第45話:ノワール、未知と“一緒”の間で揺れる
【慶長20年(1615年)五月一日 妲己 2715歳 ノワール 430歳 伊勢国 度会郡 宇治 伊勢神宮ダンジョン 三階層】
根の映像はもう終わりみたいだ。最後の映像を見始める前と同じように真っ暗になっている。
そう考えていると、幹の一部が淡く光り始めた。
この階層にはまだ続きがあるらしい。
あたし達は光っている部分に近づいた。
光っている以外はほかの部分と変わらなく見える。
そう思って、私とノワールは同時にその部分へ手を伸ばした。
やっぱり普通の樹皮だ、と思った瞬間、ノワールの姿だけが幹に吸い込まれるように消えた。
「え!?」
ノワールもあたしと同じように触れたはずだ。
それなのに、あたしは何も起きない。
慌てて同じ場所に手を押し当てる。
……ただの樹皮の感触だ。
何も起きない。
その直後、光っていた樹皮が透明になり、幹の内部が見えるようになった。
良かった。ノワールは無事みたいだ。
真っ暗な空間の中に立っている。
けれど、あたしが触れている部分には、まだ何かがある。見えているのに、通れない。
そう思った瞬間、幹の中の景色が変わり始めた。
闇がほどけるように薄れ、橙色の光が広がっていく。
真っ暗だった空間は、あっという間に夕焼けの情景へと入れ替わった。
夕焼けだ。さっき『過去の映像』で見た風景に似ている。
けれど、映像とは違う。
灯りの滲み方も、空気の色も、匂いも、そこにある。
まるで本当に、その場にいるみたいだ。
ノワールが顔を上げた。
視線の先に、灯りのついた家がある。
窓からこぼれる光を、しばらく見つめている。
やがて、夕飯らしい匂いが漂ってきた。
家の中からは、女の子の笑い声が聞こえる。
その音と匂いに引かれるように、ノワールは家の方へ歩き出した。
迷いはない。
玄関の前に立つと、自然な動きでドアノブを回す。
何度もそうしてきたかのように。
ドアが開く。
――暗転
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
真っ暗になっていた幹の中の景色が、再び変わり始めた。
闇がほどけるように薄れ、橙色の光が広がっていく。
やがて空間は、また夕焼けの情景へと入れ替わった。
さっきと同じ帰り道。
同じ、灯りのついた家。
ノワールは、灯りのついた家に気づいて視線を向けた。
ほんの少し不思議そうに、灯りを見つめている。
窓の向こうで、白い湯気がゆらゆらと揺れていた。
やがて、夕飯の匂いがふわりと流れてくる。
さっきと同じ匂いだ。
それに混じって、今度は別の音も聞こえてきた。
家の中から、紙をめくる小さな音。
それから、誰かが床を歩く足音。
さっきよりも、家の中の様子が分かる気がする。
ノワールは灯りを見つめたまま、家の方へ歩き出した。
夕焼けの道を、ゆっくりと。
玄関の前に立つと、手がそのままドアノブへ伸びた。
ノワールはドアノブを回し、ドアを開けた。
――暗転
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
真っ暗になっていた幹の中の景色が、再び変わり始めた。
闇がほどけるように薄れ、橙色の光が広がっていき――
三度目の夕焼けの情景へと入れ替わった。
さっきと同じ帰り道。
同じ、灯りのついた家。
ノワールは、灯りに気づいて視線を向けた。
その横顔は、二度目よりも――ほんの少しだけ、不思議そうに見える。
やがて、夕飯の匂いがふわりと流れてくる。
さっきと同じ匂いだ。
それに混じって、紙をめくる音と、床を歩く足音が聞こえてきた。
これもさっきと同じだ。
ノワールは灯りを見つめたまま、家の方へ歩き出した。
夕焼けの道を、ゆっくりと。
玄関の前に立つと、手が自然にドアノブへ伸びる。
――その指先が、ぴたりと止まった。
「……また」
小さくこぼれた声は、どこか退屈そうだった。
ノワールの空気が、さっきまでと少し違う。
そう感じた瞬間――
その口元が、ふっと緩んだ。
ほんの少しだけ、目がきらりと光る。
「……ふふっ」
こらえきれなかったみたいに、小さな笑いがこぼれた。
迷っている顔じゃない。
何か面白いことを思いついた子どもの顔だった。
「だったら……!」
弾むように、ノワールはドアノブから手を放した。
振り返る。
帰り道は続いている。
けれど、その先は夕闇に沈んでいて、何があるのか見えない。
ノワールは、迷わずそちらへ歩き出した。
ドアではない方向へ。
未知の選択へ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あの眩しい笑顔は、今までのノワールとは全然違う。
ノワールの変化を、より魅力的になったノワールを見たあたしの中で、何が彼女をそんなに変えたのか、心の奥から押し出される衝動が沸き上がった。
あたしはいつの間にか、前の方に一歩踏み出していた。
すると、あたしの体は一歩前に進んだ。あの良くわからない『透明な壁』で阻まれていたはずなのに?
