第62話 裁定
「聖都を代表し、裁定官セラファスが裁定結果を伝えます」
セラファスの声が天幕の中に響いた。書類を手に持ち、正面を向いたまま、一語一語を置いていく。
「聖都の名において、ノルスヴェイン帝国と南部所領盟約の此度の会戦について、二十年間の講和を結ぶことを布告します」
会場に少しのどよめきが走った。セラファスはざわめきを意に介さず、一呼吸を置いて理由を述べ上げた。
「この度、聖都は双方が二十年間の講和を望んだことを尊重します。
また、査察において、帝国が南部に所属していた土地や民を手厚く扱っていることも確認されました。
南部が戦闘を開始したことも、領土問題に端を発するものであり、帝国を害することが主目的ではありませんでした。
よって、講和を尊重する意思が互いに十分にあると判断しました。
永らく平和を維持することを、聖都としても強く望むものです」
一拍の後、立会人席から拍手が起きた。
次第に広がり、天幕の中が拍手に包まれた。
フェルクもまたセラファスの裁定を聞き、息を一つ吐いた。
二十年。自分が掲げてきた望みが、今ここで公に確かなものになったのだ。
拍手が収まるのを待って、セラファスが続けた。
「続いて、バルドーの里の帰属について裁定します」
新たな焦点に移り、天幕が再び静かになった。
「バルドーの里は独立領とし、帝国と南部のいずれにも帰属しないものとします」
どよめきが起きた。帝国側からも、南部側からも声が上がる。
「南部の要望と同じ結論となりましたが、これは査察において確認された現状に基づく判断となります。
里の住民は、帝国と南部のいずれに対する帰属意識も希薄でした。
自分の里は自分の里であり、それ以外の何ものでもないという認識が共通のものでした。
里の長であるバルドー自身も、これ以上の領土的な混乱を避けたいとの意向でした。
帝国に帰属させれば南部の承知が得られず、南部に戻せば移住してきた民の生活が脅かされます。
よって、バルドーの里を独立領とし、両国と分け隔てなく交流することを裁定とします」
立会人席から「なるほど」という声がまばらに上がった。
フェルクも内心で頷いた。あの里を見た者であれば、この裁定の正しさは分かる。
帝国の主張は退けられた。帝国としては、バルドーの里は現状でも融和的な立ち位置にあったことから、引き続き帝国領であることを主張したものだった。
しかし、独立領という着地は、あの賑わいを保つという意味でも、バルドーが「もう里をバラバラにしてくれるな」と言った言葉に一番近い答えでもあった。
「次に、バルドーの里から移送された門下生たちについて裁定します。
門下生たちの所属については、個人の意向に基づき、帝国、南部、バルドーの里のいずれにも帰属できるものとします。
なお、判断の猶予期間は二か月間とし、それまでに判断がつかなかった場合には、バルドーの里に属するものとします」
引き続き、門下生の処置についても裁定が伝えられる。
「これも査察において門下生から聴き取った境遇に基づく判断となります。
門下生たちは年若い者が多く、その伸びやかで柔軟な感性と態度、里で培った高い基礎能力などから、既に帝都における仕事場でも頼りとされるところでありました。
そのことについて、本人らも快く思っている事例が大半でした」
帝都の査察の際に職場を訪問した際の、少年少女たちの顔が思い浮かんだ。
「しかしながら、里から強制的に引き離されたことも事実です。
よって、本人に改めて帰属を選択させる機会を与えるのが妥当であると判断しました」
元門下生たちは、今は落ち着いてはいるものの、里から移送した際には動揺する者も多かった。
治安上やむを得ない措置という側面はあったが、聖都が改めて助け舟を出してくれるのであれば、彼らの心残りも和らぐことであろう。
「次に、鉄の取引関税について裁定します。こちらは従来よりも半減させることが適切と裁定します。
撤廃では鉄鉱産業の保護に支障をきたす懸念があることから、半減が適切と判断します。
なお、南部は海都アクレヴィアとの知己も得たことから、そちらからも鉄材を仕入れることができると鑑み、国家間の競争の元でも関税の引き下げが期待できることから、帝国に撤廃という強い措置を求めないこととしました」
リュセトが「なるほど、聖都は経済も考慮できるんだね」と隣で小さく呟いて、腕組みをした。
「最後に、今回の会戦に係る補償については、聖都は裁定を出しません。
帝国と南部で真摯に協議を重ねることにより、互いに納得のいく補償額を導き出すこととします。
両国の関係性を鑑みて、十分に前向きな話し合いができるものと判断します」
以上を裁定として読み終えたセラファスは、書類を卓に置いた。
天幕の中が静かになった。裁定の内容が全て出揃ったことで、誰もがその内容を振り返って理解に努めている。そういう静けさだった。
セラファスは少しの間を置いてから、改めて口を開いた。
その声の質は、裁定を読み上げていたときと変わり、幾分か柔らかな調子であった。
「最後に、私個人としての所感を述べさせてください」
天幕の中が静まった。
「この会戦にまつわる時間の中で、多くの方が亡くなりました。
会戦で直接に刃を振るった方々のみではありません。
働き手を戦争に送り出し、飢えて亡くなった農村の人々も。
そして会戦が始まるまでにも、帝国と南部には諍いの歴史がありました」
セラファスは会場を見渡しながら、少しの間を置いた。
「人は悲しみを忘れることはできません。
それでも、新たな悲しみを生まない努力をすることはできます。
死の上に死を重ねて、血で血を洗う歴史が繰り返されてはなりません。
死者たちが安らかに眠れるように、この裁定が悲しみを遠ざける礎となることを願ってやみません」
セラファスの、まるで諭すような所感が語られた。
きっとディオゼと自分とのやり取りを踏まえての、セラファスなりの思いやりなのだろう。
自分はディオゼの哀しみにうまく言葉を尽くせなかった。
しかし、セラファスが裁定を通じて、後押ししてくれた気がした。
セラファスの言葉がディオゼに響くものにであってくれれば良いと、そう思った。
そして、セラファスは深く頭を下げた。
「以上をもって、今回の裁定を終了します。
聖都として、ノルスヴェイン帝国と南部所領盟約の間に、永き平和が実現することを祈念します。
今回の裁定は、当事者たちの事情をできる限り汲む形で判断したものとなります。
ノルスヴェイン帝国の皆様、南部所領盟約の皆様、そしてバルドーの里に関わる皆様。
ご協力いただいた皆様に感謝申し上げます。
この裁定に賛同いただける方は、拍手を願います」
最初に手を打ったのはフェルクだった。考えてからではなく、体が先に動いた。
次に響いた拍手は、通路を挟んだ向こうからだった。
ディオゼだった。
二人の拍手を追うように、アルヴィとリュセトが続き、ユキウスが続き、立会人席が続き、天幕の中が満場の拍手に包まれた。
拍手が鳴りやんだ頃、ディオゼがフェルクに歩み寄った。
「永い平和にしようぜ」
ディオゼは清々しい声で切り出し、右手を差し出した。
フェルクはその手を取った。
「互いに手を尽くそう」
手と手を固く握り合った。
再び、会場は拍手に包まれた。
ヴァスケルが目を閉じているのが見えた。
老兵の胸の内で、新しい時代の到来に思いを馳せているのだろう。
そして、ルーシェは拍手をしながら、その瞳から一筋の涙をこぼしていた。
拭わずに、ただ前を向いている。
未来を担う彼女の心に今日の日が深く刻まれたのなら、きっと平和の願いは受け継がれていくのだろう。




