第47話 エピローグ:相反
フェルクはイヴェリの居室をノックした。
「どうぞー」と、イヴェリの元気な返事があって、かえって扉を開ける手が固まった。
……元気な返事? 声を振り絞るのは身体に障るかもしれないからと決めた鈴の音の応答。それを予期していた自分に驚きが走る。逆に身構えながら、ぎこちなく扉を開くこととなった。
「フェルク!」
ベッドの縁に腰を掛けたイヴェリが、弾んだ調子で名前を呼ぶ。
「イヴェリ……。起きて……、大丈夫なのか?」
目の前の光景が信じられず、間の抜けた返答をしてしまう。
「もう、なんですか。まるで幽霊でも見たかのようなその顔は? リセアの治癒魔法が効いて、ここまで回復したのです。驚くのはまだ早いですよ」
イヴェリは傍らのリセアに目配せをし、杖を差し出される。両手で杖に力を込めて支えとし、そして足を伸ばして立ち上がったのだった。さらに一歩、二歩と杖を使いながら歩きだした。
今にもよろけないかと、自分はすぐにでも支えられるように前屈みに構えるが、必要のない心配だったようだ。ベッドの端まで移動して、再びゆっくりと腰をかけて、得意げな表情でこちらを見つめている。
まるで親に褒めてもらおうと期待している子どものように目を輝かせている。
「良かっ……たな……」
思わず出した声はくぐもっていた。驚きの余り感情が追い付かない。
いつも運命に裏切られてばかりだったから、いざ思わぬ幸運が舞い込むと困惑ばかりが先立つ。努めて平静を装い、次の言葉を続けた。
「イヴェリ、よくやった。リセア、でかした。引き続き治癒を頼む」
「もちろんです。イヴェリ様、このまま完治させちゃいましょうね」
「はい! リセアちゃん、引き続きよろしくお願いしますね」
イヴェリの居室での時間はいつもは静かなのだが、今日は随分と賑やかな調子だった。その雰囲気に押されて、戦の話もそこそこで切り上げ、二人の話を聞いている時間が大半となった。
それにしても二人とも随分と仲良くなった。この調子でイヴェリの破滅を克服できれば……、そう願ってやまない。
確かにリセアは一冬を治癒魔法の研鑚に費やしたのだ。その才が花開いたのも、決して不自然なことではない。
リセアと共に部屋を辞し、そこで別れて一人で自室へと向かった。まだ熱に浮かされたような、夢を見ているような、不思議な気分だった。
足を止めて、窓の外を見る。外では庭師が植木を剪定している。鳥たちが餌をつついている。夏の生命力を感じる、牧歌的な光景だった。
戦乱の忙しさにばかり心を囚われていたが、もうすぐ講和の話し合いも始まる。自分の毎日もそうすれば落ち着くのかもしれない。
ふと思った。
――このまま講和が成立すれば、自分の破滅は回避されるのではないか。
――イヴェリの病状だって快方に向かっている。二つの探し物の答えは、自分が手を伸ばせば届く距離にあるのかもしれない。
これまで戦いを通じて破滅を回避しようと足掻いてきた。しかし勝ちきれずに、講和という可能性が巡ってきた。
だが、講和。これこそが最良の解ではないのか。
勝てば敵国に恨まれよう。負ければ自国に責められよう。しかし講和ならば、互いに一定の納得を経た上での合意である。まさしく破滅から最も遠い選択肢ではないだろうか。
しかし、同時に胸の奥がざわつく。
――俺は軍の総大将として、講和による幕切れを喜んで良いのか。
――俺は今まで散っていった部下の兵たちに顔向けができるのか。
この内心は《《自分》》のものではない。一心同体の《《フェルク》》のものだ。
――ああ、そうか。
今までは、自分とフェルクの破滅回避のための生存戦略は一致していた。
生き残るために戦うことであった。剣を振るって、活路を切り開くしかなかった。
しかし、今になって初めて見えてきた。戦わずとも破滅を回避する可能性が――。
だから、心《自分》と心が相反している。
戦うことで自分の道を見出してきたフェルクが、新しい可能性に戸惑っている。
俺はそこに安住してよいのかと、自問自答を繰り返している。
良いに決まっていると、自分は言ってやる。
そうでなければ、イヴェリが快復した時にお前はどこにいる気かと。
常に戦禍に身を置いて、修羅と化した血濡れた腕では、愛する女さえ抱くことができなくなろう。
いつかお前は剣を置くのだ。お前の役目が終わる。それは悲しいことではない。必要なことなのだ。
しかし、剣と魔法の腕で己の価値を証明してきたお前には納得できまい。
安らかな風景の中で微笑む自分の姿を素直に描けまい。
だが、それも仕方のないことなのだろう。
それでもいつかは納得するときは来る。
まもなく聖都は裁くだろう。
そして帝国にも南部にも、それらしい答えを突きつけるだろう。
講和にはきっと時間がかかる。
様々な者が己の正当性を訴える。
その過程で受け入れていけば良い。
誰しもが準備が必要なのだ。
思う存分、己の生きる望みを模索すれば良い。
お前は幼い頃から戦場に立ってきた。
家族に評価されるために。皇族としての責務を果たすために。
帝国を守るために。預けられた兵を守るために。愛する者の元に帰るために。
――そして、自分自身の価値を証明するために。
だからお前にとって剣は、己の誇りそのものなのだろう。
それに意味がないとは誰も言えない。
お前の心は、磨き上げられた刀身のように鋭くて澄んで美しい。
その手が剣を振るい、たくさんのものを得てきた。
そして戦いが失われたとき、己の価値はどこにあるのかと怖くなるのだろう。
それでも自分は、お前に剣を置けと言い続ける。
剣を置いてもなお、お前には価値があるのだと証明してみせよう。
それがお前の元に転生した、自分の本当の役割なのだろう。
そうと決まれば、皇帝と皇太子に時間の約束を取り付けるとしよう。
講和のための長い話し合いの準備をしよう。
ここまで複雑に絡み合った帝国と南方の因果だ。
長い永い話し合いになることだろう。
そしてもうお前の手は凍てついていないだろう。
もうすぐ剣を置いて、愛する女を抱けるのだ。
やっとその手は温まってきたのではないか。
――それでいいのだ。フェルクの破滅は、自分が回避させてやるのだから。
第二章(第二巻) 了
ここまで第二巻分をお読みいただき、本当にありがとうございます。
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次章より第三巻、そして物語はいよいよ最終局面へ入ります。
最後まで丁寧に描き切りますので、引き続きお付き合いいただけましたら幸いです。