壁がなくなっているのかしら?
そう感じたあたしは、壁があったらしい辺りに触れてみた。やはり壁が無くなっている!
「通れる……?」
そうと分かったら、モタモタしていられない。
あたしは、幹の中に入りノワールに駆け寄った。
ノワールの側にたどり着くと、彼女があたしの方に振り向いた。
「みんながいたら、何もしなくても満たされたのに、独りだと、いつもと同じことをしても満たされなかった」
「だから、違うことをしたら面白いと思ったの」
そうか。だから『繰り返し』だったんだ。
『繰り返し』てた夕焼けの情景で、ノワールは面白がって『いつもと違う』ことをした。
そのせいで、あんなに晴れやかな顔になっていたのね。
でも、だとしたら『繰り返し』を止めて『違うことをする』のはノワールにとって、とんでもない変化だったってことなのね。
あたしは、あの時 信康を救うために『変わった』。
『変幻自在』の能力によって、帝辛と『守り守られる』のに必要だった、『献身』の力が超次元となったときに、すべてに変化の力を与える『変化』になった。
変化はあたしの力だ。あの時、変化を受け入れたことで、あたしの魅力はぐーんと高まったと思う。
ノワールも――変わることで、もっと魅力的になるのね。
ノワールとの共通点を見つけて、なんだか嬉しくなったあたしはウキウキした気持ちで言った。
「そうだよねっ!知らないこと、分からないことってワクワクするよね!」
そういうと、ノワールはきょとんとした目になった後、微笑んで言った。
「……そうか」
「知らないって楽しいんだ」
ノワールがそう言った瞬間、それを合図にしたかのように、幹の上部から木で出来た箱のようなものが降りてきた。
何かと思って箱を見ると、箱の前面についている扉が両側に開いた。
これはエレベーター?
何でそんなものが、伊勢神宮ダンジョンの樹の中に……?
「乗れって、言ってるのかしら?」
「そうみたい……ね」
エレベーターということは樹の上に連れていかれるのかな?
そこでも、根や幹のように何かの映像を見せられるんだろうか?
「ともかく行ってみなくちゃ分からないわね」
あたしの言葉にノワールは頷き、あたし達はエレベーターの中に入った。
エレベーターが上に登っていく。幹の胴部分から、どんどん上に上がって枝に近い位置まで来た。
そして、エレベーターは止まり扉が開く。
扉を出た先で見えたのは――
周囲に無数の泡のようなものが浮かんでいて、それぞれに過去で見たような情景が映し出されている。
それらは、どれも枝の根元に寄り添うように浮かんでいて、 その枝の先には――あの“未来の映像”が映し出されている。
この泡は未来につながる何かってことかしら?
「ねえ、この泡 何だと思う?」
泡に映し出された映像には、どれもノワールが映っている。いくつかの映像にはあたしも映っているみたいだ。
「これまで、私たちは過去を見てきた……。枝葉の先には未来が映ってる……」
だとしたら、これはまさに『今』選ぶことで未来が変わる『今』の選択肢ってことかしら?
そう言われて見れば、泡はセレナ達が映っているもの、あたしが映っているもの、ノワールだけが映っているものがあるみたいだ。
泡の映像は、どれも色がついているけれど、未来の映像の方は、色がついているものも、枠線のものもある……。
最初ここに来たときは、ノワールの映っている未来の映像は全て枠線だったよね。
ノワールが『したいこと』を自覚する度に、色のついた映像が増えてきたみたいだ。
だとすると、未だに枠線の映像は何なんだろう?
いや、そうか。あたし達は『変化』分からないことに興味を惹かれるんだ。
枠線の未来は、見ても何だか分からない。『未知』の未来ってことなのかもしれない。
きっと、さっき『家に入らなかった』時みたいに、習慣とは『違うこと』を続けるとたどり着く未来なんだ。
「枠線の未来は、見えないようになっているのね」
「未知……の未来?だったら見えている方は……」
「さっきの映像で家に入った時みたいに『いつも通り』を続けた結果の未来ってことかな?」
だったら、あたし達が選ぶべきは未知の未来だ。
後は過去で気づいた『誰かと一緒』というノワールの望みと、『守り守られたい』というあたしの本質だ。
泡に見えている選択肢が『ノワールだけ』『家族と一緒』『あたしと一緒』なんだったら、少なくとも『ノワールだけ』はあり得ない。
ノワールの“したいこと”は『誰かと一緒』なんだもの。
だったら、『ノワールだけ』の未来は最初から選択肢に入らない。
「ねえ、ノワールあなたは……」
そう言おうとしたあたしは、ノワールの視線が一点に注がれていることに気づいた。
何をそんなに夢中でみているんだろう?
