第350話 水の聖域
「早く! 逃げるでちゅ!!」
炎龍帝が今まさに強烈なブレス攻撃を放とうとした時、俺達の前に突如姿を現したのはラクーンの少女だった。
彼女はその小さな体に見合わぬ、見たことのない種類の結界でもって、炎龍帝の超至近距離ブレスを防ぎ切ってみせた。
しかし、俺達が状況を飲み込む前に、既に魔龍は巨腕を振りかぶって次なる攻撃のモーションに突入している。
『雷霆』
グガアアアッ!!
眩い閃光が俺達の脇を駆け抜け、魔龍の頭部に直撃。その巨躯が硬直し一瞬動作が停止する。
「閃光……、クルーガーのおっさんか?!」
バシンという音と共に、ラクーンの隣に大柄なネコが光速で姿を現す。やっぱり”遠雷のクルーガー”だ。
「クルーガーさん?!」
「お前ら、今はミコに従ってさっさと退避しろ。こいつの相手は俺がやっておく」
クルーガーが顎をしゃくってラクーンの少女を指す。
「……! わかりました。みんな、あの子に続くぞ」
地面をちょこまかと走るミコと呼ばれた少女の後を追う。
フウカが気絶したエルマーを抱えて戻り、離れた場所から俺達の会話を拾っていたリィロ、アルベールとニムエもこちらへ合流する。
「なぁ君、一体どうするつもり――」
「今はついてきてくだしゃい。走りながら喋ると舌を噛みましゅ」
状況が飲み込めないまま俺達はミコについて走る。背後では激しい閃光が迸り、炎龍帝の唸り声が木霊する。
クルーガーが魔龍の注意を引きつけてくれている。この子はクルーガーの知り合いなのだろうか。
「ナトリさん、さっきの結界、あの子は一体……?」
隣を駆けるマリアンヌが疑問を口にする。
ミコは炎龍帝のブレスをなんなく防ぎきり、涼しそうな顔をしている。自分で防いだからわかるが、あれはあまりにもエネルギー質量が高すぎて、こっちの力まで相当削られる。
「わからない。こんな危険な場所にいるのも不思議だけど、一体どこから現れたんだ……」
間もなくミコは、アークトゥルスから少し離れたある地点で立ち止まり振り返った。
「みなさん、ここでしゅ。早くあたちゅの回りに集まるでしゅ!」
「う、うん」
みんなが合流し、戸惑いながらミコの周囲に集まる。雷光と共にクルーガーも一瞬でやってきた。
「いいぞ、ミコ」
「ではいきましゅ」
ミコが目を閉じ、手を組み合わせ祈るようなポーズをとると、俺達の足下の地面に青い光が走る。そして地面が消失した。
「なっ!?」
突然始まった落下の直前、穴の向こうから俺達を睨みつける、燃える溶岩の眼光を放つ炎龍帝と一瞬目が合った。
しかし、次の瞬間にはアークトゥルスの姿は見えなくなり、俺は果てしない暗闇を落ち始めた。
「こんなところに、穴……?」
「もしかして、クルーガーさん達はここから?」
クルーガーが空中でミコを捕まえ、彼女を肩の上に載せる。
「もう着くぞ、着地に備えろよ」
下を見下ろすと暗闇の奥に青い光が現れ、近づくにつれどんどん広がっていく。
「なんだ、この空間は……」
「火口の側にこんな場所があるたァな」
「潤沢な水の気配を感じますね。こんな場所なのに不思議です……」
「ナトリは私が」
「すまんフウカ」
フウカが後ろから俺に抱き着くような形で俺を抱え込む。おかげでふんわりと着地できた。他のみんなも次々に地面に足をつける。
「ここは……?」
「ようこそみなしゃま。ここは”水の聖域”でしゅ」
火龍山脈の内部だというのに、ここには非常に清涼な空気が流れていた。洞窟内で暗いはずだが、周囲一帯は足下に溜まった発光する水により淡く、仄青く照らし出されている。
俺達が降り立った、水の上に渡された板組の広場のような場所からは、周囲に段々に広がる建物の群れが見渡せた。
「村だわ」
「そうみたいすね……。こんな場所に」
