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若葉ちゃんのお父さんと

 通されたのは、広い和室。縁側があって庭を眺めることができる。黒川さんはお茶を入れに、若葉ちゃんが絵を取りに行っているので、部屋には俺一人……。全然落ち着かないし、何故か正座が崩せない。


 しばらくして黒川さんがお盆を持って戻ってきた。お盆には茶器がいろいろ乗っている。


「あ、楽にしてくれ。足も崩して……ほら」

 黒川さんは言った。

「あ、ありがとうございます……」

 俺は、足を崩した。


「粗茶だが、なかなかいけるぞ」

 笑いながらお茶を出してくれた。ついでに和菓子の乗った小皿も一緒に。


 部屋の奥の方からトタトタと足音が聞こえたと思ったら、若葉ちゃんが片手に絵を持ってやってきた。

「これ!」

 数枚の絵を受け取る。六歳にしては、やたらうまい。俺は絵のことはわからないが、明るい色使い、ノビノビとした構図、細かい部分まで丁寧に書き込まれた精密さ。正直驚いた。


「若葉ちゃん、すごいね! びっくりしたよ。すっごい上手!」

 思わず言ってしまった。

「やったぁ! じゃあ……」

 そう言って若葉ちゃんは頭を出してくる。何のサインだ? 俺は黒川さんに視線を向けた。黒川さんは頭を撫でるジェスチャーをしている。そのまま従って、若葉ちゃんの頭を撫でた。若葉ちゃんはご満悦の表情だ。


「よかったな、若葉」

 黒川さんは若葉ちゃんにそう言った。

「うん! やったね!」

 若葉ちゃんも返す。


「若葉にとっての一番の勲章は、頭を撫でてもらえることなんだよ」

 黒川さんは俺に言った。


「ところがだな……。驚くことに、幼稚園で私に寄ってきた園児の頭を撫でようとすると、怖がって首をすくめる子が多いんだよ……。頭の上に手が来ると、ぶたれると思うようなんだな……」

 ちょっと寂しそうに黒川さんは言った。そう言えば、幼稚園児に母親の顔を描かせたら、目と耳が小さくて、口ばかり大きい顔を描く子が多いとか。見てない、聞いてない、言ってばっかりってのがそこに象徴されているって話だったな……。


「こんにちは~~!」

 元気な声が玄関で聞こえる。

「あ、来たみたいだな……」

 そう言って、黒川さんは玄関に向かった。

「あ、パパだ!」

 そう言って、若葉ちゃんも玄関に走っていった。


 しばらくして、俺がお茶を飲んでいる部屋に三人が戻ってきた。若葉ちゃんはその男に抱っこされている。


「初めまして! 蛍谷ほたるだにと申します。枝草さんですよね?」

 意外なくらい明るく気さくな挨拶。


「あ、初めまして。枝草と申します……」

 俺も挨拶した。


「『エースパイロット』の管理人さんですよね?」

 蛍谷さんはそう言った。

「あ、そうですけど……」

 俺は返した。

「さっき、葵からメールもらって、嬉しすぎて駆けつけました」

 そう言って、笑っている。とにかく初対面とは思えない人なっつこさだ。


「枝草さんのサイト、私、大ファンでしてね。知り合い全部に宣伝しまくっているくらい。あのサイトの管理人さんと一度一緒に話をしてみたいなあってずっと思っていたら、何と葵の会社の人だったなんて……」

 完全に蛍谷さんのペースだ。遠慮したり、断ったりする隙が全くない。


ひかるくん、枝草くん引いているのだが……」

 黒川さんはそう言った。

「これは、失礼。俺、いつも葵に怒られてばっかりなんだよね。相手のペース考えずに一人で走っちゃうって」

 蛍谷さんはそう言った。


「パパ、このひと、だいすきなの?」

 若葉ちゃんが蛍谷さんに聞いた。

「そうだよ! 今、一番好きな人かもしれない。ただし、若葉とママの次にね」

 人差し指を立てて若葉ちゃんに微笑みかけた。悪い人ではないのがよく分かる。

 黒川さんが蛍谷さんの分のお茶を入れた。

「済まないな。こういう人で。枝草くん、迷惑じゃないか?」

 黒川さんは俺に言った。ってか、蛍谷さん呼んだの自分でしょ? って話で。


「いえ、何か圧倒されて何とも……」

 とりあえずそう言った。


 隣で蛍谷さんは、若葉ちゃんのポッキーを、若葉ちゃんの頭上から垂らして、『若葉ちゃん釣り』をしている。若葉ちゃんがパクっとしようとすると、ひょいと持ち上げて『残念賞~』とか言って、結局そのポッキーを若葉ちゃんの口に入れている。どうも、二人の間では恒例の遊びらしい。


