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一番近くにいるキミは  作者: 陽ノ下 咲


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第八話 お礼のロールキャベツ

主な登場人物紹介


田中(たなか)彩乃あやの

二十四歳。主人公。庶務部。優しくてお人好し。過去のトラウマから恋愛には奥手。


鈴木(すずき)颯太(そうた)

二十四歳。彩乃の同期で営業部所属。仕事の出来るイケメン。彩乃の隣の部屋に住んでいる。彼女の浮気が原因で別れているところを彩乃に目撃される。


佐藤(さとう)優真(ゆうま)

二十四歳。綾乃の高校からの親友。なんでも話せて、頼りにしている存在。穏やかで誰に対しても優しい。職場は別。


山本(やまもと)莉子りこ

二十ニ歳。イケメン好きな彩乃の後輩社員。庶務部。小柄で美人。


 先日の、鈴木さんとのやりとりがずっと頭から離れない。

 エレベーターの中で、鈴木さんが少しだけ不機嫌そうに言った言葉。



 ーー俺、田中さんが他の男の人といるの、嫌みたいです。



 あの声のトーンも、視線の向け方も。

 思い出すたびに、胸の奥がむず痒くなる。


 

 ……鈴木さん、どうして、あんなことを言ったんだろう。



 ただの同期で、ただの隣の部屋の人なのに。


 一度芽生えた名付けられない感情は、もう戻れないほどに、じわじわと私の心を占めていった。




 そんなある日のことだった。

 その日、職場は朝からどこか落ち着かない空気に包まれていた。急に、親会社による内部監査が入ることが決まったのだ。


 当然、庶務部のフロアは、朝から慌ただしかった。

 庶務部は、各部署から提出される書類をまとめ、形式や不備を確認する役割を担う。中でも営業部から提出される書類は、契約関連のものが多く、量も難度も高かった。



「田中さん、これも確認お願いしていいですか?」

「はい、分かりました」



 次から次へと書類が積み上がっていく。

 忙しいけれど、不思議と嫌とは思わなかった。

 こういった、誰かの仕事を裏から支える感じが、私は好きだったから。


 そんな中。



「失礼します」



 聞き慣れた声に顔を上げると、営業部のフロアから鈴木さんが立っていた。


 一瞬、心臓が跳ねる。


 あの日以来、まともに顔を合わせるのは初めてで、どこか気まずく感じてしまう。


 けれど、鈴木さんはそんな私の内心など知らない様子で、いつもと変わらない爽やかな笑顔を浮かべていた。



「こちら、追加分です。田中さん、よろしくお願いします」

「はい。お預かりします」



 思っていたより、声は普通に出てほっとした。


 鈴木さんは机の上に書類を置くと、私が確認していた資料を一緒に確認してくれる。

 いつの間にか隣に立っていて、肩が触れそうな距離に、思わず息が詰まるけれど、鈴木さんは顔色一つ変えずに真剣に書類を見ていて。



 ……なんだか、私だけが意識しすぎてるみたい。



 そう思うと少し恥ずかしくなって、心の中で小さくため息をついた。

 その時、鈴木さんが隣からそっと覗き込んできた。

 肩が触れそうな距離で、ふわりと爽やかな香りが鼻をくすぐり、ドキッと心臓が跳ねる。



「ここ、少し直した方がいいかもしれません」

「え?」

「この形式だと、前に監査で引っかかったことがあって。たぶん、こうしておいた方が通りやすいですよ」



 そう言って、修正した方がいい箇所にメモ書きをして、渡してくれる。



「ありがとうございます、本当に助かります……!」



 思わず顔を上げると、鈴木さんはふわっと柔らかく笑った。



「いえいえ。後で差し戻されるより、絶対今修正出来た方が楽ですから」



 その何気ない優しさが、胸に残った。


 仕事ができて、その上、押し付けがましくもなくて、気遣いもできて。



 ……ずるいなぁ。



 そんなことを思ってしまう自分に、少し驚いた。




 そうして、慌ただしい日々が続いた内部監査を無事に切り抜けた。

 鈴木さんに、この前助けてもらったお礼に何か出来ないかな、なんて考えていた矢先のこと。


 営業部が立て込んでいて、鈴木さんの帰りが遅くなる日があった。


 私も少し残業をして家に着き、まだ忙しそうだった営業のフロアのことを思い出しながら、晩御飯を作っていた。


 夜もすっかり更け、そろそろ出来上がりという頃には、鍋の中には一人では食べきれない量のロールキャベツが出来ていた。


 丁度完成したタイミングで、隣の部屋の玄関のドアが開く音が聞こえた。


 鈴木さん、帰ってきた……。


 私は、ほんの少しだけ迷ってから、せっかく作ったのだからと、意を決してタッパーに詰めて、自分の部屋を出ると、隣の部屋のドアの前に立ち、インターホンを鳴らした。


 少しして、ドアが開く。

 鈴木さんは、疲れたような表情のまま顔を出して、次の瞬間、少し驚いた様に目を瞬かせた。



「あ、田中さん」

「鈴木さん、こんばんは。遅くにすみません……。あの……今日、晩ご飯、作り過ぎちゃって。よかったら、召し上がってくれませんか?もう食べられてたら、冷凍してもらっても大丈夫ですし」



