第63話 エピローグ:帰郷Ⅰ
裁定により、門下生たちは改めて自分の帰属先を選ぶこととなった。
帝国か、南部か、それともバルドーの里か――。
総勢三十名ほどの門下生たちが、『帰属希望届』を手渡され、各々の生活を過ごしながら進路を考えることとなった。
そんな中、リセアはさっさと帝都の欄に丸を付けて、日々の治癒院の仕事に没頭していた。
治癒院に勤め始めてから、もはや一年が経とうとしている。既に自分が受け持っている患者も多く、放り出すわけにはいかなかった。それは責任感というより、寄り添いたいという気持ちの問題だ。関わりを持った相手が元気になるまで見届けてあげたかった。
イヴェリ様のこともある。最初は一番難しい病状であったが、今や外で散歩できるほどに回復している。もうすぐ自立して過ごせるようにもなるだろう。あの悩みの多そうな皇子様の眉間の皺も、きっと柔らかくなることだろう。
リセアは元から治癒術を通じて皆と話す機会が多いこともあり、この頃は帰属先の相談を持ち掛けられることも多かった。
皆の話を聞いていると、綺麗にそれぞれ十人ずつの同じような比率で分かれているようだ。活き活きと今の職場で働いている人は帝国、家族を残してきた人は南部、やはり昔の暮らしが恋しい人は里。中には帰属先を南部や里としながら、帝都で働き続ける選択をした人もいた。確かに国境をまたいで出稼ぎをすることもできる。講和が成立したのだから、門下生に限らずそんな自由な働き方も可能なのだろう。
そんな帰属先の話題について、グレンと立ち話をしていた。
グレンは相変わらず軍の万能使い走りのような役回りを引き受けている。今日は軍の医療物資を受け取りに、治癒院に訪れていた。
「俺も帝都に残るよ。元から身寄りもないし、このまま軍の仕事を続けようと思っているから」
一時期のグレンは、自分の身の置き方を迷っているようだった。
それでも二回目の会戦の前後から吹っ切れたようで、いつもの明るい調子に戻ったと思う。その方がグレンらしくて良いと思う。元気に走り回っているのが一番グレンらしい。
そうして帰属希望届の提出期限が迫る中、嬉しい知らせが舞い込んだ。
講和を祝して、そして同窓会も兼ねつつ、バルドーの里で祭りを開くというのだ。
里への帰属を選択する人の引っ越しも合わせて、久々に門下生が全員集合して里に向かうこととなった。
引率はダグラスさんである。今も患者として時折診ているが、激しい訓練でもなければ、いつも通り暮らしても良いことになっている。
門下生の働き先の面倒を見てくれた人でもあるので、皆も安心して旅の道のりに就くこととなった。
里から帝都に向かう道には覚えがあった。帝都に連れてこられたときと同じだったからだ。
でも、今の心境はまるで違う。あのときは未来がどうなるか分からなくて、まるで出荷される家畜のように沈んだ気分だったけど、今は遠足みたいに弾んだ気分だ。
荷馬車を囲んで、皆で歩いていく。里にいたときの思い出話をしたり、帝都での仕事の失敗話をしたり、話題の種は尽きなかった。
やがて里への距離が近付くと、皆の声がいよいよ湧き立ってくる。
狩りでも通った山道、釣りに来たことがある川べり、見覚えのある景色に胸がいっぱいになる。
こんなに鳥や虫の声は騒がしかっただろうか。風景が、音が、空気が何もかも懐かしい。
そして、里の入り口に大きな体の人影を見たとき、誰ともなく皆が走り出した。
「師匠だ!」
懐かしい大きな背中。真っ白な頭。気付けば、あたしも走り出していた。
「皆、仕方がないですね」
荷馬車の御者をしていたダグラスさんの声が、後ろから聞こえた。
一行に気付いたバルドー師匠が手を振っている。
そして、一番乗りの子が、師匠に思い切り抱き着いた。
次から次へと師匠を取り囲んでいく。
「よく帰って来たな、お前たち」
師匠は一人ひとりの顔を見ながら、頭を撫でたり、背中を叩いたり、声を掛けたりしていた。
「たかだか一年離れただけなのに、何だか皆、大きくなったな」