エグレッタの街でも火龍山脈上層に村があるなんて話は聞いた事が無い。俺はすでに炎龍帝にやられ、死後の世界にでも来ているのだろうか。
「当たり前だ。ここは俗世とはかけ離れているからな」
「あたちゅたちはお山の外に出る事は稀でしゅ。だからしゅらなくても不思議じゃないでちゅよ」
「そうなんだ……」
予想外の光景に呆気に取られていたが、ようやく二人に助けられたことを思い出した。
「クルーガーさん、ミコ……でいいのかな。ありがとう、俺達を助けてくれて」
「俺に礼はいらねえよ。ミコに頼まれて来ただけだしな」
「そうだったんですね……。ご迷惑をおかけしました」
「本当でちゅ。こんなにしゅくない人達で龍に戦いを挑むなんて、無謀にも程があるんでしゅ!」
ミコはぷんすかと怒りを露に俺達を見渡す。なんだか非常に申し訳ない。
「すんません……。オレ、役に立たなくて」
「申し訳ございませんご主人様。ニムエの力不足でした」
「無謀には違いねえな。次はねえぞ」
ようやく安全圏であることが分かったところで気が緩み、どさりと地面に腰を下ろす。腹の底から込み上げてきた血の塊を地面に吐き出した。
「ナトリ!」
蹲っているところにフウカが寄って来る。
「ごめん、すぐに治療するね。クレイルもこっち来て。それとエルマーもここに運んで!」
俺は柵に寄り掛かって座り、クレイルも横に腰を下ろす。気絶したエルマーも地面に横たえられ、フウカによる治療が始まった。
間近で食らったブレスと、腹にあたった岩石のせいで肋骨が何本か折れてる気がする。さっきから感じる腹部を焼くような痛み、折れた骨が内蔵に突き刺さっているのかもしれない。意識すると気が遠くなりそうだ。
フウカの波導を受けて徐々に痛みが引いていくのを感じながら、クレイルとエルマーを見る。
幸い命はある。けど、俺達はかなりの深手を負ってしまった。フウカがいなければきっと数か月は病床で過ごしたことだろう。
俺の怪我が完治し、クレイルも立ち上がった。フウカはエルマーの治療に移る。
「エルマーは大丈夫?」
「うん。全身鎧だから怪我自体はそこまでじゃない。すぐに目を覚ますと思う」
俺達が見下ろす中、エルマーは完全にノビていた。大方吹っ飛ばされて頭を打ち付けでもしたのだろうが、こいつの打たれ強さは相当なものだからな。
「大丈夫でしゅか?」
ミコがやってきて、不安げにエルマーの顔を覗き込む。その時、パチリとエルマーの目が開いた。
「うおおおおっ!!」
「あだーーっ?!?!」
勢いよく跳ね起きたエルマーのおでこが覗き込んでいたミコの頭に激突し、今度はミコがひっくり返る。
「おおおお……お?」
せわしなく周囲を確認するエルマーだったが、魔龍の姿が見えないことで徐々に落ち着きを取り戻す。
むしろ心配なのはひっくり返ったミコの方だ。エルマーの兜がヒットしてかなり痛そうだ。
「ちょっと、大丈夫?!」
「あいたたたたぁーー!」
「エルマー、俺たちは彼女に助けてもらったんだよ。ここに炎龍帝はいない」
フウカがミコに治癒をかける中、現状を把握したエルマーが若干申し訳なさそうに頭を掻く。
「あー……、そうか。悪かった」
「……しどいでしゅ。もっと謝ってほしいでちゅ」
§
エルマーが起き上がった後、俺たちはミコの家である水の聖域長老宅へとお邪魔していた。
囲炉裏を囲む上座には、ミコの祖母である長老が鎮座する。
「私たちを受け入れてくださり感謝します」
「いいえ。しかし、今後は無茶をなさらぬことをお勧めしますよ」
俺達は本気で炎龍帝に挑んだ。しかし……、あの強さはやはり並じゃない。魔龍はレベル5を凌駕し、まさしくモンスターの頂点に君臨する怪物。
やつらは周囲の環境すら操り、自然をも自らの力とする。充満する熱、降り注ぐ溶岩塊……、自然災害の如き脅威だ。
