第53話 ルーシェ
フェルクは外套の帽子を目深に被って、ディオゼの領に入ることとなった。
これは道中でのディオゼの忠告に従ってのことである。
「お前さんは有名人だ。前線で戦った奴なら、顔を覚えている奴がいるかもしれねえ。
騒ぎになったら目も当てられない。俺の屋敷に入るまでは顔を隠しておけ。
お前さんを守るためじゃねえ。俺たちに石やトマトの流れ玉が飛んでくるのを防ぐためだからな」
フェルクはディオゼの領主屋敷に入り、外套と帽子を脱いで一息をついた。
妙な緊張をする羽目になったし、真夏に顔を覆うなど暑くて仕方がなかった。
汗を拭うフェルクを見て、リュセトが苦笑していた。
「ディオゼ殿、冷たい飲み物の差し入れをお願いするよ。
そうでないと、弟が話し合いの前にのぼせてしまうからね」
ディオゼもまた苦笑しながら、家人に果実を絞った飲み物を人数分頼むのだった。
応接間で旅の疲れに一息をつきながら、セラファスが本題を切り出した。
「ここではルーシェ殿のことを聞いて回りたいと思います。
なので、皆さまにはしばらくの間、屋敷にて待機願います。
フェルク殿もそうですが、領主のディオゼ殿、ユキウス殿、ご本人のルーシェ殿も待機です。
気を遣って、お話をちゃんとうかがえないのは、よろしくありませんからね」
名前を呼ばれた者たちは、仕方なしに頷いた。
ディオゼが緊張し、当惑したような面持ちで問いかけた。
「うちの領民に、ルーシェの何を聞いて回るんだ」
「ルーシェ殿の人となりと、旗頭になった経緯のお話ですね。
最後にご本人にも尋ねますので、よろしくお願いします」
「は、はい」とルーシェもまた緊張しながら応じた。
ひとしきり説明が終わり、セラファスはヴァスケルらの警護の者だけを伴って領主街の聴き取りへと出発した。
残った面々は帝国と南部に分かれ、それぞれの部屋を宛がわれて、しばしの待機となった。
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セラファスが最初に聴き取りを行ったのは、街の門衛の青年であった。
「ルーシェ殿ですか。我々もよく存じています。
以前は夕方に我々の門を通り過ぎて、郊外の丘に風魔法の訓練に行くのが日課でしたね」
「以前? その習慣が途絶えたのですか?」
「ええ、昨年の秋頃、ディオゼ殿が珍しく迎えに出向いたあの日から頻度が落ちましたね。
今思えば、あの日にきっと『翠風』の名を背負うことを決めたのでしょうな」
「ルーシェ殿はご自身で旗頭の役目を担うと決めたのですかな」
「はい。我々はそのように聞いております。
元よりご領主の自慢の娘さんでしたから、やはりご立派であるなと感服しておりました。
ただ……」
門衛の青年は目を伏せてから、言葉を続けた。
「我々も武官の端くれ。少女に重荷を背負わせるしかなかったことを恥じ入るばかりです」
「南部軍にとって、ルーシェ殿は欠かせない存在でしたかな?」
「はい。見事にお役目を果たしておいででした。
あの風が矢雨を防ぎ、また何人もの兵が風に後押しされて奮起しました。
ルーシェ殿がいなければ、帝国の猛威の前に我々は瓦解していたかもしれません」
次に目新しい証言が得られたのは、パン屋の女店主からであった。
「ルーシェちゃんかい。ああ、小さいころから知っているよ。
立派に大きくなったもんだねぇ」
「ご自身から『旗頭』に名乗り出るような娘さんでしたかね」
「いやあ、真面目な子ではあったけど、どちらかと言えば控えめな優しい子だったよ。
だから、『翠風』なんて大層なものを名乗るって聞いて、びっくりしたよ。
無理にしょい込んでないかって心配したもんだよ」
「では、周りに言われて、やむ無く旗頭を引き受けたのでしょうか」
女店主は腕組みをして考え込みつつ答えた。
「いや、無理やりっていうわけでもないだろうね。
ご領主様は、奥様の忘れ形見のルーシェちゃんを本当に大切にしている。
本人が本当に嫌がったら、きっと無理にやらせることはなかったさ。
ルーシェちゃんには立派な血が流れているからかね。
望まれたら期待に目一杯応えるような、本当に真面目な子なんだよ」
最後に一行が訪ねたのは、領主館からほど近くの訓練場であった。
ルーシェと年の頃が同じくらいの少年に話をうかがった。
「ルーシェについてですか。はい、よく木剣で手合わせをしています。
