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第41話 仮初の凪

 夜明けとともに、帝国の使者は白布を掲げて平野へ向かった。

 

 馬は使えない。威圧して敵襲と誤解させてはいけない。

 槍を持たぬ兵二名と、書状を携えた文官一名。護衛はつけるが、剣は鞘から抜かせない。

 戦をする意思はないと、遠目にも分かることが重要である。


 収容陣地では、夜を徹して名簿の照合が続いた。

 生きて戻った者。負傷して運ばれた者。別隊に合流した者。

 それらを合わせてもなお、数は埋まらなかった。

 死んだのか、生きて倒れているのか、南部に拾われたのか。それさえ分からない者たちが、あまりにも多かった。


 だから白布は掲げられた。

 それは勝利でも敗北でもなく、ただ野に残された者たちを拾うためだった。


「南方からも使者が出ておりますな。考えることは同じのようじゃ」


 ヴァスケルの報告に、フェルクは平野を見据えた。

 朝靄の向こう、南方の陣からも白い布が進んでくる。

 向こうもまた、昨晩、数が合わなかったのだろう。


 両軍の使者は、昨日まで血を流し合った平野の中央で言葉を交わした。

 仮初かりそめの合意が結ばれる。

 日没まで互いに刃を交えない。

 兵の亡骸を拾い、まだ息のある者を収容する。

 生存している敵兵は手当し、捕虜として扱う。

 そして、明日以降の取り決めについて、正午に代表者で話し合う。


 あまりに短い停戦。講和とは程遠い。

 それでもその日だけは、戦場に平穏が生まれた。


 

 静かに死者を拾う作業が続く。

 重く、気の滅入る苦役だった。


 帝国兵たちは槍の代わりに担架を持ち、倒れ伏した者を運ぶ。

 ときおり南方の者たちが作業しているのも遠目に見えた。

 互いの前線を食い合ったのだ。

 境い目は特に入り乱れている。声を掛け合いながら、死者を互いの所属へ引き渡した。

 死者を前にして、敵も味方もなかった。ただ、置き去りのものを元に戻す理性で動いていた。


「こちら、まだ息があります!」


 若い兵の声が上がり、担架が走る。

 帝国兵か、南方兵か、一目で分からないほど血と泥に汚れていた。

 装備を確認し携行品を改めて、身元を探った。


「南方の者です」


「息があるなら運べ。手当ての後に引き渡す」


 傍にいた将校が即座に命じた

 その処置を疑問に思う兵もいたが、必要な措置と定められていた。

 同じように帝国兵を拾う南方兵がいるかもしれないのだから。

 引き渡しに不利に働くような愚を犯させてはいけない。


「カインゼ殿、この馬は……」


 腹が裂かれているが、まだかろうじて息をしている馬がいた。

 しかし、足があらぬ方向に曲がり、もはや助かる余地はなかった。


「楽にしてやれ」


 カインゼが静かに返した。

 兵はためらいつつも、護身用の短剣で喉を切り裂いた。

 カインゼは目を閉じて、その死を悼んだ。


「後に土にかえす。今は生き残りを探さねば……」


 埋葬する暇もないまま、戦場の後始末は続いていく。


 フェルクは作業を見守っていた。

(本当は手伝いたかったが、周りの者が恐縮するため、手出しを留めていた。)


 剣を振るうときは、名を問わず敵を切るばかりなのに。

 死ねば、その名は尊重されることになる。

 村に、遺族に、丁重に帰すことが誠意となる。

 戦の最中は命が軽く、終わった後の命は重い。

 

 争いの業の深さに、胸の奥がざらつく感触は止まなかった。


--------------------


 正午、両軍の代表者は平野の中央で顔を合わせた。

 

