第51話 巡礼の始まり
帝国と南部の国境、東の平野の会戦地からほど近い小高い丘の中腹に、石の碑が立てられていた。
石碑に文字は刻まれていない。帝国と南部の石工がともに組み上げたという石が、夏の光を受けて静かに立っている。
アレイネの勧めにより建てられたものだという話は、既に両国に伝わっていた。
『無理に建てろとは言わないけどね。こんな争いは二度と御免だと思うんなら建てておきな。
ここで亡くなった者を、帝国と南部の区別なく弔うためにね』
フェルクは、再びこの平原に訪れたのかと軽く息を吐いた。
秋の最初の会戦は馬で駆けつけて、初夏の会戦の惨状は記憶に新しく。
そして今、真夏の平原はすっかり綺麗に片づけられて、いっそ物寂しくさえ見える。
帝国から来た人員は、フェルク、リュセト、アルヴィ、そしてヴァスケル、あとは随員の者たちだった。
皆が正装であった。それはヴァスケルも含めてである。
ヴァスケルは深い紺の上衣に、帝国の紋章を縫い込んだ正装に身を包んでいる。
目立たないことを是とするはずの男が、今日だけは粛然と立っている。
フェルクは何度見ても違和感が拭えなかった。暗部として影に控えるときとはまるで異なる装いだ。
ヴァスケルは仕事柄、人の視線を誰よりも敏感に察する。注目を浴びながら弁明したのだった。
「儂は今、暗部の者ではない。この査察が終わるまでは皇帝の右腕だった頃に戻ろう。
閣下の名代として全てを見届け、新しきものが嘘か誠かを、この目で判じるのみじゃ」
しわがれた声は朗々としていた。闇に溶ける影は、今くっきりと形を成していた。
石碑を挟んだ南部側では、ディオゼ、ユキウス、ルーシェとそのお付きの者たちが揃い踏みであった。
そして、石碑の傍らにアレイネが控え、両者を見渡している。
アレイネは身綺麗にはしているものの、いつもの治癒官の仕事着そのままだ。
なるほどこれも正装ではあるのかもしれない。さっさと本業に戻りたい気持ちの表れなのだろう。
「さて、うちの上司も早く来てくれないかね。
こんな進行役なんて柄じゃないから、早く終わらせてほしいよ。
お、ボヤいてたら、やっと来てくれたね」
アレイネの眺める先から、一台の馬車がゆっくりと姿を現した。
車体には聖都の聖印が刻まれている。白馬に曳かれたその馬車は、静かに慰霊碑の前へと近づいてきた。
御者により扉が開かれ、一人の男が降り立った。
白い聖衣を身に纏った初老の男性であった。
柔らかな眼差しで周囲を見渡し、まずは軽く手をあげる挨拶をした。
男は真っ先に慰霊碑へと歩み寄り、帽子を取って静かに黙祷を捧げた。
目を閉じてじっと祈っている。誰も何も言わない時間が過ぎた。
そして、たっぷり時間をかけてから向き直ったところに、アレイネが傍に控えて声を発した。
「この度の仲裁のために、聖都より裁定官が派遣された。
聖都は帝国にも南部にも与しない。我らが認むるは真心のみである。
双方とも虚飾なく、あるがままを示されたい。
どうか、この碑に眠る者たちに恥じぬ言葉を交わされよ。
我らはその真贋を見届ける者なり」
アレイネの厳かな口上を受け、男は前に出て一礼した。
「私は裁定官セラファスです」
よく通る、低い声であった。
この場に揃った一人一人を測ったように同じ間隔、同じ早さで見つめていった。
「皆様、よくぞお集まり下さいました。
どうか私に何が起きたか、何を思っているかを、存分に教えてください。
私はそれを受け止め、等しく、公正に見定めましょう」
そこに南部の代表のディオゼが一歩前に出て、疑問を投げかけた。
「お前さんが立派な人だってのは何となく伝わってくる。
だが、いくら平等に見ようとしても、誰もが満足のいく答えっていうのは出せないだろう。
そこをお前さんはどうするつもりだ?」
軽い口調でありながら、ディオゼの眼光は真剣なものであった。
