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恋愛とセックスはフィクションが一番楽しい。  作者: 萬田ぷぷっぴどぅ


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耽美とBL・2


 子供の頃からヒーローとヒロインよりも、ヒーローとそのライバルとかヒーローと悪役とか、男同士の友情とか敵対関係とかに興味を惹かれた。


 王子様に守られるだけのお姫様が嫌いだったわけではない。ヒーローと共に戦う健気なヒロインが嫌いだったわけでもない。


 ただ単純に、ぶつかり合いながらも共に戦う仲間とか、命を懸けた戦いを繰り広げるヒーローと敵とか、そういったものに熱い関係性を感じていただけだ。


 それが高じていつからか、「あの人たち実は好き合ってるよね……?」と思うようになっただけで、子供の頃から妙な嗅覚が発達していただけに過ぎない。


 とはいえ感じたその嗅覚は親にも友達にも大っぴらに言うにはなんだか憚られて、ただ粛々と小さな胸に秘めていたに過ぎない。


 しかし少女漫画界に旋風を巻き起こした、綺麗な男の子同士が愛し合う切ない物語を目にしたときに、ああ、こんな感情を持っているのは自分だけではないのだと勇気が湧いたのだ。



 何故男性同士の恋愛ものでなければならなかったのか。


 当時はまだ同性愛は異端で異質なもの扱いであった。決して法律で禁止されているわけでもないのに、決して人の道に外れているわけでもないのに、同性同士で愛し合うことは、ある意味命がけであり、周りからの誹謗中傷を受けながらも貫く尊い愛であった。


 ように、駒茅根そわれには見えていた。


 駒茅根そわれはブスでデブだった。友達もおらず、朝のホームルームから帰りのホームルームまで自分の席から動くことは無かった。


 それでも好きな人はいたし、エッチな話にも興味はあった。


 だが、誰かを好きだとバレると言われるのだ。「ブスのくせに」「デブのくせに人間好きになってんじゃねーよ」「おまえなんか誰にも好かれねーよ」


 エッチなことに興味があるとバレると言われるのだ。「ブスのくせに」「デブのくせにエッチなことできると思ってんだ」「ブタとエッチなんて獣姦じゃん」


 マンガの中の男の子たちはどんなに迫害を受けても愛し合っている。お互いを認め合っている。そんな彼らを駒茅根そわれは愛おしいと思ったし、幸せになって欲しいと応援していた。


 男の子たちが愛し合う漫画の中に女は介在しない。してもまるっと無視している。ブスとかデブとか関係なく、愛し合う彼らの中にまったく関わりの無い存在だ。それこそが駒茅根そわれの安心だった。


 少女漫画は残酷だ。どんなに冴えないヒロインでもメガネを取れば美少女になるし、美少女のレベルが高いのでブスの底が上がっている。そしてデブがいない。いたらまず食いしん坊担当である。


 それならそれでいい。フィクションだから嘘でも偏見の塊でもいい。『女』を見る目が冷めている『同じ女』の自分は、虚構の世界だけでも綺麗な男の子が出てくる話を読みたいだけなのだから。


 結局のところ駒茅根そわれも『綺麗な男の子』という偏見を持っている。


 フィクションもエンターテインメントも、結局のところ偏見と先入観からできている。悲しいかなどう取り繕ったところで、万民の目は美しいものしか受け入れない。それならそれでいい。所詮虚構の世界。要はそれをどう利用するかなのだ。


 だから駒茅根そわれは脚本家になってBLドラマを作ろうと思ったのだった。



 性的なことに興味を覚えるのは男も女も関係なく当たり前のことである。


 ドラマに出てくるラブシーンでも深夜にあっているエッチなテレビ番組でも、出てくるのは女の人のおっぱいとよがっている女の人ばかりであった。


 たしかに女性の身体は美しいと幼い駒茅根そわれも思ってはいた。たわわなおっぱいもくびれた腰も魅力的だったし、眉を寄せてよがる女の人はなんだか切なくて綺麗だなとも思っていた。


