第45話 またね
ディオゼの領主家の迎賓館。
冬の間、アクレヴィア使節団が滞在した館では、出発の準備が進められていた。
ルーシェは手配した馬車を引き連れて、館の扉を叩く。
少しの間を置いて、メリカが顔を出した。
既に旅装に着替えており、入り口には荷物が支度されている。
「手配していた馬車が来ました。荷物は整いましたか?」
「ええ、手配ありがとうございます。準備は大方終わっておりますわ。あとは詰め込むだけですわね」
ルーシェは荷物の積み込みを手伝おうかとも思ったが、互いに使用人が十分な数で控えている。
ルーシェたちが手伝っては、彼らの立つ瀬がない。
手持ち無沙汰で見渡すと、メリカと目が合った。同じことを考えていたらしい。
「少し散歩でもどうかしら?」
メリカの誘いに頷き、二人連れだって歩き出した。
足取りはなんとなく訓練場の方へと向かっていた。
「こうして毎日訓練場を往復しましたわね」
「はい。いざ終わるとなると、なんだか寂しいです」
「戦いのための厳しい訓練だったのに、いざなくなると寂しいのは不思議ですわね」
戦争のためであっても、同じ目標のために切磋琢磨していた日々。
少しでも上手くなるようにと、みんなでいろんな案を出し合っていた毎日。
「ただ一緒に頑張っている。それだけで楽しかったんですね」
「ええ。今となっては良い思い出ですわ」
遠くから風魔法師団のみんなが訓練場の方から来るのが見えた。
ミタが手を振っている。ミタ以外のみんなは手に荷物を抱えている。
訓練場に置いていた物を引き上げて来ているのだろう。
「姫にルーシェ様、もう馬車は着いたのですかー」
ミタは間延びした声で話しかけてくる。
「はい、着いてますよ。ミタさん、怪我の具合はもう大丈夫ですか?」
「はいー。まだ重い荷物はダメなので、引っ越しのお手伝いはできませんけど、手を振るくらいなら全然平気ですー」
そう言って、肩をくるりとまわす。
矢が当たった時は誰もが血の気の引く思いがした。
けれど、不幸中の幸いに急所は外れていた。
他国から招いた師団に怪我が残っては大変であると、腕の良い治癒師に優先的に治してもらった。
結果、多少の期間は要したものの、こうして日常生活に支障のないくらいには回復に至ったのだった。
ミタたちと一緒に馬車に戻ることとなり、荷造りもすぐに終わってしまった。
もう出発の時間が近い。
メリカは入念に忘れ物がないかの最後の確認をしていた。
その様子を眺めているルーシェに、ミタが近付いてきた。
「ルーシェ様、本当にお世話になりましたー」
ミタはペコリと頭を下げる。ルーシェは慌ててお辞儀を返す。
「いえいえ、戦いを手伝ってもらったのは、私の国なんです。
それにミタさんには負傷までさせてしまって……。
私こそ何度でもお礼を言わなければなりません」
「まぁそれはそうなんですけどー、でも、アクレヴィアではできない経験をたくさんさせてもらいましたから。
こんな時間を過ごさせてくれたルーシェ様に、たくさんお礼を言っておきたいのです」
ミタはこれまで過ごしてきた時間を振り返るように辺りを見渡す。
「私たちも公的な場でしか、メリカお嬢様のことを知らなかったんです。
いつも澄ました顔をしていて、なんだかすごく立派な感じでー。
それがあんな風に拗ねたり笑ったりするなんて、とても良かったなーって」
「そう、ですね……」
ルーシェにとって、メリカが活発に過ごしている姿はいつの間にか当たり前になっていた。
でも、最初に夜会で会った日を思えば、あんな窮屈な日々が元の日常だったのだ。
いつも大人に囲まれ、責務を担うことの多かった海都の日々に比べれば、確かに南部での暮らしは心踊るものだったのかもしれない。
「こんな風に羽を伸ばして過ごせたのって、久しぶりだったと思うんです。
戦力のお手伝いに来たのに、こんなことを言うのも変な話かもですけどー、姫にとっても大切な時間になったと思うんです」
「……私にとっても大事な時間でした。またいつか、一緒に過ごせたら……」
思えば、ルーシェにとっても貴重な時間だった。
戦火によって、ルーシェは翠風の象徴とされ、南部の同世代とも距離が生まれていた。
そこで同じ目標に向かう、分け隔てのない仲間たちと出会えた。
こうして共に過ごせなければ、自分は翠風の名の重みに耐えられなかったかもしれない。
みんなが一緒にいてくれたから、例え吹きすさぶ逆風の中でも、前を向いて過ごすことができたのだ。
――やっぱりお礼を言い足りないのは、私も一緒だ。
いくら名残惜しんでも、別れの刻限は来てしまう。
既に馬車も積み荷の準備も完了した。残すは挨拶だけになってしまった。
「ミタさんの好きな桃も、メリカの好きなぶどうも差し入れに包んであります。
日持ちしないので、道中で食べてくださいね」
「お気遣いありがとうございます、ルーシェ。
さっそく最初の宿屋でいただきましょう」
「手紙も送ります。講和が成ったら、そのときはまた会いましょう」
「ええ、是非とも。今度はアクレヴィアにじっくり滞在してくださいませ。
そのときには祝賀のお祭りを開いても良いですわね」
「お祭り、ですか?」
「ええ、南部と海都の友好を祈念したお祭りを。
そこで私たちの風を、今度はお祭りの催しとして披露しましょう。
せっかくここまで磨き上げたのです。
戦争などではなく、そんな楽しいことに使うのも良いと思いませんこと?」
メリカはお茶目な調子で素敵な提案を投げかけた。
「すごくいいと思います!
絶対にやりましょう! そのときに備えて、もっと腕を磨きますね」
「はい、とっても良いと思いますー。風魔法師団も引き続き鍛錬を続けます。
まぁまずは海の勘を取り戻さないとなんですけどねー」
前向きな約束を結び、笑って『またね』を交わし合った。
互いに目じりに涙を浮かべながら。それでも笑顔は絶えなかった。
馬が静かにいなないたから、メリカは振り向いた。
使用人たちも待っている。既に出発の時間なのだ。
できるならいつまでも出発を遅らせたいけれど、もう粋な話も思い浮かばなかった。
「……ルーシェ」
名前を呼ばれ、ルーシェは優し気に頷いた。
「はい」
ただ名残惜しくて、なんとなく名前を呼んでしまった。
一緒に過ごした季節の思い出がよぎる。
笑いあったこと。語り合ったこと。風に吹かれたこと。
言葉にし出したら胸が詰まりそうだから、メリカは一言だけを添えた。
「……ありがとう」
思わずくぐもってしまった声に、メリカは自分らしくないなと思った。
南部の温かな風が首筋をくすぐる。
ルーシェははにかんだように微笑み返す。
「はい、また会いましょう、メリカ」
メリカたちの乗る馬車が見えなくなるまで、ルーシェはずっと手を振って、その別れを惜しんでいた。
寂しくなるな、静かになってしまうな、と思った。
でも遠い地で離れても、気持ちは絶対に繋がっている。
風は海都へ向かって吹いていた。
また会える日まで、その風はきっと途切れない。




