第60話 それぞれの描く未来
「まずは、帝国と南部、それぞれの代表者が発言者台に立ち、双方の要望書を読み上げてください」
セラファスの穏やかな声が天幕の中に響いた。
こちら側の席を見やって告げた。
「帝国より発言をお願いします」
フェルクは立ち上がり、発言者台へと向かった。
台の上に要望書の写しを置き、呼吸を整えた。
「ノルスヴェイン帝国を代表し、第三皇子フェルク・ヴァル・ノルスヴェインが要望書を読み上げる」
書面を広げ、口を開いた。
これまで練り上げてきたものを、初めて表に出す瞬間である。
「ノルスヴェイン帝国は、南部所領盟約との二十年間の講和を希望する」
一文を読み上げた瞬間、天幕は騒然とした。
平静を保っているのは、帝国の関係者席とセラファスのみだ。
ディオゼとユキウスが向き合い、ルーシェは驚きで口を押さえている。
天幕の後方の立会人たちも驚いて、顔を見合わせている。
「二十年だって!?」 「あの帝国が……」 「まさか、こんなに長く」
商人たちと南部の領主たちの驚きが大きいようだ。
波がさざめくように、誰彼のささやきが広まっていく。
「静粛に」
セラファスの一言で、波が引くように静まった。
どよめきが収まったことを確認し、フェルクは続きを読み上げた。
「なお、バルドーの里については、帝国の食料供給に著しく貢献していることから、引き続き帝国領としての扱いを希望されたい。
また、バルドーの元門下生についても、既に帝都の一員として生活が定着していることから、そのまま帝都の民として扱われることを求める」
厩舎の主が気づかわし気に少年を見やるのが目に入った。少年は固唾を呑んでこちらを見ているようだ。
まさに己の未来に関わる話が語られているのだ。彼は何を思って、自分たちの主張を聞いていることだろうか。
「これらと引き換えに、南部所領盟約に係る鉄の取引の国家間関税を従来より半減させるものであり、また相応の金銭的補償の支払いを約束するものである。
以上をもって、帝国の要望書の読み上げとする」
フェルクは一礼をし、自席へと戻った。
誰も声をあげずに、フェルクを迎えた。アルヴィとリュセトは小さく頷き、労いをこちらへと投げかけた。
「続いて、南部より発言をお願いします」
セラファスの進行により、ディオゼが前に出た。
査察の旅のときは飾らない気さくな人物の印象だったが、今は落ち着いた凛々しい様子である。
南部領主の代表として相応しい立ち居振る舞いを徹底しているのだろう。
「南部所領盟約を代表し、領主代表ディオゼ・グランヴェルが要望書を読み上げる」
ディオゼは帝国側の席を見やってから、続きを読み上げた。
「南部所領盟約は、ノルスヴェイン帝国との間に、十年間の講和を希望する」
会場に少しのざわめきが起こったが、ディオゼはそのまま続けた。
「なお、バルドーの里については、既に帝国からの移民が進んでいることから、南部への帰属は困難と判断する。
しかしながら、元より南部の所領に属した土地であることを鑑み、帝国と南部のいずれにも属さない独立領としての扱いを認められたい」
商人らが「なるほど」とささやく声が聞こえた。
帝国も恐らく南部がそのように要望するだろうと踏んでいた。
隣でアルヴィとリュセトは手元でメモを走り書きしている。
「バルドーの元門下生については、本人らの自由意思を尊重し、彼らが所属する国を自ら選べるように取り計らうことを望む」
これも南部が要求できる線引きとして、妥当なところと思われる。
「バルドーの里及びその門下生については、元より南部に帰属するものであった。
帝国にはこれを侵害した責として、鉄の取引に係る国家間関税を完全に撤廃するとともに、また相応の金銭的補償を要求するものである。
以上をもって、南部の要望書の読み上げとする」
ディオゼは要望書を折りたたみ、一礼して元の席に戻った。
フェルクは頭の中で双方の要求を照らし合わせた。
講和の期間は帝国が長い。通商と金銭の問題は交渉の余地がある。
バルドーの里の扱いは両者とも食い違っている。門下生については、南部は個人の意思に配慮している。
セラファスは左右に書面を並べて頷いた。
「双方の要望、確かに承りました」
一拍を置いて、周囲に語り掛ける。
「この内容について、ほかに付け加える意見があれば伺います」
帝国からは手は上がらない。
一方で南部側はディオゼが挙手をしていた。
「一点、意見を追加させていただきたい」
セラファスが「発言をどうぞ」と促したので、ディオゼは再び発言者台へと着いた。
「我々は帝国が五年ほどの講和を望むであろうと踏み、さらに長きの平和を望む意図で十年間の講和期間を提示した。
しかし、帝国が二十年間の長き平穏を望むのであれば、我々としても異存はない。
南部所領盟約もまた、二十年間の講和に賛同する」
会場に二度目のざわめきが起きた。しかし、これは驚きというよりも安堵といった歓声である。
アルヴィは腕組みをし、リュセトは「なるほど」と小さく呟いていた。
セラファスは大きく頷き、「承りました」と答えた。
「南部の追加意見として記録します」
両側に控える神官二人に目くばせをし、互いに頷き合った。
ディオゼは「ありがとうございます」と言って、一礼をした。
しかし、そのまま前を向き、発言者台に両の手を置いていた。
強張った表情で、何かの覚悟を決めているようだった。
「まだ、お話がありますかな」
セラファスは何か異様なものを感じ取ったのか、ゆっくりと語り掛けた。
「はい、発言を続けさせてください」
ディオゼはそう言った後で、大きく息を吐き、肩の力を抜いた。
しかし、大切なものを確かめるように拳を握りしめた。
「これは意見じゃない。そして、領主として言うべきことでもない」
ディオゼの声音はすっかり変調していた。旅の最中にも聞いた、親しみを感じさせる語り口だった。
「しかし今だけは、帝国との戦いで妻を失った一人の夫として話したい。
俺の無念の話を聞いてほしい」
音という音が消え、誰も声を発しなかった。
天幕の布が外の風で一度だけ揺れ、また静まった。
誰もがディオゼを見て、ただ一人の男の話に耳を傾けていた。