そう言いながら師匠は笑っていた。
たった一年。それなのに、本当にいろんなことがあったように思える。
グレンと一緒に兵に捕まったとき、里が軍に取り囲まれたとき、怖くて仕方がなかった。
でも、そうして訪れた帝都は案外怖い場所というわけでもなくて。
むしろ、あたしは自分の治癒術がこんなにも喜んでもらえるんだって知って嬉しかった。
治癒院も、街のパン屋も、帝都の路地も、お城の中も。
この里に居るだけでは分からなかったことをたくさん知った。
里は祭りのために、装いを新たにしていた。
屋台が出て、あちこちにテーブルと椅子が並べられている。
花やランプで飾り付けがされたり、ところどころの燭台に火が焚かれている。
既に里の皆は食べたり飲んだりしていた。
知らない住民も増えていたが、肩を組み合ったりして、すっかり里に馴染んでいるようだった。
門下生たちもその輪の中に次第に加わって、祭りに混ざることとなった。
「リセアちゃん、何だかお上品になったね。ほれ、食いな!」
「都の服を着ているだけだよ、いただきます」
猪肉、山菜、きのこの入った鍋を取り分けた椀を手に取らされ、口に運んだ。
久々に食べる、懐かしい味だなと思う。なんだか安心する。
「リセアも元気そうだな」
師匠が隣に腰をかける。顔が少し赤くなっている。
もうお酒を飲んでいるらしい。
「はい、帝都でも職場の人たちに優しくしてもらってるので」
「手紙、まめに送ってくれてありがとうな」
「なんとなく送る人がいなさそうだったから、あたしが送ってただけですよ。
治癒術師のお仕事は、魔力が切れたら手が空いちゃいますし」
これからは手紙を書く必要も少なくなる。
里に帰る人もいるし、こうやってあたしが里に帰ってきても良い。
「偉い人を治しているんだってな。小さい頃にも急に治癒術を使い出したとは驚かされたが。
それにしても出世したもんだな」
「不治の病の人なのに、なぜかあたしに治してくれって言われて、試したら段々治っていったんですよね。
確かに職場のいろんな人の治癒術を真似していたら、腕は上がった感じはするんですけど。
そういえば、聖都の人にも、私の治癒術を見たいって頼まれました。
あたしはただの里育ちなのに、何だか不思議ですよね」
そうやって首を傾げると、師匠は少しだけ遠い目をした。
「……実は理由はちゃんとあるんだ」
師匠はそこで言葉を切り、あたしの顔を見つめた。
「知りたいか」
少しだけ真剣な声だった。
でも、不思議と驚きは感じなかった。
「いいや、今は知らなくてもいいかな」
自然と、そう答えていた。
きっと、何か理由はあるんだろう。
治癒院でも、代々治癒術が得意な家系の人が多かった。
あたしの治癒術が少し優れているのなら、そういう巡り合わせなのかもしれない。
でも、それ以上は考えなくても良いと思った。
師匠は少し意表を突かれたようだった。
「いいのか?」
「いいんです」
あたしは笑って頷いた。
「だって、あたしの故里はここですし、今は帝都で誰かを癒して暮らせています。
それだけで十分なんです」
師匠は黙って聞いていた。
「何かを知ったからって、あたしがやることは変わりません。
これからも治癒術を磨いて、困っている人を助けたい。
今のあたしは、それだけで満足なんです」
しばらくして、師匠は穏やかに笑った。
「そうか……。リセアは何だか大人びたな」
「治癒術師はいろんな人とお話するから大人っぽくなるらしいですよ」
そうやって職場の先輩からの受け売りを言いながら、あたしは師匠と笑い合った。
帝都で暮らした一年は、治癒術の技術だけじゃなく、たくさんの人との出会いをくれた。
でも、心の奥底は、里を駆け回っていた頃と何も変わっていない気がする。
――変わらずに居られた。そのこと自体が幸せなことだと感じる。
目の前には、笑い合う皆がいる。
師匠がいて、仲間がいて、帰って来られる故里がある。
それだけで十分だ。
賑やかな祭りの音を聞きながら、あたしはそう思った。