 緊張しながらタッパーを差し出すと、鈴木さんは一瞬目を丸くして、それからぱっと表情を明るくした。



「え、いいんですか?俺今帰ったとこで凄く腹減ってるから、めちゃくちゃ嬉しいです」

「よ、よかったです」



 素直に喜んでくれるのが、嬉しくてほっと息を吐いた。

 鈴木さんが少し考えるそぶりをしてから、こちらを見て、口を開いた。



「……田中さん、もうご飯、食べました?」

「いえ、これからです」

「だったら……一緒に食べない?」



 思いがけない誘いに、胸が跳ねた。



「えっと……いいんですか?」

「うん。ひとりで食べるより、一緒に食べたほうが嬉しいから」



 少し照れたようにそう言われて、私は手にしていたタッパーを見下ろす。



「あ、でもこれ、一人分で。残りは家にあるので、……よかったら、うちで食べますか?」



 流れに任せてそう聞くと、鈴木さんは、ほんの一瞬、表情が固まった。

 それから、ほんのり頬を赤らめて、



「えっと、……じゃあ、お邪魔しようかな……」



 と、少し照れくさそうに笑った。




 テーブルを挟んで、向かい合って座る。


 鈴木さんが、私の部屋にいる。

 その事実だけで、胸の奥がそわそわして落ち着かない。


 思えば、この部屋に男性を招き入れたのは、これが初めてだった。

 長い付き合いの親友である優真くんでさえ、会う時はいつも自然と外で、私の部屋に入ったことは一度もない。


 けれど、この前の時は鈴木さんの部屋に入れてもらった訳だし、今さら緊張するのはおかしいような気もする。

 とは言え、どうしたって意識してしまうのを、止めることはできなくて……。


 このことを彼に悟られるのはどことなく恥ずかしくて、私は必死に何でもない顔を装っていた。


 すると、ロールキャベツを口に運んだ鈴木さんが、ふっと目を見開いて、じんわりと幸せそうな顔をした。



「……美味しい……」

「本当ですか?よかった」



 彼の表情を見て、ほっとして、自然と笑みがこぼれた。

 自分の作った料理を、こんなふうに素直に褒めてもらえると、胸の奥がぽかぽかと温かくなった。


 鈴木さんはもう一口食べてから、少しだけ照れたように笑った。



「なんか、心に沁みます……。こういう、ちゃんとしたご飯を誰かに作って貰うのって、凄く嬉しいですね」

「え……?」



 私が首を傾げると、鈴木さんは視線を落とし、箸を持つ手を一瞬止めた。



「前は、外食ばっかだったから。俺もそれでいいと思ってたし」



 少し辛そうな顔。その表情から、彼が元カノとのことを思い出して話していることを察した。


 いや、比べるとか失礼だけど……。と言ったその声は穏やかなのに、どこか自嘲するみたいで。

 少しの間のあと、鈴木さんが小さく息を吐く。



「まあ……元カノとは、結局上手くはいかなかったんですけどね」

「……」



 少しの沈黙のあと、鈴木さんははっとしたように視線を伏せた。



「……すみません。いきなり、こんな話……」



 どこか申し訳なさそうなその声に、咄嗟に首を横に振る。



「大丈夫です」



 誰かに寄り添ってもらうことで、癒える傷があることを、私は知っている。

 もし、こうして話すことで、少しでも鈴木さんの心が軽くなるのなら、力になりたいと思った。



「無理に話せとは言いませんけど、……もし、少しでも話したいのであれば、いくらでも聞きますから」



 微笑みながら、囁くようにそう伝えると、鈴木さんは少しだけ目を見開いてから、ふっと表情を和らげた。



「……うん。ありがとう」



 小さくそう呟いてから、鈴木さんはゆっくりと息を吐く。