 帝国からは、フェルク、グスタフ、レノリタ。

 南方からは、ディオゼ、ユキウス、そして有力領主がもう一人。

 どちらも少数の護衛を伴って相対することとなった。


 両者とも埋まらない名簿と、途方もない回収作業を見てきたのだろう。

 互いに顔色には疲労感が浮かんでいた。


「皇子様の大活躍のお陰で、運んでも運んでも終わりがねえよ」


 ディオゼの悪態にフェルクは取り合わない。


「御託は不要だ。南方は後始末に何日かかるとみるか」


 フェルクはディオゼではなくユキウスを見て、回答を求めた


「三日もあれば段落するでしょう。

 今日と明日で遺体と生き残りの回収、照合。

 三日目に馬の埋却《土葬》といったところでしょうか」


「レノリタ、帝国も同じか」


「はい。付け加えれば、この平原は互いの領民同士の交易街道にもなっています。

 間もなく夏が来ます。人や馬の死体を放置して腐敗させるのは禁物です。

 三日間作業を徹底させ、街道を使える状態に戻すことは不可欠です」


「では、双方とも三日は後始末に徹し、停戦することでよろしいか」


「「異議なし」」と声が揃い、互いの死者のために一時停戦は成立した。


 ここまでは死者を前にした理性で話がまとまろう。

 しかし、その先のことを決めるとなれば、話は変わってくる。


「して、三日が過ぎたらどうする。ようやく片付けた平野を再び血で汚すか」


 誰もが渋い顔をする。せっかく後始末をしたのに、また散らかしたくはない。

 そして、両軍ともに余力があるわけでもない。

 嫌気がさすのは自明の理だった。


「……………」


 沈黙が降りる中、フェルクは次に切り出す言葉を迷った。

 帝国の総大将として弱気の発言はできない。

 自ら休戦を申し出たら、己の不利を自白するようなものだ。

 かといって、継戦するのも現実的ではない。

 フェルクは荒れると分かっていながら、敢えて火種を投げかける。


「我らの騎馬隊は南方の陣深くまで食い込み、風の支えは尽きるに至った。

 よって我々の勝利だ。南方よ、引き下がることを認めよ」


 途端、ディオゼは感情をあらわにして反論する。


「いいや、俺たちは騎馬隊を追い返したんだ。

 風は弱まったかもしれんが、同時に帝国は引き返した。

 南部の粘り勝ちだ。帝国こそ、とっとと退散しやがれ」


 そして、レノリタとユキウスは同時にため息をついた。

 顔を上げて目を合わせ、仕方ないといった顔をした。

 レノリタが感情を消して、淡々と告げた。


「勝ち負けの話は収拾がつきません。

 今は三日の停戦のみを決め、それ以後の話は翌々日の正午としましょう。

 よろしいですね」


 合意できるのは、せいぜいが三日の停戦のみ。

 休戦、まして講和に至るには前途多難。

 代表者の会談は、始まりも終わりも沈鬱なものだった。


--------------------


 日が傾く頃、フェルクは帝国の本陣へ戻った。


 三日の停戦は成立した。

 だが、それだけだ。

 それ以上を決める見通しがまるで立たない。

 

 前回は冬が両軍の間に横たわり、自然と休戦の運びとなった。

 しかし、今回はどちらも余力を残した上でのにらみ合いである。

 とはいえ、もう一度交戦しても、戦力にさほどの差はない。

 再び平野に死体を重ねるのは不毛でしかない。


「埒が明きませんな」


 グスタフが疲れた声でため息をつく。


「南方も同感でしょうね」


 レノリタが帳簿を閉じる。


「当事者だけでは、立場と面目の衝突になります。今日の一時停戦は死者のために成立しました。

 しかし、これ以上の休戦や講和の交渉となれば、どちらが先に譲ったかという話になります」


「なら、どうするか」


 自分が問うと、レノリタは少しだけためらいがちに口を開いた。


「治癒院を通じて、聖都に仲介を求めては」


 その名に、周囲が静まる。


 聖都。

 治癒師の多くが学び、各国にも癒し手を送る中立の宗教都市。

 帝国にも南方にも、聖都の教えを受けた治癒師はいる。

 死者の埋葬、負傷者の救護、捕虜の照会。

 そうした名目なら、聖都は口を出す資格を持つ。


「帝国が仲介を求めたとなれば弱腰と見えぬか」


「治癒院からの要請という形を取ります」


 フェルクの懸念に、レノリタは淡々と続けた。


「戦場に残された負傷者が多く、各陣営の治癒師だけでは手が足りない。

 捕虜照会と埋葬の立ち会いも必要。そういう名目であれば、講和とは別の動きです」


 グスタフが頷いた。


「死者と負傷者を理由にするなら、南方も拒みにくいでしょう。

 こちらも譲ったことにはなりませぬ」


 宗教観の乏しい自分《日本人》。

 武断政治に偏りがちなフェルク。

 どちらにもない発想だった。

 むやみに他者の手を借りたくないが、こうなっては仕方がないのだろう。


「分かった」


 やがて、フェルクは言った。


「帝都の治癒院へ早馬を出せ。追加の治癒師と薬資材を送らせる。

 あわせて、前線に派遣されている聖都関係者をこちらへ呼べ」


 命を受け、使者が馬を走らせた。


 外では、夕暮れの平野から戻った兵たちが、なお担架を運び続けていた。

 白布は風に揺れている。

 昨日まで戦場に吹き荒れていた風とは違う、かすかな風だった。


 平野のひとときの凪。静かだが、重く、休まらぬ時間だった。

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