 だが、なんで男はこんな顔をしないのだろうとも疑問に思っていた。たいがい下卑に笑うか必死な顔をしている。身体も、映される女の人はきっと必死に美しい身体を維持しているのだろうに、なんで男はさもありなんなフツーの身体をさらしているのだろう。


 エッチな場面は女の人を観るだけのシーンなのだろうか?駒茅根そわれは常に不思議であった。


 小説を読んでも漫画を読んでも、快楽に負けてあんあん喘いでいる女しか出て来ない。一見主導権を握っている女ですらあんあん喘いでいる。


 そこにいるのは男にとって都合のいい女で、女性が求める官能は表現されていないように思えた。


 女性の書いた官能小説にも駒茅根そわれは違和感を覚えた。


 自ら愛を求め官能を模索しているようなヒロインですら、一度『男性の望む自立した女性像』を通しているようで、駒茅根そわれは納得いかなかった。



 時代は変わり、『耽美』と呼ばれていた男の子同士の恋愛を扱った物語は『BL』と称されるようになった。


 BLの中の男性キャラクターたちは誰に憚ることもなく自由に恋愛し、セックスしていた。


 青年誌や官能小説、女優の濡れ場で話題をさらう映画のように、男同士で自由に感じるまま抱き合っていた。


 駒茅根そわれはこれをパロディであり反逆であり、開放であると感じた。


「女はこうである」「女はこう感じている」「女はこうすると喜ぶ」


 男の決めつけた女の官能を、男にそのままぶつけ返したアンサーであると。


「男はこんな感じ方しない」と。「男同士でこんなセックスはしない」と、BLを見た男は言う。


 今まで男たちが作ってきた官能を見て、そっくりそのまま女も返すだろう。


「女もそんな感じ方しないんですよ」



 BLを見て嘘っぱちだとゲイの人は言う。そりゃそうだろう。AVもポルノも月9も少女漫画も全部ウソなんだから、BLとて嘘で当たり前なのだ。


 ただ。今までそれが当たり前だと思っていた、男たちが作り上げた官能の中に、一度男同士を落とし込み、男も女も真正面から考えるべきなのだ。本当に気持ちいいとはどういうことか。


 女同士の官能は、すでに男たちの慰みものになり過ぎている。男がマスターベーションするための道具としてしか、男は受け入れられなくなっている。


 たとえ今、レズビアン当事者が本当の女性同士の官能の話をしたとしても、都合よく解釈した男たちが、結局自分たちの性のはけ口にして終わりだろう。


 だから女性同士の官能を語るのは時期尚早である。


 まず、男には男の身体を、男の快感を、男の官能を真正面から見つめ直してもらわなければならないのだ。


 男同士の官能をゲイ当事者が語っても、同じ陰茎を持つ男は聞く耳を持たないだろう。同じ陰茎、同じ身体つきをしているだけで、異性愛者の男性は愛ではなくマウントを意識する。異性愛者の男性にとって性交とは、たとえ女性が相手だとしても、どちらが優位かを思い知らせる行為でしかないからだ。


 BLは前戯が長い。前戯はデートから始まる。告白から始まる。出会いから始まる。


 どれだけ面倒くさくても、突っ込んで腰を振るだけで終わってはいけないのが恋愛でありセックスなのだ。


 突っ込んで腰を振りたいだけの人間はそういう場所でお金を払ってやっている。市井のセックスには手間暇時間がかかると学ばなければならない。


 女性の官能は乳首や膣だけにあらず。


 男性の官能もまた陰茎だけにあらず。


 エロビデオ見たさにビデオデッキが各家庭に普及したように。


 エロサイト見たさにインターネットが発展したように。


 駒茅根そわれはBLを使って官能の意識改革を目論んでいた。


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