第57話 バルドー
板張りの道場の奥の広間にて、一同は会した。
バルドーが奥に鎮座し、堂々と胡坐を組んでいる。そこに対面する形で一同が座しているため、まるで里長に教えを乞うている格好にも見える。
遠くから子どもたちが庭先ではしゃいでいる声が聞こえていた。
そしてセラファスがバルドーの正面に座り、問答が始まった。
「まずバルドー殿は、この里に帝国の寒村から大量に移民が来ると聞いて、どう思いましたか?」
バルドーは気負わずに率直に答える。
「そのときは門下生たちを帝都に連れていかれた後だったからな。働き手不足になっちまったし、どこの出身でも働き者が来るなら大歓迎って感じだったさ」
「元の住民との軋轢は生じませんでしたかな」
「俺からも言い聞かせていたし、さほどなかったな。あっても俺が仲裁した。どこから来たかじゃなくて、そいつがよく働くかどうかで見てやれって言って回ったんだ」
「バルドー殿は帝国と南部の融和、一体化をお望みでしたかな」
「そんな大層な理想を持ってるわけじゃねえよ。この里に来た頑張り屋には腹いっぱい食わせる、正直者に頼られたら力を貸す、そんだけの話だ。例え、聖都やら海都やら草原から誰かが流れてきても、扱いを変える気はねえよ」
「なるほど。里を見てきましたが、確かに出身に関係なく、誰もが和気あいあいと暮らしているようでした。これからもそのように分け隔てなく住民を受け入れていくつもりですかな」
「おうともよ。それと俺から裁定官殿に頼みがあるんだが」
バルドーはずいと身を乗り出し、セラファスをじっと見つめた。
「聞きましょう」と、セラファスは端的に答えた。
「もう里をバラバラにしてくれるな。俺が望むのはそれだけだ」
セラファスは微笑みを張り付けたまま、一拍を置いた。
「ご要望は承りました。ここでお約束はできませんので、ご理解ください」
バルドーはその返答に食い下がらずに、「まぁ立場上そうだろうな」と一息を付いた。
「言うことは言ったぜ。俺からはそれだけだ」
バルドーは足を組みなおした。二人の対話は一区切りが着いたらしい。
沈黙が降りた中、ディオゼが手を挙げた。
「バルドー、俺からの頼みを聞いてくれないか」
バルドーは視線だけを遣って、「何だ?」とだけ問うた。バルドーにしては静かな調子だった。あたかも、これから言われることが分かっていて、敢えて感情を抑えているようにも見えた。
「御大は南部の出身だろう。南部に与してはくれないか。
その武勇と人望が欲しい。南部の力にはなってほしい」
ディオゼが頭を下げた。バルドーはその様子をじっと見降ろしていた。
「里の者がそれを望むと思うか」
バルドーは低い声でディオゼにゆっくりと問うた。
「……望まないだろうな」
ディオゼは苦い表情で返した。
「分かってるじゃねえか。それが答えだ」
バルドーは、ふうと息を吐き、表情を和らげてディオゼに語り掛けた。
「お前は南部の首魁だからな。立場上、そう言わなければならねえのも分かるさ。
だが、俺だって南部の出身である前に、今はこの里を預かる長だ。
今の俺は南部のためだけに力を振るう気はない。
お前はお前で頑張りな」
バルドーに諭され、ディオゼは少しだけ肩の力を抜いた。
「……そうだな。無理を言って、すまんかった」
ディオゼは仕方なさげに引き下がった。無理を承知で頼んでいたのだろう。要望を断られたが、ディオゼの表情はそれほどに険しいものではなかった。
「儂からもよろしいかな」
次に前に出たのは、――なんとヴァスケルであった。
フェルクは目を見張った。ヴァスケルとバルドーには因縁があったはず。何を言うつもりか――。
一方でバルドーは軽く首を傾げる。誰だったかと記憶を探っているようだ。
「儂の顔と、名前を覚えているかな」
ヴァスケルは静かな調子でバルドーに問いかけた。
バルドーは煮え切らない表情で答えた。
「どこかの戦場で見た目つきだ。
俺と同じ年代のノルスヴェインの、その傍にいたような……。
名前までは思い出せんな」
ヴァスケルは回答を聞いて、自嘲的な笑みを浮かべた。
「ほほ、そうであろうな。無理もない。我らの時代は随分と前だ。
では、名も無き老兵の願いとして、聞いてくれれば良い」
バルドーは何も言わずに続きの言葉を待った。
「ここに来た帝国の民を、これからも世話してやってくれ」
ヴァスケルは頭を下げて願い出た。日頃の苛烈で不敵な構えからは想像もつかない姿だ。
その身に纏った官服と相まって、あたかも忠臣が陳情をしているかのように粛然たる態度であった。
場の空気が音を失う中で、バルドーはじっとヴァスケルを見ていた。
「もちろんだ。今まで通り、腹いっぱい食わせてやるさ」
バルドーはゆっくりと力強く答えた。
ヴァスケルは一度顔を上げ、もう一度頭を下げた。
「かたじけない」
老兵とバルドーのやり取りは、それで終わった。
かつて刃を交えた因縁の間柄と思えないような、静かなやり取りだった。
セラファスが立ち上がって告げた。
「バルドー殿、本日はありがとうございました。査察を終了します」
「そうか」と、バルドーもまた立ち上がった。
「里の民のために、いいようにやっとくれよ」と念押しし、道場の戸を開け放った。
夕暮れの里の光景が、視界に舞い込んだ。
里の門前にて、セラファスが一行に向き直った。
「これを以って、全ての査察は終了となりました。よって、これからの流れを伝えます。
まずは両者で協力し、あの平野の慰霊碑の傍に裁定のための天幕を設営してください。
私はそこに控えますので、双方の裁定に係る要望書をそれぞれまとめ、十日以内に私へ提出願います。
要望を精査したうえで、十五日後、その天幕において裁定を行います。
その場では提出を受けた要望を改めて双方に確認し、最後の意見を伺ったうえで裁定結果を伝えます」
セラファスが裁定に向けた手続きを言い渡し、巡礼は終了となった。
バルドーの里の門から北と南に分かれ、それぞれの帰途に着いたのだった。
フェルクはヴァスケルに馬を寄せ、その意を尋ねた。
「なぜバルドーに頼んだ」
ヴァスケルはゆっくりと答えた。
「かつての仇敵であったとしても、今は飢えた帝国の民を受け入れた者じゃ。
それに刃を合わせた記憶の新しい若から頼まれるより、名も忘れた老兵から頼まれた方が、バルドーも素直に聞き入れやすいじゃろう。
義には義を以って頼んだ。それだけのことじゃよ」
フェルクに対して、ヴァスケルは穏やかな調子で諭すのだった。
査察の旅の最中、ヴァスケルを講和に向けて説き伏せねばとずっと思っていた。
しかし、その必要もなさそうだった。
確かにそうであろう。帝国がどんな未来を望み、どんな未来が実現できるか。
それは自分が口先で語って言い聞かせることではない。
既に見てきた村、街、都、そして人を見て、その可能性が判断されるのだ。
今を守るか、あるいは良くするために、何が最善であるかという答え。
それを決める判断材料は、全て既に出揃っていたのだった。
裁定の日は近い。
振り返り、小高い丘からバルドーの里を改めて見降ろした。
里にはあちこちで炊事の煙が立ち上っていた。
帝国の者も南部の者も、あの里では同じ火を囲んで、今も笑い合っているのだろう。
その温かな営みが途絶えぬようにと願いながら、フェルクは馬を走らせるのだった。




