第42話 聖印の担い手
三日間の収容休戦が始まって、二日目の朝。
帝国の収容陣地には、死者と負傷者の名が増え続けていた。
名簿は埋まっていく。しかし、埋まってもなお、空白の多さは目につく。
治癒師たちは夜を徹して働いていた。
腹を裂かれた兵。矢を受けた兵。骨を砕かれた兵。魔力を使い果たして意識の戻らぬ者。
帝国兵だけではない。南方兵もいた。
昨日の合意に従い、息がある者は敵味方を問わず運び込まれている。
そのため、収容陣地は既に手狭となっていた。
兵たちはもはや平原に残された者の捜索者にして運び手であり、収容陣地を拡張する作業員でもあった。
運ばれてくる物資は、矢や馬の飼い葉から、救護物資や天幕設営の資材へと変化していた。
「追加の治癒師はいつになる」
フェルクが問うと、レノリタは帳簿から顔を上げた。
「帝都からの本隊は、まだ数日かかります。薬材、天幕、補助員を伴わせる以上、早馬のようには動けません」
「では、聖都関係者の目途は」
「前線後方の治癒隊に一名、該当者がおりました。すでに呼び寄せています」
その報告から半刻ほど後、ひとりの女が収容陣地に現れた。
聖都関係者、と聞いてフェルクが想像したのは、白い法衣をまとった厳かな人物だった。
だが、現れた女は違った。確かに左腕の白い腕章に聖印がある。聖都関係者に違いはあるまい。
法衣などではなく、あくまで実用的な治癒師たちの白い作業着を身に纏い、袖は肘までまくられている。
髪は無造作に後ろで束ねられ、腰には薬袋と包帯、そして小さな鋏が下がっていた。
年は二十代の後半ほどか。顔立ちは整っているが、眠っていないのだろう。目の下には薄い隈がある。
「聖都派遣治癒官、アレイネ」
女は短く名乗った。
「形式張った挨拶は省くよ。さっきまで腹の開いた兵を縫ってたんでね。手は洗ったが、服を替える時間はなかった」
グスタフが眉をひそめた。
「むぅ……、聖都の者にしてはずいぶん無遠慮な格好ですな……」
「今の収容陣地は修羅場なんだ。呼び出しに応じる義理は果たすけど、体裁までは構っていられないね」
悪びれない返答に、自分は一瞬だけ言葉を失った。
なんだ、こいつは。
そう思ったが、レノリタは感心した様子で目を細めている。
実務重視の溌剌とした在り様は、レノリタとしては評価に値するのだろう。
自分も驚いてしまったが、格好などより役目を果たしてくれればそれで良い。
「聖印はあるな。帝国と南方の協議を仲裁できるか」
「聖都の定めに基づき、戦場救護規定の監督はできる。
捕虜、負傷者、死者を辱めず適切に扱うこと。
規程違反の恐れがある場合に、戦闘中止を求めること。
違反があった場合に、聖都に報告することはできる。
でも、勝敗や領地、賠償といった国同士の揉め事は管轄外だよ。
そういうのは、もっと偉い聖都の上級裁定官の範疇だ。
私はあくまで負傷者と死者の扱いが適切かを見極めるだけだ」
「ふむ……」
喫緊の課題は三日間の収容休戦が終わった後の扱いである。
これを両国の面子を保った上で、交戦を見送るように軟着陸させねばならない。
「三日間が経過した後も戦闘を再開しないように求められるか」
「求めることはできるさ」とアレイネは答えた。
「負傷者の手当だって、今は十分じゃないしね。
遺体の引き渡しや埋葬にも支障をきたす。
捕虜の交換も先送りになっちまう。
一度戦闘を中止したんなら、それらが終わるまでは争うなって勧告できるさ」
「そうか。それで十分だ。
明日の正午の協議に同席を頼む」
暫定休戦はこれで成るだろう。
問題はその後だ。聖都の上級裁定官を呼ぶかどうか。
呼ばなければ、勝敗の不毛な言い争いが続くことは間違いない。
しかし、呼んでしまえば、帝国と南方の争いの如何を第三国に吟味される。
そうなれば、この争いの行方は国家間の協議にまで波及することとなる。
「聖都に正式な仲裁の依頼をするかどうかは、軍部の権限を超える。
次の話し合いが終わったら、俺は帝都に戻って本国の判断を仰ぐ」
グスタフとレノリタは難しい表情をする。
「止むを得ませんね。私たちは収容陣地が落ち着くまで残りましょう。
殿下には本国との調整をお願いいたします」
アレイネは周囲を見渡しつつ切り出した。
「話はまとまったかい。
じゃあ同席のときは呼んでおくれ。
分かってると思うけど、私は帝国にも南部にも肩入れしないからね。
私らはあくまで負傷者と死者だけの味方だ。履き違えないでおくれよ」
