第59話 開廷
帝国の三皇子とヴァスケルを載せた馬車が、平原の慰霊碑の前に着いた。
フェルクは馬車から降りて、辺りを見渡した。
まず目に付くのは、一張りの巨大な天幕であった。夏の陽の光を浴びて、白く輝いている。今回の裁定の会場であり、帝国と南部が一緒に設営したものである。
査察の旅に出る以前と比べて、この平原の静けさと清廉な空気がさらに増したように思えた。
あちこちで帝国、南部の関係者らが立ち話をしているが、騒がしくは無い。この裁定の行く末に誰もが思いを馳せ、皆がしめやかな雰囲気を共有しているようだった。
慰霊碑には花が手向けられていた。色とりどりの花は、帝国と南部のものが入り混じっている。
祈りを捧げる者も居た。この地で散っていった者たちもまた、今日の日の裁定を見守っているのだろう。
「陽射しが暑いね。僕たちも入るとしよう」
アルヴィに従って、フェルク達も天幕の中に入った。
既に大方の席は埋まっている。自分たちの到着が最後に近かったようだ。
天幕の中央の奥は一段高くなっており、講壇がある。まさしく裁定官セラファスのための演台である。
その向かい合わせに距離を置き、発言者の台が備えられている。
後ろには左右に分かれて、長椅子が置かれている。
右側は南部の席となっており、既にディオゼらが席に着いていた。ユキウスとルーシェも隣にいる。南部は全員が揃っているようだ。
一番後ろには任意参加の立会人の席も設けられている。見渡すと、帝国からは上級官吏が、南部からは地方領主が、そして国を問わず商人らが既に席に着き、近くの者とささやき声を交わしながら、開始を待っているようだった。
裁定の結果如何が統治や商売を大きく左右する。顛末を見届けて一番に時流を掴もうとするのは賢明な心掛けであろう。
その他にも戦死者の遺族と思しき平民の姿や、僧衣に身を包んだ宗教者も見られた。
立会人の顔ぶれで驚かされたのは、バルドーの元門下生を受け入れた厩舎の主であった。日焼けした肌と大柄な体格が場違いで目立つが、今日は黒色の品のいい服を纏っている。横合いには、元門下生の少年が落ち着かない様子で座っていた。
確かに少年は里への未練が残っている様子ではあった。
『戻れるなら戻りたいです。友達と一緒に訓練したり、狩りをするのが楽しかった。でも、もうみんな離れ離れだし、元には戻れませんよ』
少年の心情に整理をつけるために、主が連れて来たのかもしれない。元門下生たちもまた、この裁定の結果に大きく人生を左右されかねない当事者たちである。この裁定の場に立ち会うべき人物であることは確かなのだ。
バルドーの里の境遇は極めて特殊であるため、フェルクら視察をした者たちですら、どのような裁定となるかの予測がつかない。当人がそわそわしているのは無理もないだろう。
一方で、バルドー当人の姿は見られなかった。里で言うべきことは言ったというところなのだろう。
それはそれで、バルドーらしい潔い構え方だと思った。
フェルクらも自分たちの席に着いた。発言者の台を見上げる格好となる。
帝国の代表発言者はフェルクである。会戦の当事者であり、一連の経緯に深く関わっていることから、兄らを通り越す形で代表者とされた。
そのため、フェルクは最も中央寄りに座ることとなった。
フェルクはこの場において、剣ではなく言葉を以って、国の意思を表明することとなる。
それとなく胸元のメダリオンに手をやり、大一番が滞りなく終えられることを祈った。
帝都で待つイヴェリのためにも、平和な御代をもたらさなくてはならない。
そして自分の破滅を遠ざけるためにも、自ら講和を手繰り寄せねばなるまい。
兄上二人、アルヴィとリュセトを挟んで、その隣にヴァスケルが座っている。
旅の最中で見てきたこともあり、官服の姿も見慣れてきた。それでも普段と違って、背筋を伸ばして、真っ直ぐを見据えている姿は、日頃の暗部の所作とはかけ離れている。
ヴァスケルも交えて要望書に係る最後の話し合いをしたときも、異を唱えることはなかった。
査察の旅で、ヴァスケルが何を感じたのかは分からない。
しかし、講和自体には納得しているようであった。バルドーへの態度の軟化といい、自身の心情の中で整理をつけたのだろう。旅の最中にも増して、ヴァスケルは静かな様子であった。
長椅子の切れ目の隣にちらりと視線をやった。そこには即ち南部の代表者が座る。
当然ながら、領主代表のディオゼであった。こちらの視線に気づいたのか、軽い会釈を交わす。
バルドーの里を共に訪問したとき以来の対面であった。
あのときはバルドーに南部への肩入れを断られ、若干の落胆をしていた様子であった。
しかし、今はどうやら清々しいような面持ちで前を見据えている。何らかの前向きな心境の変化か、あるいは吹っ切れるようなことがあったのかもしれない。
天幕が急に静かとなった。聖衣を纏った神官二人が入ってきた。携えた書類を講壇の端に置き、その脇に控えた。
そして、セラファスが姿を現した。巡礼のときと異なって背の高い神官帽を被り、荘厳な聖衣を身に纏っている。セラファスの姿を見た者たちが次々と起立する。セラファスはゆっくりと一歩一歩、講壇へと向かっていく。
巡礼のときは人好きのする温厚な老人のように立ち回っていたが、今はすっかり厳粛な聖職者の立ち居振る舞いである。一つ一つの仕草が泰然自若としている。
やがてセラファスが講壇に立ち、自らの前に書類を置いた。
ゆっくりと会場を見渡し、そして南部の席に目をやる。
それが終わると、こちらの帝国の席に目をやった。
セラファスと自分の目が合ったが、感情は読み取れなかった。高みから人の営みを見降ろす巨大な老鳥のように、穏やかで超然とした目つきであった。
全員が揃っているのを確認したのだろう。セラファスはゆっくりと頷いた。
そして、穏やかな声で告げる。
「それでは――、双方より提出された要望書に基づき、裁定を始めます」
息を呑むような静けさの中で。
遥かなる巡礼と、十五日に及ぶ準備を経て――。
帝国と南部の未来を決する裁定が幕を開けた。




