第九話 並んで歩く夜道で
主な登場人物紹介
田中彩乃
二十四歳。主人公。庶務部。優しくてお人好し。過去のトラウマから恋愛には奥手。
鈴木颯太
二十四歳。彩乃の同期で営業部所属。仕事の出来るイケメン。彩乃の隣の部屋に住んでいる。彼女の浮気が原因で別れているところを彩乃に目撃される。
佐藤優真
二十四歳。綾乃の高校からの親友。なんでも話せて、頼りにしている存在。穏やかで誰に対しても優しい。職場は別。
山本莉子
二十ニ歳。イケメン好きな彩乃の後輩社員。庶務部。小柄で美人。
土曜日の夜。
お風呂にも入り終わって、普通ならば部屋でぼんやり過ごしているはずの時間。
じっとしていると、どうしてか頭の中に鈴木さんの顔が浮かんでしまって、胸の奥がずっとそわそわと落ち着かなかった。
「……コンビニ、行こ」
心を落ち着けるには、アイスに限る。
どうしようもなく気持ちが落ち着かない時に食べる、コンビニ限定のカップアイス。
あれを食べると、不思議と呼吸が整って、胸の奥のざわつきが、ゆっくりと引いていく気がする。
もうお風呂を終えてしまってはいるけれど、どうしても今、あのアイスが食べたくて仕方がなかった。
今の格好は外出するにはかなりラフな半袖とハーフパンツだけど、近場のコンビニに行くくらいなら別にいいよね、と、スマホとお財布とキーケースだけを持って部屋を出た。
そして外に出た、その瞬間。
ほぼ同時に、隣の部屋のドアが開いた。
「「あ」」
出て来た鈴木さんと、目が合った。彼は、一瞬目を見開いて驚いた様な顔をした。
けれどすぐに表情を戻して、優しく声をかけてくれた。
「こんばんは」
低くて落ち着いた声。
たったそれだけで、心臓がドクンと跳ねる。
……待って、私、今、すっぴん!
たいして意味は無いと分かりつつも、顔を見られたくなくて、少し伏し目がちに挨拶を返す。
「こ、こんばんは……」
我ながら、少し声が裏返っている気がして、恥ずかしくなる。
「こんな時間に、どちらへ?」
「えっと……ちょっとコンビニに行こうと思って」
そう答えると、鈴木さんは一瞬考えるような顔をした。
「そうですか。俺も、ちょうどコンビニに行こうと思ってたところなんです。ご一緒しても良いですか?」
以前、お風呂上がりのすっぴんの状態で、ベランダ越しに会話したことはあった。
けれど、隣を並んで歩くとなると、話は別だ。
正直言うと、ここで別れたい。
だけど、鈴木さんもコンビニに用事があるのなら、断る方が不自然だよねと思い、出来ればあまり顔は見ないでと祈りつつ、私は小さな声で「はい」と頷いた。
*
エレベーターの中、並んで立つと、いつもよりどこか距離が近い気がして、視線の置き場に困る。
鈴木さんの腕、肩、香り。
意識してはいけないと思うほど、全部が気になってしまった。
外に出ると、夜風が火照った頬に触れて、熱を少しだけさらっていった。
並んで歩いている、それだけのことなのに、どうしてこんなにも落ち着かないんだろう。
鈴木さんはいつも通り、穏やかで自然で。
なのに私は、隣を歩いているだけで、心臓の音がやけに大きく感じてしまった。
「鈴木さんは、何を買いに行くんですか?」
緊張を和らげたくて、当たり障りのない話題を振る。
すると鈴木さんは少し困ったように眉を下げた。
「何買おうかなぁ……」
ぽつりと、そう答える。
「え……?だって、コンビニに用事があるって……」
驚いて聞くと、鈴木さんはちょっと気まずそうな顔で視線を逸らし、コホン、と一つ咳払いをしてから、こちらを見た。
「……だって、田中さんを一人で行かせたくなかったんですよ。そんな、いかにも風呂上がりです、みたいな格好で」
その一言で、頬に一気に熱が集まった。
「え、いえ……そんな……全然、大丈夫ですよ……」
しどろもどろになりながら否定すると、鈴木さんはきっぱりと言う。