「承知の上だ」と頷くと、アレイネはさっさと収容陣地に引っ込んでいった。
レノリタに勝るとも劣らない仕事熱心な女傑のようだった。
かくして三日目の正午。
両軍の代表者は、再び平野の中央で顔を合わせた。
帝国からはフェルク、グスタフ、レノリタ。
南方からはディオゼ、ユキウス、そして前回と同じ有力領主。
そこに、聖都派遣治癒官としてアレイネが加わった。
「そうか。聖都の関係者を呼んだってわけか。
で、聖都からすると、これ以上の争いはやめろって話になるのか?」
ディオゼもまた聖印のある腕章を見て、話の成り行きを悟ったようだった。
「話が早いね。率直に言えば、その通りだ。
捕虜、負傷者、死者を放置して戦闘を再開することは許さない。
整理されたとみなされるまでは、争いを休止してもらうよ」
もう一人の南方の領主が口を開く。
「その口ぶりでは、勝敗までは判定しないということか」
「その通りだね。私にそこまでは決められない。
私としては聖都の裁定官の派遣を推奨したいところだけど、そうするには南部さんも話し合いが必要だろう?」
ディオゼは軽く頭を抱えつつ、渋い表情をする。
「そうなるな。南部所領の盟約会議を招集か……。
まぁ南部の大義に非の打ちどころはないさ。
正々堂々と聖都を招いて、南部の正当性を評価してもらうさ」
ディオゼは不敵な笑みを浮かべた。
フェルクは敢えて無表情で話を取り仕切る。
「当然、帝国も聖都を仲裁に関わらせるとなれば、本国の決を要する。
お互いに聖都介入の是非を決するまでは、暫定休戦ということで良いか」
「「異議なし」」と、合意は承認された。
「じゃあ、それまでは二国ともおとなしくしてもらうよ。
戦場救護規定に違反する行為があったら、即座に聖都から裁定官を招集するからね。
当然、違反したほうが仲裁の際に不利になる。
『傷ついた者に、すべからく敬意を払いたまえ』、ちゃんと守ってもらうよ」
アレイネは一切の物怖じをせずに、救護規程の文句を引用しながら場を取り仕切るのであった。
その後は、アレイネが証人として立ち、捕虜名簿の交換が行われた。
これも当事者間でやれば、確実に揉める事柄である。
両者ともに虚偽のないことを聖印に誓い、捕虜の引き渡しが始まる目途も立った。
フェルクは話し合いから本陣に戻ると、本国に戻る準備をしていた。
収容陣地をグスタフとレノリタに預け、必要な指示を伝えていった。
そして、もう一人、声を掛けなければならない人物がいた。
「カインゼ」
天幕の設営に協力する草原の教官に、フェルクは語りかけた。
「フェルクか」
カインゼは作業を中断して向き直った。
落ち着いた様子で、フェルクが来るであろうことを予期していたようだった。
辺りでは天幕を固定するために、杭を打ち付ける音が響いている。
穏やかな風の吹く夕暮れであった。
「俺は明日、帝都へ発つ。
お前と草原の戦士たちも一緒に行こう」
「……そうだな。やはり戦いは終わるか」
「恐らくそうなる。講和に向けた話し合いも長引くだろう。
お前たちを帝国に留め置くにも理由が立たなくなる」
「確かにな。俺が訓練を続けていては、帝国に戦闘継続の意ありと捉えられかねんか」
「そうだ。お前たちが得るものもなくなるだろう。
煮え切らぬ幕切れだが、聞き分けよ」
カインゼは少しだけ目を閉じ、軽く息を吐いた。
「お前たちとの訓練の日々、悪くはなかった
最初は悲鳴をあげる者もいたが、帝国の兵は骨のある連中が多かった。
できれば共に大族長に勝利を報告したかったがな……。
力及ばずか。はたまた南部の者たちも手強かったと称えるべきか」
「世話になった」
「俺も良い勉強になった。
この経験を糧に、草原の連中も鍛えるとしよう」
「ああ、祖国でも励め」
「もちろんだ。また騎馬を鍛えたくなったら呼ぶがいい」
「そうだな。そのときはまた頼む」
短い別れの言葉を交わした。
思えば、最初は顔を合わせるなり氷の皇子と罵倒されたというのに。
訓練漬けの一冬を経て、いつの間にか随分と気心が知れたようにも思う。
最初は相互理解に苦しむこともあったが、皆、彼らなりの武人の理屈にも馴染んできた。
そんな切磋琢磨の日々にも、終わりは訪れてしまうのだ。
カインゼは作業を切り上げ、他の草原の戦士たちにも声を掛け、旅支度を始めるのだった。
停戦や休戦などという形式ばった終わりよりも、彼らとの別れの方が余程戦いの終わりを実感する気がするのだった。




