第48話 最初にして最優の皇子
東の平野での会戦の結果は凄惨たるものだった。長閑な平野は、人と馬の血で塗り潰された。
帝国と南方の双方ともに戦争の継続は困難と判断し、聖都派遣治癒官アレイネの立ち会いのもとで一時休戦が成立した。
しかし、今はあくまでも一時休戦の状態。正式に講和のための仲裁を聖都に依頼するためには、国家としての意思決定が必要となる。つまり、帝国においては皇帝の裁決が必要となる。そして、皇帝の諾を得るためには――。
フェルクが訪ねたのは、皇太子、すなわち長兄の元であった。
帝国の三皇子は、いずれも帝国の要職を担っている。
第三皇子フェルクは軍事を。第二皇子リュセトは外交を。
そして、第一皇子アルヴィは内政を司っている。
――つまり、三皇子全員の要請があれば、皇帝の決断を引き出すことができよう。
内政部門の執務棟は帝城の中心に位置し、最も大きい。内政とは国の礎を形作る仕事である。
農地を拓き、道や橋を整え、産業と市場を育て、人々の暮らしを支える。
国が富めば外交は活発となり、軍もまた強大となる。その根幹を担うのが内政であった。
「おかえり、フェル。大変な戦いだったようだね、お疲れ様」
この広々とした執務室兼応接室の主、アルヴィは立ち上がり、フェルクを出迎えた。
癖の少ない淡い金髪を後ろへ流し、整った面立ちには柔らかな笑みが浮かんでいる。
ノルスヴェイン皇族特有のアイスブルーの瞳が目に入らなければ、温厚な文官と見まごうほどの穏やかな風貌。
しかし、帝国を富ませているのは、この皇太子の手腕によるところである。彼もまた傑出した天才なのだ。
「兄上、時間を頂戴し、感謝する」
「構わないよ。さあ、ゆっくりでいい。どんな戦だったのかを聞かせておくれ」
応接のソファに向かい合い、皇子同士の語らいが始まった。
まずはフェルクから先の会戦がどのようなものだったのかを伝えることとなった。
「……そうか、たくさんの血が流れたんだね。
それで、フェルはどうするのが良いと思ったんだい」
アルヴィは人の話をよく聴く。フェルクに対してもその調子は同じだ。
そして、対話者の思うところの意見を引き出させる。
「帝国も南方も、これ以上の戦いは難しい。
物資的にも、人員的にも、お互いにこれ以上の消耗は避けたいはずだ。
しかし、どちらも失ったものが多すぎて、引っ込みがつかなくなっている。
だから、聖都に仲介してもらい、裁定を得るのが最善と考える」
知らずのうちに、無口なフェルクも随分と口を動かしていた。
「そうだね。その通りだと思う。それで、僕の協力も欲しいのかな?」
「そうだ。聖都に仲裁を要請するには、国家の意思表示が必要だ。
父上の承諾を得るために、兄上の力も貸してほしい」
自分から言うべきことは全て伝えたつもりだ。
アルヴィはゆっくりと言うべきことを吟味するように目を閉じ、そして口を開いた。
「僕も講和に賛成だ。協力するよ」
「かたじけない」と、頭を下げる。
「畏まらないでいいよ。僕もそれがいいって、前から思っていたんだ。
でも、フェルが講和したいと思ってくれたことが一番嬉しい。
それって、どんな心境の変化だったのかな?」
質問の意図を測りかねて、背筋に一筋の汗が伝う。
まさかフェルクに新しい人格が宿ったなどと看破しているはずもあるまい。
無難な答えを返そうと、ただ言葉を返す。
「軍の消耗が大き過ぎた。命を落とした部下も、傷ついた部下も大勢いる。これ以上は続けられない。だからだ」
「それは違う」
アルヴィは少しだけ表情から笑みを消した。アイスブルーの瞳が自分を見透かすように射貫く。
「あのときから違和感を覚えていたんだ。フェルが突然にバルドーの里の侵攻作戦を変更したときからね。
僕はてっきり焼け野原をフェルから引き継ぐと思っていたんだよ。
それが人も緑もそっくりそのままだったんだ。
どうしてかとレノリタに問えば、フェルがレノリタの意見を採用したからだと言う。
しかし、果断に富んだフェルが急に意見を変えるのも不思議な話だ。
最初は僕も、軍の事情なのかなとも思ったんだけどね。それからも違和感が少しずつあったんだ。
だから、フェルの内面に何か変化があったのかなと、ずっと引っかかっていたんだ」
――見抜かれている。俺が変質していると、帝国で最も聡いアルヴィは感じ取っている。
「改めて問うよ、フェル。どんな心境の変化があったんだい?」
「……………」
どう答えるか考えて、答えなくてはと考えて、耐えられなくなって出た言葉は――。
「……怖くなったんだ」
まるでフェルクの口からは出てこないような、弱気な言葉だった。
それでも絞り出すように、怯えが口をついて出た。この兄になら話して良いと、そう思えたのかもしれない。
「何が怖かったんだい?」
アルヴィは優しく、子どもをあやすような調子で語りかけてくる。
「このままだと破滅すると思った。力でねじ伏せ続ければ、憎しみが引き起こされて、俺にも、帝国にも襲い掛かると思った。
だから、どうにかせねばと思い、レノリタとヴァスケルに意見を求めた。そして、殲滅から制圧へと切り替えたのだ」
「そうだったんだね。納得できたよ。でも、それじゃあフェルにとって、昨年の秋の会戦は不本意だったんじゃないかな?」
「……そうだな。反発を抑えようとしたら、かえって警戒されて大規模な戦争が起こった。
挙句の果てに、先の会戦でもお互いに死力を尽くして傷つけあった。
そして、ようやく互いに頭が冷えたんだ。これ以上戦えば、この地も祖国も荒れ果ててしまうと痛感したのだ」
「うん、やっと全部言えたようだね。
フェルの本当の声が聴けた気がするよ。
フェルは昔から自分一人で全部を解決しようとするからね。
もっと早く相談してほしいなって、いつもそう思ってはいたけど、今話してくれて良かったよ」
アルヴィは納得したように、口元に微笑みを湛えた。
「安心してほしい。軍の損耗を補う算段も、講和に向けた材料集めも既に始めている。
フェルの願いを叶えよう。それが兄としての務めだからね」
「ありがとう」
「いいんだよ。可愛い弟の頼みだ。兄に格好を付けさせておくれ。
それじゃあ、今度はリューも一緒に親父攻略作戦の会議をするとしよう」
アルヴィはそう言って、悪巧みにでも誘うかのように屈託なく笑うのだった。
兄上には、本当に敵わないと思う。
戦場では敵なしの自分も、兄上の前では丸裸同然だ。
――だからこそ、頼りになる。
この戦いを本当に終わらせるために、最も心強い兄上と力を合わせて進もうではないか。