「いや、俺が大丈夫じゃないから。……だから、今後はそんな状態で行くのはやめてくださいね。どうしてもって時は、俺を呼んで」
隣なんだし。と、有無を言わせない口調でそう言われ、気づけばこくんと頷いていた。
それを見て、鈴木さんは満足そうに一度頷いたあと、聞いてきた。
「田中さんは、何を買うんですか?」
「……アイスが、無性に食べたくなって」
お風呂上がりにわざわざアイスのためだけに外に出たことが、なぜか少し恥ずかしくて声が小さくなる。
「アイス……」
そう繰り返したあと、くすっと笑う気配がした。
「わ、笑わないでください……」
「すみません。なんか、田中さんらしいなって思って」
そう言って、ふわっと柔らかく笑う。
「いいな、アイス。……俺もアイスにしよ」
向けられた笑顔を、なぜか直視できなくて、少しだけ視線を逸らす。
「……そうですか」
そう答えるのが精一杯だった。
コンビニについて、カップアイスを買って、また並んで帰る。
私はなんだか袋を持つ手が少しぎこちなくなってしまったけれど、そんな自分の不可解な行動には、気付かない振りをして歩いた。
なんとか平静を装って歩いて、やっとマンションまであと少しというところまできた時。
後ろから、かなりのスピードでバイクが走ってきた。
「ーー危ないっ」
鈴木さんに、ぐいっと左腕を引かれた。
「っ……」
体が傾いて、次の瞬間、彼の胸にぶつかる。
まるで抱きつく様な体勢になってしまい、息が詰まった。
「っ……、すみません……!ありがとうございました」
慌てて身体を離した。
けれど、私の腕を掴んでいた鈴木さんの手が、なぜかまだ、離れなくて。
「……夜道、暗くて危ないですから」
その声は、ほんの少し緊張している様に聞こえた。
次の瞬間。
腕を掴んでいた手が、するりと私の手まで移動して、握られた。
「……っ」
私の手よりも大きくて少し硬い手が、柔らかく包むように、私の手を握っている。
え、なに、これ。
内心パニックになって、気づかれない様に、ちらっと鈴木さんの横顔に視線を向ける。戸惑っている私とは違って、鈴木さんは至って普通の表情で、何事もないかのように前を向いていた。
そのまま何も言わず歩き出したので、私も前を向いて同じ速度で歩いた。
歩きながら、鈴木さんが、何かたわいもない話をしてくれていた様に思うけれど、その時何を話したのか、正直ほとんど覚えていない。
ただずっと、繋がれた左手に、全ての神経がいってしまっているんじゃないかと思いながら歩いていた。
マンションに着いて、それぞれの部屋の前に立つ。
そこでようやく、すっと手が離れた。
「それじゃ、また。おやすみなさい」
いつものように、穏やかな笑顔で。
「……は、はい。……おやすみなさい……」
ドアを開けて自分の部屋に入り、そのまま玄関にしゃがみ込んだ。
……え……、さっきの、何?
心拍数が、全然下がらない。
手を繋いだことが、嫌じゃなかった。
それどころか。
……もっと、繋いでいたかった。
自分がそんな風に思ってしまっている事に気づいて、胸が苦しくなる。
下げていた左手を顔の前まで持ち上げて、じっと見つめた。
鈴木さんの手の温もりが、まだ残っている気がして、気づけば、顔がじんわりと熱くなっていた。
「……ずるい」
そう小さく呟いた。
その後、買って来たカップアイスを食べた。
せっかく心を落ち着けるためを買いに行ったのはずなのに。
さっきあった出来事がずっと頭を支配して、全く落ち着くことは出来なかった。
本作を見つけてくださり、お読みいただき、ありがとうございました!
本作は毎週水曜と土曜日に一話ずつ投稿していきます。
次の投稿は、2月4日(水)7:00です。
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陽ノ下 咲




