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第40話 戦禍

 フェルクの命を受け、帝国兵たちはゆっくりと後退を始める。

 背を向けて逃げるのではない。盾を前に出し、槍を構え、負傷者を抱え、倒れた馬を避けながら、一歩ずつ戦場から距離を取る。

 それは敗走ではなく、しかし勝者の引き上げでもなかった。



 氷柱で隔たれた先の南部でも引き上げは始まっていた。

 最後に解き放たれたフェルクの大魔法を前に、再び攻め入ろうとする者はいなかった。

 そして、南部兵を後押しする翠風は既に止んでいた。

 激しい会戦の幕切れは静かなものだった――。


 ミタは真っ先に担架に乗せられて運ばれていった。

 メリカはルーシェに肩を貸しながら、その様子を見送っていた。

 自分が南部に海都の魔法師団を呼び寄せたために、ミタは重傷を負うこととなった。

 師団長にどのような申し開きをしたものか――、いや、戦地に行くと分かったときから、ミタも覚悟していたのだろうか。

 派遣の取り決めには、戦地で負傷した際の補償も明記されている。

 しかし、紙に書かれた補償と、目の前で血を流す人とはまるで違った。誰もが実際に傷つくと覚悟して、戦場に出ているのだろうか。

 自分は戦う者ではないから分からない。

 本当に自分には分からないことばかりだ。



 ユキウスは引き上げの指示を飛ばしながら、ルーシェを見やっていた。

 メリカに肩を貸されて、本陣に一歩一歩向かっている姿。

 魔力の限界に達するであろうことは分かっていた。

 それでも指示を緩められる戦況ではなかった。

 言い訳をしても、少女に無理をさせたことに変わりはない。

 旗頭の重責を負わせているのは、他でもない自分である。

 ルーシェは本当に気丈に振る舞って、旗頭の任を果たしている。

 強い娘だと思う。だからこそ見込んだ。――だからこそ傷つけている。

 

