蛍谷さんと
「実はさ、赤池に聞いてみたんだよ」
蛍谷さんは言った。
「え?赤池さん、ご存知何ですか?」
俺は聞いた。
「ああ、高校の時からの知り合いだ。その関係があって、枝草くんの会社とも取引があるんだよ」
初めて聞いた。ま、普段、話題に登るわけないわね。黒川さんに子供がいて、その相手が赤池さんの高校の時からの友人……。
「あいつだったら、『エースパイロット』の管理人を突き止められるかと思ってさ。ところがあいつ、絶対に口を割らないんだよ。自分ではあっという間に突き止められるのに、個人情報だなんだって、誰にも言わない。いいんだか悪いんだか……」
蛍谷さんが悔しそうにそう言う。
「あはは、結局黒川さんに自己申告してしまったんですがね……」
俺は返した……。
「でさ、ちょっといろいろあのサイトのことで聞いてもいいか?」
蛍谷さんは興味津々だ。身を乗り出して聞いてきた。
「ええ、構いませんよ。ご期待に添える返答かどうかはわかりませんが……」
俺は返した。
「そもそも、あのサイトを立ち上げようと思ったきっかけってなんだったんだ?」
そこからですか……。何でそこまで興味持たれているかな……。
「え? 特に理由はないんですが……。社会人になってから、一度実家に帰った時に、古い友達と飲んだことがありましてね。その時から……」
俺は言った。
「その時に何があったんだ?」
蛍谷さんは更に聞いてきた。
「その友達が『毎日が退屈だ、代わり映えしない』ってそればっかり言ったんですよ。で、単純に俺が『そうかなぁ……』って言ったら、『最近何があった?』って聞かれて……」
俺もはっきり覚えていない。酒も入っていたしな……。
「それで?」
蛍谷さんは更に食いついてくる。
「初期の頃、コラムとしてブログにもアップしたと思いますが、エスカレーターを逆走するサラリーマンの話をしたんですよ……」
俺が言った瞬間、蛍谷さんは吹き出した。
「スマン! 内容を思い出して笑ってしまった。あれは本気で声を出して笑ってしまったからな……。しかし、よく思いついたな。あの話」
蛍谷さんは言った。
「思いつくも何も、見たまんまですよ。めちゃめちゃ急いでいるようだったんですけど、それが原因で、エスカレーターの上りに突入しちゃって……。足音もすごい勢いでダンダン響くから、みんな見ていましたよ。その人も途中まで頑張っていたみたいでしたが、最後の五段位で諦めちゃって……。ハアハア言いながら降りてくる姿が切なくって……」
俺は言った。
「だから、そこからの枝草くんのまとめ方がよく思いつくなあって。何だっけ、『とっさの判断力、体力の衰え、最後までやり抜く忍耐力の全てに負けた男の姿がそこにはあった……』ってのが笑った」
蛍谷さんはまだ笑っている。
「相手が聞いたら気分の悪い話ですがね……」
俺は言った。
「で? その友達は?」
蛍谷さんが聞いてきた。
「ええ、随分笑っていました。俺、学生時代から時々そういう事を言っていたみたいで……、『お前は毎日退屈しなさそうだな……』って」
「うんうん……」
「で、『そういうことブログに書いたら、救われる奴多いと思うぜ』って言われて……。それで始めたら、それなりに反響があったので……」
「そうなのかぁ~」
蛍谷さんは言った。
「すみません。何かありきたりな話で……」
俺は言った。
「そんなことはないよ。でも俺は結構コラムが好きなんだよ。勿論撃墜も好きだけど」
「コラムですか……」
相手が女性以外の場合は、撃墜対象にはしていない。でも、ちょっと面白いな、と思ったことはコラムとしてアップしている。
「あの、手鞠寿司の話もすごく笑った。ほら、幼稚園の玉転がしで、お父さんが力入りすぎて、子供が大玉に乗り上げられるやつ」
蛍谷さんは愉快そうに笑う。
「ああ、あれですか。たまたま幼稚園の横を通りがかった時に見たんですよ。周りに先生がいっぱいいたからよかったけど、結構危なかったですよ」
俺は言った。
「例えがいいんだよ。『言い得て妙』って感じで……。笑ってしまったよ」
まあ、そこまで喜んでくれているのであれば、俺もブログをつけていた甲斐があるというものだ。俺個人としては、もっと面白いブログはたくさんあるようにも思っているが……。
しばらく俺のサイトの話題が続いた。驚くことに、蛍谷さんは、全ての記事を記憶していて、俺よりも詳しいかもしれない状態だった。ついでに、細かい誤植とかも空で指摘してくれるレベル。『エースパイロットの達人』の称号を与えてもいいくらい。偽サイトの話もしていた。これについても、少しだけ赤池さんに聞いていたみたいで、詳細を尋ねてきて、全部説明するのにえらい時間を要した。
「俺と葵はさ……」
いきなり蛍谷さんが話始めた。
「はい……」
とりあえず俺は返事した。
