とはいえ男性も女性も論文や公式な文書など、丁寧な言葉で書かれたものに性別は感じない。きちんとした言葉で表現すれば性別も年齢も関係ないのかもしれない。だがそこに感情はない。感情を無くせば性差や年齢差も無くなる、フラットで、ある意味平等な過ごしやすい世界になるのかもしれない。
だが人間が言葉を使い始めて5万年あるいはそれ以上。まだまだ「オレ」とか「ワシ」とか言う女性はイタイと言われているのだ。
例えば少年漫画で、男の子とボーイッシュな女の子が恋に落ちる物語があったとて、ツンデレ対応していたボーイッシュな女の子はいつしか彼のためにワンピースを着るようになるだろう。そしてウエディングドレスを着て、彼似彼女似の子供たちを生むのだ。
もっと言うならお付き合い時代のエピソードとして頬赤らめて「キスして……」って言ったり、誘惑するような際どい恰好を見せたりするのだ。恥ずかしがっていたセックスにもいつしか積極的になる。戸惑うばかりでマグロと化した男性主人公にゴイゴイ迫り来る、まさに男の夢とロマンをわんさか詰め込んだヒロインへと成長するのだそれを成長と呼ぶのならば。いや、別にいいのだ、少年漫画なのだから青年漫画なのだから、男性が読む雑誌に掲載されている官能小説なのだから。
ドラマも映画も漫画もアニメも官能小説も、かつてまず男性が客として想定されていた。なぜなら就職に有利なのは男性、つまりお給料を稼げるのは男性、自由にお金を使えるのは男性だったのだから。お金を払うことが出来ない女性向けのエンターテインメントなど作られるわけがなかった。
男性が好む男性向けのエンターテインメントの中に登場する女性たちは、あくまで男性好みの女性たちだった。そしてそれは官能表現の中でも同じだった。従順な女も、流される女も、積極的な女も、全部男の理想で作られた女性像だった。それが理想ともてはやされるから、それが正しいことだと多くの女性たちも思い込んだ。
女性が書いた官能小説すら男性たちの道具だった。『女性が書いた』というだけで男性たちのマスターベーションの道具になるのだ。男性を排除するレズビアンのセックスすら、男性たちは妄想の中で自分たちに都合よく描いてマスターベーションする。もはや男性にとって女性の官能はすべて男性の性的な道具であり、オナホなのである。女性がいくら女性の理想の官能を描いたとしても、理想の恋愛を描いたとしても、男性の耳には届かないのだ。それが男性と女性の絡みである以上。女性同士の絡みである以上。絡みに女性が関わっている以上。
ならば絡むのは、男性同士でやり直すしかないだろう。そう駒茅根そわれは考えた。
一度リセットするために。