「今回はいつまで日本に?」

 黒川さんが蛍谷さんに聞いた。

「あ、明日立つ。次帰ってくるのは三ヶ月後ってところだな……」

「何のお仕事されているんですか?」

 俺が聞いた。

「何だろ、簡単に言うと貿易関係かな。扱っているものは、いろいろだけど……。あ、君たちの会社とも取引あるよ。ちなみに」

 蛍谷さんが返した。

「そうなんですか」

 俺は返した。


「大学の時に起業したら、何となく波に乗っちゃって、その後、全然暇がなくなって。もう大変」

 蛍谷さんは笑いながらそう言った。

「凄いですね。青年実業家ってやつですか」

 俺はそういう人に直に会うのは初めてかもしれない。

「もう、『青年』ではなくなったけどね」

 蛍谷さんは笑っている。


 そこに、和服を来た一人の女性が現れた。

「葵様、そろそろ若葉様の絵画教室のお時間ですが……」

 すげぇ、女中さんは、絶対に人生で初めてみた! 本当にそんな職業があるのかと疑っていたくらいだ。大体『様』って年賀状以外で使ったことがない敬称だし。


「もうそんな時間か。折角光くんも来ているので、今日は休ませてもいいが……」

 黒川さんはそう言った。

「ママ~。わかば、かいがきょうしつへいくよ~」

 若葉ちゃんはそう言った。

「いいのか? 若葉?」

 黒川さんは若葉ちゃんに確認した。

「へいきだよ~。いつでもパソコンであえるし。だいたい、『それはそれ、これはこれ』でしょ?」

 若葉ちゃんは言った。本当にしっかりしているな……。


「そうか、じゃあ行こうか……」

 そう言って黒川さんは若葉ちゃんに手を伸ばした。

「枝草くんが選んでくれたパソコンだが、ウェブカメラってのが付いていて……。それでテレビ電話みたいな機能がついていたんだ。それについては、今は若葉の方が詳しいけどな」

 黒川さんは笑った。


「じゃ、俺もそろそろ……」

 俺は立ち上がろうとした。すると、蛍谷さんが言った。

「まだ、いいだろ。俺と話しようぜ」

 俺は、黒川さんに視線を移した。

「枝草くん、悪いが光くんに付き合ってあげていいかな?」

 黒川さんは言った。


「俺は全然構いませんが、お邪魔かな、と」

 俺はそう言った。


 それを聞いて黒川さんは笑いながら言った。

「枝草くんを家に目的は、そもそもこっちだったんだが……」

 蛍谷さんに視線を移すと、にっこり笑って親指を立てている。あ、このウザさ、どこかで経験あるぞ……。

「そういうことなら……」

 俺は言った。

「そうこなくっちゃ!」

 蛍谷さんは大喜びだ。何で俺なんかにそこまで興味を持つのかしら?

「じゃ、ちょっと送ってくる」

 黒川さんは言った。

「葵様、それならば私が……」

 横から女中さんが言ったが、黒川さんはピシャリと言った。

「ありがとう。だがこれは母親の仕事だ」

 そう言って、黒川さんは若葉ちゃんと出ていった。

 部屋から出た若葉ちゃんが戻ってきた。部屋の障子扉から顔を半分だけ覗かせて言った。

「えくささん、わかばがかえってきたとき、まだいててくれる?」

 俺が言葉に詰まっていると、蛍谷さんが言った。

「当たり前だ! パパが絶対につかまえておくからな!」


 あ、そうですか。決定事項ですか……。全然構いませんが。


「やったぁ~」

 若葉ちゃんは飛び跳ねて喜んでいる。そこまで……。ま、よかった。これだけ喜んでくれるのであれば……。


「じゃ、行こうか。若葉……」

 そう言って、黒川さんは若葉ちゃんの手を引いて、出ていった。


「お茶を入れ直しますね」

 その場に残された女中さんが言った。

「いいえ、お構いなく……」

 俺は恐縮しながらそう言った。


「本当にいい女だな。葵は」

 蛍谷さんは言った。

「そうですね。会社でも評判です」

 俺は返した。

「俺は、結婚したかったんだけどな……」

 蛍谷さんは呟いた。


「どうして……」

 俺も呟いた。

 黒川さんが結婚しなかったいきさつは、さっき本人から聞いたけど、俺にはどうも釈然としなかった。特に『男二人』には、正直違和感を覚えた。俺は彼女のことをそれほど知っているわけではないが、一緒にパソコンを買いに行ったとき、女性らしいかわいらしい人だと思った。さっきだって、若葉ちゃんの鼻から飛び出したパスタを、ひょいと摘んで黒川さんが躊躇なく食べたときには、本当に『女性』であり『母親』であることを実感させられたものな……。


「あいつが、反対したんだよ」

 蛍谷さんが言った。

「あ、なんかすみません。立ち入ったことを……」

 俺はうっかり呟いてしまったことを後悔した。そもそも二人の問題で、俺なんかが今更立ち入ったところで、何も意味がない。人には、それぞれいろいろ事情ってのがあるんだろうし……。


「若葉には、今日初めて?」

 蛍谷さんは言った。

「ええ、存在自体を知ったのも今日……ってかさっき」

 俺は返した。


「枝草くんは、今の会社何年目?」

 蛍谷さんは聞いた。

「黒川さんの二つ後なので、三年目です」

 俺は指を折りながら言った。


「で、今日知ったのか? 驚いただろう?」

 身を乗り出してくる蛍谷さん。

「ええ、そりゃもう……。で、家に招待されたらこの大豪邸で……。今、自分がどれにびっくりしているのかわからないくらいです」

 俺は言った。


「あっはっはっは。本当に君は面白い奴だな。俺の側近として置いておきたいよ」

 本当に愉快そうに笑う蛍谷さん。

「いや、笑わないでくださいよ」

 俺は言った。

「いや、失敬、失敬。俺も君の立場だったら、めちゃくちゃ驚くだろうなって思ったら笑えてしまった……」

 そう言って、お茶を一口飲んだ。俺も一口。


「このお茶、おいしいですね」

 俺は言った。

「ああ、これも俺の会社で扱っている商品だ。葵がえらい喜ぶので、時々持ってくるようにしている。そんなことよりさ……。あのサイトのこと、いろいろ聞きたいんだけど、いいかな?」

 そう言って、蛍谷さんは親指を立てた。どうもそのポーズ、俺、馴染めないわ……。

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