「俺と葵はあいつが大学入ってすぐに付き合い始めたんだ。新入生で一番光っていたから、一気に口説き落とした。ただ、二人の関係は、男同士の親友みたいな感じだったけどな。ところが、俺にとっちゃその方が一緒にいて楽しかったんだ。俺が四回生で今の会社を作ったときに葵が妊娠していることを知った。それも、葵以外のやつから聞いてだ。会社も始めたところで俺はめちゃくちゃに忙しかったから、言い出せなかったのかもしれない」
「はい……」
「葵の妊娠を知って、俺は会社を辞めて就職することにした。結婚して子育てをするのに、その時の状況はあまりにも将来に不安があって、こちらのご両親に心配をかけることになると判断したからだ。それから、葵とその子供に囲まれた平凡なサラリーマン人生も悪くないと本気で思ったしな」
まあ、常識的に考えたら、そうなるのかな……。
「そのことを葵に言ったら、まあ、怒った怒った……。付き合い始めて初めてあんなに怒った葵を見た」
怒った? 何故? 女性なら喜ぶところじゃないのかな……。
「その理由が、『私が見込んで惚れた男が、心半ばで夢諦めるなんて、私の沽券に関わるわ!』って」
蛍谷さんは笑った。
「『私がもっと惚れ直すようなすごい会社が完成してから、もう一度プロポーズしに来い!』って言われて、今、一旦捨てられている最中なんだよ」
話だけ聞くと、黒川さんらしい気もするけど、相当の勇気が必要だったろうな……。言っても女手一つで育てて、仕事もこなすわけだろ……。改めて凄いな……。
「葵はそれからも、俺と仲良くやっているし、若葉と会いたければ今日みたいにいつでも会える。完全にこっちの都合だけど、嫌な顔をしたこともない。もっと言うと、葵に捨てられてから、一度も他の男の話も聞いたことがなかった」
ん?
「なかった?」
「そう、ここ数ヶ月前くらいからかな……。枝草くんの名前を聞くようになったんだよ」
「いえいえ、俺は無実ですよ……」
慌てて弁解した。
蛍谷さんは手をヒラヒラさせながら言った。
「わかっているよ、君にそんな気がないことは。ただ、葵が認めた数少ない男だってこともね」
何か認められるようなことをしたか? 俺。パソコン買うのを手伝っただけだけど……。
「葵には、枝草くんとも合わせて欲しいって頼んでいたんだ。そしたら今日、メールが来て『一度で済みそうだよ』って。何のことかと思ったら、『エースパイロット』の管理人と枝草くんが同一人物。テンション上がっちゃって……」
すっかりご機嫌の蛍谷さん。
「何とも光栄なんですが……。当の本人、そこまで評価される理由が思い当たらないのですが……。しかも恐ろしいプレッシャーでちょっとトイレに……」
まあ、その通り。謙虚とか謙遜とかなし。一旦脱出して……。
「あ、トイレ、その廊下左の突き当たりね」
蛍谷さんが教えてくれた。
結構長い廊下だ。綺麗に整えられた中庭を眺めながらトイレへ。その途中、トイレの横の部屋が開いていて、中で話し声が聞こえた。覗く気はないが、トイレに行くにはその前を通るしかない。部屋の中を見ないように前を通り過ぎると部屋から呼び止められた。
「トイレか?」
黒川さんだった。話している相手はこちらからは見えない。さっきの女中さんだろうか……。
「帰ってたんですか?」
俺は聞いた。
「そりゃあな。夕食食べて帰るだろ?」
えええええ!? 夕食?
「今何時ですか?」
思わず聞いた。
黒川さんはひょいと壁に掛かった時計を指さした。ゲゲッ!六時半!? あれから四時間も話していたの? 俺?
「長居してしまってすみません!」
とりあえず謝った。
「いや、凄く楽しそうだったし。光くんがあんなに楽しそうに人と話すのを見るのも久しぶりだったから……」
どこが男二人だよ……。完全に『いい女』だよ、黒川さん……。その時、黒川さんの携帯が鳴った。
「あ、限界みたいだ……。行ってくる」
黒川さんは言った。
「どちらへ?」
俺は聞いた。
「あ、絵画教室。若葉は父親譲りで、一旦集中モードに入ると、限界が来るまで絵を描き続けるんだ。そして限界が来たら、その場に寝てしまう。今のは絵画教室の先生からの合図だ。迎えに行ってくる」
そう言ってまた出かけた。
と言うことは、幼稚園児がぶっ通しで三時間以上も絵を描き続けていたってこと? そりゃうまいはずだわ……。さっき見せてもらった絵は、確かに凄かったしな……。そんなことを考えていると、さっきの部屋から女中さんが現れた。
「枝草さんは、何か苦手な食べ物とかありますか?」
そう聞いてきた。
「いえ、お構いなく……。もう帰りますから」
俺は答えた……。
「え? お帰りになっちゃうんですか? もう準備をしているのですが……」
ちょっと困った様子の女中さん。でも、あまりに厚かましいかと思うのだが……。すると後ろから声がした。
「若葉が怒るぞ~~~~」
幽霊のポーズをした蛍谷さんがそう言った。
ああ、そうだった。若葉ちゃんと約束したんだった……。それにしても……。
ああ、もう漏れそう……。俺はトイレに飛び込んだ。