ノワールがみているのは、真っ黒な泡だ。
選択も何もない。何を選ぶのかも分からない。
そして、それと繋がっている未来の映像も真っ黒だ。何が何だか分からない。
「「未知……」」
あたしとノワールの声が重なった。あれは『未知』だ。何にも分からない完全な未知、どういう選択をしたら、あそこまで分からない未来になるのかも分からないけど……。
「すごい……!」
ノワールがワクワクした声で言う。
そうだ、すごい。あれは『未知』そのもの――。あたし達が大好きでたまらない“変化”そのものだ!
あれはすごい。何も分からない――全くの未知だ。一体、何があたし達を待ち受けているのか、想像もつかない。
もし、未来の選択を迫られているなら、あれを選びたい。
「そう、すごい。すごいよ!まるであたし達のために用意されたみたい」
「……そう、罠かも知れないと思うくらい……」
例え罠だとしても、あの『分からなさ』は見過ごせない。
あたしとノワールのために用意されたものだとしたら、乗らない訳にいかない。
あたしとノワールは顔を見合わせる。選ぼう『真っ黒で何も分からない未来』を――。
でも、そこで――ふと気づいた。
あたしの本質は『守り守られる』。
ノワールのしたいことは『誰かと一緒』。
どっちも、“誰か”がいないと成立しない。
なのに――
あの真っ黒な泡の先にある未来は、何も分からない。
何も分からない。全くの未知だ。
……それってつまり。
今みたいに、ノワールとあたしが“一緒にいる前提”すら――
無くなっちゃうってことじゃない?
胸の奥が、ちょっとだけひやっとした。
分からない未来。
全部が未知。
あたし達が、離れ離れになってる未来でも、おかしくない。
というか――
ここまで何も見えないなら、むしろ“一緒じゃない”方が自然な気すらする。
……あ、これ。
ダメかもしれない。
さっきまでのワクワクが、ほんの少しだけ静かになる。
楽しくないわけじゃない。怖いわけでもない。
ただ――ちゃんと考えないといけないやつだ、これ。
そう思った瞬間、
黒い泡に近づいていこうとするノワールの背中が見えて――
「待って!」
気づいたら、あたしはそう言っていた。
ぴたり、とノワールが止まる。
くるっと振り向いた顔は、きょとんとしていて。
……うん、そりゃそうだよね。
だってあたし達、さっきまで
「あれ行こ!」ってノリだったもん。
なのに急に止めたら、意味分かんないよね。
ノワールは首をかしげたまま、ちょこちょこっと戻ってきて――
「どうしたの?」
って、こてん、と首をかしげて聞いてくる。
……ああもう、そういうとこ。
二人の未来は、二人で選ばなくちゃいけない
だからこそ――ちゃんと、話し合おう。
「あの『完全な未知』は確かにすごい。でも何もかも未知ってことは、あたし達が一緒にいられるか分からない」
そうだ。でもだからと言って、あの『未知』を逃すことなんてできない。
分からない未来、無限の変化、あたし達は心からそれを望んでいる。
「そっか……。それは一大事だ」
ノワールも難しい顔になる。
そうだよね。あたし達は選びたい。
でも、あたし達の望みは一緒にいることでもある。
『一緒にいること』と『未知を選ぶこと』どっちかしか選べないのかな?
でも――。
「あたしは、何とかして選びたい。この『何もかも分からない未知』を!」
「そう……。私達は、選ぶべきこの選択を」
あたし達は見つめあう。何としても選びたい、想いは一緒だ。
「でも、一緒にいられなくなったら――」
ここまでのギミックであたし達は自分たちの望み、『したいこと』を自覚してきた。
ノワールは『一緒にいること』と『未知を選ぶこと』。あたしは『変幻自在』と『守り守られる』。
それを満たせない選択なんて、選ぶ必要はない。
「どっちも満たせないと、選ぶ意味がない、か」
あたしもノワールも答えが見つからず首を傾げて、うんうんとうなる。
「全く分からない未来を選んで……、それでも一緒にいられる方法……?」
「そんなのがあるのかしら」
もしあるんだったら――
あたしとノワールは、自然と同時に、真っ黒な泡とその先の『黒い映像』を見つめた。
見つけられるのかな。
『完全な未知』に隠された、『二人一緒』の可能性を。