 翠風は海都の協力を得て、何度も繰り出せるようになった。

 だからようやく、今回の激化した戦線を保つことができた。

 しかし、それ故にルーシェは魔力が尽きるまで奮闘することとなった。

 そして兵たちもさらに死力を尽くして、傷つく者もまた増えてしまった。

 死んで置き去りにされる人、馬、大地に染みた血の跡。

 数えるまでもなく分かる。損害は明らかに前回より多い。

 諸侯たちへの戦後補償を思うと、気が重くなる。

 金に替えられない命を、せめて金で払うという儀礼なのだ。

 取り戻せないものが増えるほど、不満が増えるのは明らかだった。


 南部は強くなった。幾度も雄大に吹く翠風を得た。

 だからこそ兵たちは深入りし、多くの傷を負ってしまった。

 ――戦禍。そう呼ぶより他にない惨状が、この平野には広がっていた。


--------------------


 帝国の後退は、夕刻にかけて完了した。


 後方の砦へ戻る道は、負傷者で埋まっていた。

 治癒師の手は足りず、担架は足りず、湯も布もすぐに汚れていく。


 フェルクは後方の収容陣地の入口で足を止めた。

 グスタフがそこに控えていた。


「ダグラスは」


 自分の短い問いに、グスタフはその意図を察したようだった。


「命は繋がれました。今も治癒師が付きっきりで処置を続けておりますが、ひとまず峠は越えたとのこと」


「そうか――」と安堵の息が、思わず漏れた。


 そのとき、収容陣地の端で小さな馬が水を飲んでいるのが目に入った。

 その傍らに、赤髪の少年がいた。

 手綱を握ったまま、座り込むように膝を折っている。顔は土と汗に汚れ、腕は小刻みに震えていた。


「グレンが、よく届けました。

 グレンは戦場に戻るつもりでいたようですが、馬も本人も限界でしてな。今は休ませております」


 グスタフの言葉に、フェルクは足を向けた。


 こちらに気づいたグレンが、慌てて立ち上がろうとする。

 だが、膝に力が入らなかったのか、よろめいた。


「そのままでいい」


 フェルクが言うと、グレンは動きを止めた。

 満身創痍なのに皇子への礼など気にする必要はない。

 ――こういう素振りをするのも、原作なら考えられることではなかった。

 知らず知らずのうちに、軍で上下関係の作法を身につけたのだろう。


「よくダグラスを届けた。大儀であった」


 言うと、グレンは少しだけ驚いた顔をして、かぶりを振った。


「俺は命じられたことを果たしただけです。でも、届けられて良かった――」


 グレンもまた安堵しているようだった。預けられた命は重かったことだろう。


「今は休め」


 短く声を掛け、立ち去ろうとすると「あの――」と声が掛かった。


「戦いはどうなりましたか?」


「今日は日も暮れるから終いだ。明日のことはこれから決める。だから休め」


「それと――どうして、俺を知っていたのですか?」


「……………」


 思わぬ質問に言葉が止まった。やはり勘が鋭い。

 確かに皇子が見習いの技量を正確に把握して大任を即座に任せるのは奇妙だ。

 かといって、原作主人公だから注視していた、なんていう本当の理由も意味不明だ。

 ここは――。


「訓練場で年若いお前は目立っていた。加えてダグラスに馬を与えるよう頼まれたから覚えていた。それだけだ」


 ぶっきらぼうに言い切り、今度こそ歩みを進めた。


「ダグラスさんを助けさせてくれて、ありがとうございました――」


 背中に妙な礼が掛けられた。

 助けたのはグレン自身で、命じたのは自分だ。礼を言われる筋合いなどない。

 だが、改めてグレンをねぎらうのも、ばつが悪い。

 ただ手を挙げて応じて、その場を後にした――。

 これ以上、本来の仇敵と会話を続けるのも気まずいったらない。



 寄り道をしてしまったが、本来の総大将の任を果たさねばなるまい。

 自分はグスタフとともに本陣に戻り、レノリタに戦況の報告を求めた。


「兵の数が合いません」


 第一声がそれだった。頭の回転の早いレノリタは過程を飛ばして結論を言うことがある。

 しかし、今の一言は、自分の実感とも重なる嫌な言葉だった。


「詳しく説明しろ」とレノリタに促した。


「各隊長から隊員の数を、それと怪我人含め収容した者を従軍者の名簿と照合していますが、埋まらない者があまりに多すぎます。

 このまま生死不明か死者として数えるにも、この数では大変な割合となってしまいます」


 自分も引き上げ時に戦地を横切って見てきたが、今回は死傷者が多い。

 日が暮れる前の引き上げを優先して置き去りにさせていたが、やはり数が多かったか――。

 グスタフが難しい顔をして唸る。


「もう夜になります。視界も悪くなりました。

 敵襲がないとも限りません。今からの回収はできませぬ。

 夜明けを待ってとなりますが、しかし――。

 明日も戦を続けるとなれば、回収はできなくなりましょう」


 レノリタが補足する。


「前回の戦ではそれぞれの陣に引き上げた後で回収は済みました。

 ですが、今回は中間の係争地に残された者が多すぎます」


 明日以降も戦い続けるのは損耗から言って現実的ではないだろう。

 両軍の損害はかなりのはずだ。死体の横たわる戦場で再戦というのも困難だろう。

 勝ち負けは定まっていないが、互いの戦死者のために停戦するのは止むを得まい。


「夜明けとともに停戦の使者を出す。

 今夜は名簿の再点検と、収容陣地の拡張を急がせろ」


 死を数えるような、嫌な夜になりそうだった。


 遥か草原から教官を迎えて、砂塵を越える訓練を必死で積んだというのに。

 強くなったはずなのに、傷つく者ばかりがかえって増えたようだった。

 ――戦禍。衝突する度にとめどなく被害が増える惨状は、そう呼ぶより他にあるまい。

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― 新着の感想 ―
将来、グレンが帝国と南部との間を駆け回って戦争終結の為に動きそうだなぁ。
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