水龍ラグナ・アケルナルの時は三大賢者の力を借りてなんとか倒すことができた。俺達も力をつけ、強くなったつもりでいたけど……、まだ足りないのか。
「相手は一体と油断していました。まさか、環境を支配することであそこまで手数を増やしてくるなんて……」
「あのブレス攻撃は本当に強烈だ。複数回止められるのはフウカくらいだろうな」
「奴の行動は把握した、次は負けん」
「悪いことは言わん。やめとけ。お前たちで勝てるほど奴は甘くない」
腕を組んだまま目を閉じ、壁際に座っていたクルーガーがぼそりと呟く。
「クルーガーでも勝てないの?」
「注意を逸らす程度が限界だ。だからこそ、ミコの力で奴を火口に封じてんだ」
「そうです。それこそが、この水の聖域の存在意義にして、”水の巫女”の役目」
「水の巫女……ですか?」
長老は静かな瞳をリッカに向けると語り出す。
「この村は、遥か昔から魔龍を抑え込む役目を負ってこの地に存続しています。それが我らが始祖、パーシヴァル様より受け継ぎし盟約なのです」
「魔龍を抑え込む……ってどういうことです?」
「パーシヴァル様は、何人も近づけぬよう炎龍帝の住処である火龍山脈に迷宮を造られた。しかし、炎龍帝の方はいつまでも火口に留まっているとは限りませぬ。なればこそ、我らには”水の巫女”が必要なのです」
ミコが発していた、強烈な水の結界を思い出す。
「もしかして、水の巫女には炎龍帝を鎮める力があるんでしょうか?」
「その通りです。スカイフォールの歴史の中で、炎龍帝が火口から離れなかったのは、歴代の水の巫女達がその魔性を鎮めてきた結果なのですよ」
「え、それじゃあの炎龍帝は原初なんすか?!」
「……英雄の時代から、ついぞ討伐されたという記憶はありませぬ」
「どおりで強えわけや」
モンスターの頂点に君臨するとされる魔龍も、過去、時の英雄によって倒されたという例は僅かに存在している。
そして、おそらく半数以上の魔龍は過去に討伐されている。ここが曖昧な理由は、暗黒時代とも言われる旧世紀以前の記録や文明は朧げにしか残っていないせいだ。
一口に魔龍といってもそれぞれその強さや脅威度にはばらつきがあり、その強さの主な原因とされているのが……、重ねた年月だ。
誕生してから数十年の魔龍と、それ以上の時の中、力を蓄え続けた龍とでは強さが全く異なるということだ。
この"聖域"では炎龍帝を代々封じてきたのだと言うが、それはある意味無限に力を蓄えさせる結果にもなっているということじゃないか。
もし、原初の魔龍が存在するなら、その力はどれほどになるのだろう。
あの炎龍帝アークトゥルスがそうだとすれば、俺たちは途方もない相手に戦いを挑もうとしているのかもしれない。
「あの、パーシヴァルというと七英雄の名ですよね。グランディス大陸に英雄の末裔が残っていたなんて、初めて知りました」
「翠樹の迷宮を守護しとったオキ族みたいな奴らが、迷宮エンシェントカーネルにもおったわけか」
ここの場合、エンシェントカーネルを守る炎龍帝アークトゥルスを、さらに水の巫女が封じている状態なわけだ。
「これまでの巫女達の尽力を無為にせぬためにも、我らは役目を全うせねばなりませぬ」
「でもな、あんたらが奴をここに閉じ込めて、ぬくぬく溶岩食わしてあそこまで育てちまったんじゃねェんか?」
「しょれは……」
「術士のお方」
長老が静かにクレイルを正視する。先ほどからずっとそうだが、波の立たない湖面のように静かな瞳だ。動揺や迷いなど、まるで感じない。
「パーシヴァル様は迷宮を造り、あの中に災禍を閉じ込められた。それは決して人が触れてはならぬもの。どうか、そっとしておいてくださらんか」
「……ちっ」