「今、振り返って考えると、俺は他人の気持ちに鈍感だったんだろうなって思うんですよね。……向こうが浮気していたと知った時も、それまで相手の異変に、まったく気付いていなかったですし。……気付こうともしていなかったのかもしれません」



 淡々とした口調。

 少し寂しそうに見える表情に、胸の奥がちくりとして、咄嗟に言葉が出た。



「……でも」

「?」

「私は鈴木さんが、鈍感な人だとは思えないです。優しい人だと思います」



 言い終えてから、少しだけ恥ずかしくなって視線を落とす。


 鈴木さんは少し驚いた様に目を見開いたあと、ふっと力の抜けた笑顔を見せた。



「優しいのは、田中さんの方ですよ。……だけど、ありがとう。田中さんにそう言って貰えたら、嬉しいです」



 そう言って、一呼吸置いて、続ける。



「あんまりいい話じゃないから、どう話せばいいのか、ちょっと難しいんだけど……、俺、これまで付き合ってきた彼女とは、浮気されたり、気持ちを疑われたりして、うまくいかなくなることが多くて……」



 静かな声だった。



「自分では、ちゃんと好きだと思ってたつもりなんだけどね……」



 ーー浮気。



 先程から何度か鈴木さんの口から溢れるその言葉に、自分の過去が重なって、胸がキュッと締め付けられた。



「……私も、付き合ってた彼氏に大学の時に浮気されて別れたから、辛い気持ち、分かります。……私は、それから、恋愛自体、ちょっと怖くて」

「そう、だったんだ……」



 私の言葉に対し、鈴木さんが、寄り添う様な声で相槌を打った。

 そして、少し間を置いて、ぽつりと、独り言のように言う。



「俺だったら……田中さんが彼女だったら、絶対に浮気なんてしないけどな」

「……え?」



 驚いて顔を上げる。



「あ、いや……すみません。何言ってんだ、俺」



 珍しく焦った様子で視線を彷徨わせる鈴木さんに、私の方まで顔が熱くなった。


 鈴木さんは一度、大きく息を吸って吐いてから、静かに続ける。



「でも、本心」



 その言葉が、胸の奥にじん、と染み込んだ。



「……て、そもそも浮気自体、相手が誰であれ、するべきじゃないことだけどね」



 少し照れたようにそう言う鈴木さんに、思わず、ふふっと笑ってしまう。



「その通りですね。……だけど、そんな風に言って貰えたの、なんだか嬉しかったです。鈴木さん、ありがとうございます」



 そう伝えると、鈴木さんは、ふわっと優しい笑顔で微笑んでくれた。



「いいえ、こちらこそ」



 その時、心臓がドキリと、大きく音を立てて跳ねた。



 これが何を意味しているのか、まだ、はっきりとは分からない。


 だけど確かに、私の中で何かが少しずつ、確実に変わり始めているのを感じた。




本作を見つけてくださり、お読みいただき、ありがとうございました!


本作は毎週水曜と土曜日に一話ずつ投稿していきます。

次の投稿は、1月31日(土)7:00です。


引き続き、お読みいただけますと嬉しいです。どうぞ応援のほどよろしくお願いいたします。


陽ノ下 咲


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― 新着の感想 ―
ゆっくりと気持ちが立ち上がってゆく感じ……とても良いですね。 まるで高校生のような二人のピュアな感じにほっこりしました。 (*´ω`*) とは言え、会話の内容は浮気についてなんですけれどもw (´ε…
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