セラファスはしかし、怖気づくこともなく、ゆっくりと答えた。
「はい、誰もが満足する答えはありません」
思い切り良く言い切った言葉に、ディオゼは「へ?」と意表を突かれた声を出す。
「つい先頃まで剣を交えていた双方です。価値観が違うのは当然のこと。
いいえ、同じ国の中でさえ、誰かの利益は誰かの不利益となることもあるでしょう」
セラファスは三皇子とヴァスケルに、交互に目をやった。
そして、ディオゼとルーシェにも目配せをしながら続けた。
同じ国でも、世代が異なれば立場も違うのは当然のことだった。
「ですから、私が目指すのは、皆が私の見出した《《裁定に至った理由に納得をすること》》です。
事前に提出された資料には全て目を通しました。
そして、私はこの戦いにまつわる、あらゆる場所に足を運びます。
代表者に、参戦者に、巻き込まれた者に、道端の者に、個別の事情を伺います。
そうしてなるべくの事情を汲み取りながら、最大多数が止むを得まいと受け入れるように努めましょう。
ディオゼ殿、これでよろしいでしょうかな?」
朗々と述べられ、そして静かに見つめられ、ディオゼは「ふぅ」と息を吐いた。
「分かったよ。しっかりお勤めに励んでおくれ」
セラファスはニコリと笑って、「ええ、誠心誠意励みます」と答えた。
フェルクはまさしく底の知れない、だが真摯であろうとしている御仁だと感じた。
これが心の底から聖職者であろうと努め、認められてきた男の胆力なのだろう。
「さて、見たところ、この戦場跡はよく整えられていますな。
アレイネ、双方とも傷ついた者に、すべからく敬意を払いましたかね?」
アレイネは腕組みをしながら頷いた。
「まぁ最初はあーだこーだ駄々をこねていたけどね。
いざ後始末を始めたら、どっちの兵も真面目なもんだったよ。
約束したことをちゃんと守るくらいのことは、やれそうなんじゃないかね」
セラファスはアレイネの言葉に満足そうに頷いた。
「それは幸先の良いことです。傷ついた者を労わることから真心は始まります。
どうか隣人に優しくありますように、いつまでも心掛けてほしいものですな」
そう言って、セラファスは両国の反応を見渡した。
「ほほ、まだ緊張の解けない様子ですな。
まぁ良いでしょう。我らの長い巡礼の旅はこれからなのですから」
セラファスは『この戦いにまつわる、あらゆる場所に足を運びます』と言った。
巡礼の旅とは即ち、セラファスがこの戦の隅々を自ら見聞するということなのだろう。
すると、いつの間に聖都の白馬には鞍が付けられており、セラファスは馬に手をかけた。
どうやら、ここからは自らが白馬に跨り、各地を巡るつもりのようだ。
アレイネはその様子を見て取り、再び声を張り上げた。
「取り決めに従い、聖都の使者に対し、双方より警護の者を付けよ」
アルヴィが前に出て、ヴァスケルに目をやる。
「帝都より皇帝が忠臣、ヴァスケルが警護の任を受ける」
ヴァスケルは深く頭を下げた。いつもの不敵な態度と異なる、立派な所作であった。
ディオゼの引きつった表情が目に入った。……同じ国でも違和感が満載なのだ。相手国なら尚更であろう。
南部も同様に警護する者を宣誓し、双方の警護者が出揃った。
セラファスは手慣れた様子で白馬に乗り、周囲の者に告げた。
「まずは帝国の地方集落に参りましょう。
帝国の民の暮らしの様を、私に見させてください」
帝国からはアルヴィ、フェルク、ヴァスケルが前に出た。
地方の暮らしぶりとなれば、アルヴィの領分である。リュセトは一度下がることとなった。
ヴァスケルが一礼をした。
「案内しよう。付いて来られよ」
南部からはディオゼとユキウスが前に出て、ルーシェは見送る形となった。
そして、裁定の旅は始まった。
誰もがそれぞれの思惑を抱え、そして納得のいく何かを探す旅へ。
真夏の光は偽りを暴くように、誰しもに容赦なく平等に降り注いでいたのだった。