クレイルはその視線を受け流し、不機嫌そうにそっぽを向いた。もしかしたら翠樹の迷宮の時のことを思い出しているのかもしれない。
「水の聖域は、外の世界には知られていまちぇん。始祖様の言いつけなんでしゅ」
「ミコの言った通り……、皆様がここから出られた後、この場所のことはくれぐれも他言無用でお願いします」
「は、はい」
長老の有無を言わせぬ迫力に、思わずうなずく。
「それでは、ゆっくりと傷を癒し休息なされよ」
そういうと長老は立ち上がり奥の間へ移っていった。
「気に入らねェな」
「クレイル」
「オキ族の長を思い出すぜ。ああいう手合いは俺らの邪魔ばかりしやがるな」
彼らの気持ちだってわからなくはない。先祖代々の伝統を破るなんて簡単に納得できるものじゃないし、彼らは厄災の現状について多くを知っているわけでもないのだから。
「災禍……」
アルベールには思うところがあるのだろう。ルーナリアの都で起きた迷宮騒動は記憶に新しい。あれで多くの学生が犠牲となった。
「あの……、ほんとにお願いでしゅ。ここが外にしゅられると、何があるかわからないのでち」
「それなのに、さっきは私たちを助けてくれたの?」
「見過ごせなかったんでちゅ。龍から人を守るのが、水の巫女のお役目でちゅから……」
「ありがとね、ミコ。危険を冒して私たちを助けてくれたんだよね」
ミコは、フウカの言葉に黒目がちで円らな瞳をパチパチと瞬かせると、ちょっと頬を染めながら笑顔になった。
「俺達は聖域のことを外に漏らさないって約束する。ミコがいなければ全員炭になってたかもしれないんだ。当然だよ」
「えへへ、それなら嬉しいでち」
「それにしても、七英雄の末裔なんてね。すごい人たちに出会っちゃったもんだわ」
「ナトリさん……。あのジョーイという人はやはり、ここを」
問いかけてくるマリアンヌに頷いてみせる。
「多分な。きっとあいつはミコのことを探していたんだ」
「そっか、だからクルーガーは盟約の印のこと、知ってそうな感じだったんだ」
クルーガーはふん、と鼻を鳴らす。エンゲルス、ジョーイの目的が盟約の印だと話した時、彼はすぐにミコのことが頭に浮かんだことだろう。
「お前らとリビア湖で会って、あのガキの目的を聞いてからは、ちょくちょくミコの様子は見に来ていたぜ」
「クルーガー様は、この水の聖域の守り手でもあるんでちゅ。この中だけじゃ解決できない問題が起きた時、手を貸してくれるいい人なんでしゅ」
「はえー、おっさんなんか色々やってんだな」
アイン・ソピアルの使い手であり、圧倒的な実力を持つ『遠雷のクルーガー』は、リビア湖一帯だけでなくこの村でも頼りにされる存在のようだ。
粗野でぶっきらぼうな印象が強いけど、他人のために拳を振るえる人なんだな。彼が地元住民から尊敬されているのもう頷ける話だ。
「クルーガーさん。できれば俺達と一緒に戦ってくれませんか」
「……お前、まだ諦めてねえのか」
「俺達は諦めませんよ」
クルーガーは呆れたように俺を見たが、真剣に彼を見返す。
「長老の話を聞いてたか」
「はい」
「その上でか」
こっちだって生半可な覚悟で戦ってるわけじゃない。それをちゃんとわかってもらいたい。
「クルーガーさんだって、本当は炎龍帝を倒したいんじゃないんですか?」
クルーガーはちらりとミコを見て、パチパチと燃える囲炉裏の火に視線を移し何事か考えているようだった。
炎龍帝さえ倒すことができれば、水の巫女はその役目から解き放たれる。聖域の民も外に出て自由に過ごすことができるのではないだろうか。
沈黙の後、クルーガーは口を開いた。
「俺はお前らのことを何も知らん。話してみろ。あんだろ、理由。一応は聞いてやるよ」
やっぱりこの人は優しい人だ。