俺とは負けたり、勝ったり、同じくらいの腕ですね」
「あなたはルーシェ殿を『翠風』と称したり、敬称をつけて呼ばないのですね」
「昔からの仲ですからね。旗頭になったって話を聞いて畏まったら、ルーシェに怒られたんですよ。
いつも通りに接してくれって。本当は格好つけたり、飾ったりが苦手な奴なんです」
「目立つのが苦手なのに、ルーシェ殿はどうして旗頭を引き受けたと思いますか」
「難しいけど、多分、責任感と、それと南部の領への思い入れですかね。
訓練をサボった奴に怒ったりとか、本当に真面目な奴なんです。
それに自分が南部のために何かできるっていうのが嬉しかったんじゃないかな。
領主である父の力になりたいって、よく言ってましたからね」
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「最後に、ご本人のルーシェ殿におうかがいします」
夕刻、ディオゼの領主屋敷の応接室に全員が集まり、セラファスの問いかけが始まった。
「南部の旗頭として立つことは、自らが決めたのですか。それとも誰かに求められたのですか」
ルーシェはディオゼとユキウスにちらりと目をやってから、口を開いた。
「父上とユキウス様に頼まれましたが、決めたのは私です」
フェルクは、よく響き渡る凛々しい声音であると感じた。
ルーシェを遠目で見かけたことがあっても、間近で姿を見て、声を聞くのは初めてであった。
「なぜ引き受けようと思ったのですか」
少し考え込むように視線を落としてから、ルーシェは答えた。
「いろんな思うところはありましたが、皆の期待に応えたいと思ったからです。
私が前に立つことで、父や南部の皆が勇気づけられるのなら、そして私にその力があるのなら、精一杯を尽くしたいと思いました」
まるで英雄のような受け答えだと思った。いや、実際にルーシェは南部の英雄だったのだろう。
前世でゲーム内で受けていたルーシェの印象は柔和なものだったが、今は堂々としているようにも見える。それが彼女本来の資質なのか、それとも周りに願われて身に着けた性質なのかは判別がつかない。
立場が人格を作るのか、人格が立場を選ぶのか、そんな命題は大人にだって分からない問答だ。
「後悔はありますか」
セラファスの難しい問いかけが続くが、ルーシェは懸命に答えを探っていた。
「怖いと思ったことも、私には重すぎる役割だと思ったこともあります。
でも、話を受けなければ、ただ父を遠く後ろから見ているだけだったら、もっと後悔すると思ったから受けました。
前に立つと決めたことは、きっと正しかったと思っています」
セラファスは優しく頷きながら、ルーシェの話を聞いていた。
「ありがとうございます。最後に、ルーシェさんは将来何になりたいと思っていますか」
予想外の質問だったのか。ルーシェは「えっと……」と困惑しながら答えた。
「この家を継ぐことです。私が領主になるのか、それとも夫を領主に迎えて妻として支えるのかは分かりませんが、父に恥じない娘で在り続けたいと思っています」
ディオゼが感じ入るように目を瞑っているのが視界に入った。
日が暮れたため、その日はディオゼの迎賓館に泊まることとなった。
運ばれた食事を摂りながら、リュセト、ヴァスケルと会話を交わした。
「兄上、自分から『翠風』になったという話だが、これは南部にとって有利に働くのか」
リュセトは難しい顔をした。
「うーん、何とも言えないかな。
強制でないのは、心証的には良かったかもしれない。
でも、少女がそこまで思い詰めて決めざるを得ない状況であったことも確認された。
結局、あの子が旗頭として立つ結果は同じだったんだね」
ヴァスケルは顔色を変えずにつぶやいた。
「さして悲劇的でもなかろう。
あなた方も皇族の義務を果たし、そのお役目に徹しておる。
あの娘とて領主の娘じゃ。その役割を果たす機会が、あの時は『翠風』であった。
それだけの話じゃろう」
確かに聴取した結果として、有利にも不利にも働かない場合もあるだろう。
それでも争いがなかったとすれば、ルーシェはあのような悲壮な決意を固めることもなかった。
少女は羽化せざるを得なくなった。争いが一人の人生を変えたことは確かなのだ
窓を開けると、夜風が顔を撫でていった。
異国の地の風を感じながら、フェルクは『翠風』という英雄に思いを馳せていた。




