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第39話 枯渇

 前線指揮所へ戻ったフェルクは、騎馬隊が砂塵を越えた代償を知った。

 騎馬隊は南方の風を越えた。槍衾の一角を食い破り、敵の隊列を乱した。

 しかし戻った馬は傷つき荒れ、兵の数は欠け、何よりダグラスがここにいない。

 

「砂塵は越えた。槍も越えた。だが、越えた先で多くが食われた。

 南部の槍兵は、馬が迫っても我を捨てなかった。

 下がるにしても、ただ逃げるのではない。引きながら槍を置き、旋回する馬の腹を狙ってきた。

 あれほど恐怖に呑まれぬ兵は脅威だ。……これが翠風の本当の底力か」


 カインゼの総括は的を射ていた。

 草原の教官は、翠風を初めて戦場で体感したのだ。

 翠風は矢を逸らし、砂を巻くだけの魔法ではない。

 逃げるはずの足を、もう一歩だけ前に留める力でもある。

 しかし、そのような心を支える力など目の前にせねば実感できないものだ。

 砂塵という見える驚異の先にあった、目に見えない風の後押し。

 戦場で直面しなければ、予測できるものではないだろう。


「騎馬隊の再投入は可能か」


 フェルクの問いに、カインゼはわずかに視線を落とした。

 その顔は砂に汚れているが、瞳の奥の闘志はそのままだ。


「命じられれば行く。俺も、動ける騎兵もまだいる。

 だが、数は随分減った。ダグラスも離れた。

 再び騎馬突撃をかければ、抜けはするだろうが、また損耗する」


 自分も同感だった。同じ手を使うには、数も勝算も弱い。

 しかし、まだ前線は互角の状況である。

 何か手を打つ必要がある。打って出るならばどこか。


 南方の要となっているのは、最初から最後まで翠風だ。

 ここを対処せねば、南方の勢いは盛んなままだ。

 魔法への対処は一般兵では難しい。

 ならば同じ魔法の使い手であるフェルクが有効なのは間違いない。


「分かった。騎馬隊は出さない。

 俺が精鋭を引き連れ、前線に加わる。

 最前線の南方側の後方で、翠風が支援の風を送っているはずだ。

 そこを叩く。風の起こりを消耗させ、可能なら断ち切る」


「フェルク、俺も行く。

 精鋭を選び、駆け付けよう」


 カインゼもまた名乗り出た。不完全燃焼なのは、自分もこの男も同じなのだろう。

「殿下、自ら……」などと誰かの恐縮する声を聞き流し、人員を選定していく。

 ダグラスが傷ついたというのに、黙ってなどいられるものか。

 グレンはダグラスを後方に届けたはずだ。あいつ(原作主人公)なら間違いなくやってのける。

 自分も手を尽くして、せいぜい南方の者共を震え上がらせるとしよう。

 この戦をこの手で終わらせることが、何よりの薬になることに違いあるまい。


--------------------


「フェルクがこちらに来ます!

 近衛と魔法兵、盾を持つ精鋭を連れて、前線に加わる模様!」


 斥候の報告の調子は悲鳴にも似ていた。


「こちらに来ますか……。今ですらようやく戦線を保っているというのに――」


 ユキウスは顔をしかめ、風の魔法隊を見やる。

 ルーシェに、魔法師団の者たちも消耗の色が出ている。

 しかし、風を吹かせなければ押される。

 兵の士気は高いが、このまま維持することはできるのか。


「蒼氷のフェルク!!」


 帝国の雄叫びとともに周囲の温度が下がった気がした。

 高台から見下ろす冷血皇子が見える。

 剣を振りかざすとともに、――戦場に冷気がもたらされたのだった。


 それからは南部に苦境の冬が訪れた。

 フェルクが駆けまわる先々で、吹雪が、霜が、氷柱が繰り出される。


「前方右、霜を払って!」


 ユキウスの指示に従い、ルーシェは風を巻き起こして冷気を散らす。

 霜で妨害された足場を、風で元に戻した。


「前方に吹雪! 風を!!」


 矢継ぎ早に繰り出される氷雪魔法に応じて、ユキウスの指示が飛ぶ。

 ルーシェの杖を持つ手が震えてきた。消耗が相当に達している。


「これが敵将の魔法、ここまですごいの……」


 普段は柔らかなミタの口調も余裕が失われていた。

 フェルクの繰り出す範囲が広いため、海都の魔法支援も広く展開せざるを得ない。

 

「消耗が大きすぎますわ! このままでは――」


 魔法の専門家ではないメリカから見ても、その不利は明らかだった。

 魔力により具象化された自然現象は、一定の魔法耐性を帯びる。

 矢などと比べて、明らかに魔法の効き方が弱いのだ。

 フェルクが帝国の戦線に加わってから、明らかに消耗が激しくなっている。

 しかし、無理をするなとも言えない。

 ここで出し惜しみをしたら、押し切られるのは明白である。

 軍師のユキウスの号令も止むを得ずかけられているものだ。

 メリカは何もできない己の非才が歯がゆかった。

 

 せめてものと周囲を警戒して辺りを見回す。

 ――そして、こちらに狙いを定める弓兵を見つけてしまった。

 丘の上からこちらに射線が通っている。

 フェルクが前線を攪乱していたのは、この射線を通すためだったのか。

 あるいは、生まれた隙を帝国兵が逃さなかっただけなのか。


「前方右翼に弓兵! 矢が来ますわ!!」


 警告を発した時には遅く、矢は既に放たれていた。

 重い矢は大きな音を立てて飛来し――、ミタの肩を貫いた。


「ミタさん!!」


 メリカはミタに駆け寄った。

 倒れたミタを抱え起こし、怪我を確認する。

 見たままだ。矢が刺さっている。抜けば多量に出血する。


「誰か搬送を! 救護まで届けて!!」


 メリカは声の限り叫んだ。

 ルーシェたちも呆然とミタの負傷を見つめていた。


「……前を見て! 風を、止めないで!」


 ミタは怪我にも関わらず声を振り絞り叱咤した。

 ユキウスが歯を食いしばるのが見えた。


「風路はまだ保たれています! 魔力の続く限り風を!!」


 敢えてユキウスは声を張り上げていた。

 負傷に惑う時間すら与えられないのだ。

 なんて過酷な戦場なのか。


 ユキウスはルーシェに駆け寄り、尋ねるのだった。


「魔力の残りは?」


 問われたルーシェは、蒼白い顔を俯き加減にした。


「もう、持ちません……」


 既に翠風は限界であった――。

 風は弱まり始めていた。


「分かりました。では、引き上げのために予備を切るとしましょう」


 ユキウスは号令し、予備兵の投入を告げた。

 撤退時間を稼ぐための繋ぎである。


「風が弱まったくらいで膝をつくな! 足はてめえらのもんだろうが!」


 ディオゼの怒声が響く。南部の兵がもう一度、再起の掛け声を上げ始めた。


 そしてルーシェは膝を着いた。とっくに限界が来ていたのだ。

 メリカが駆け寄り、倒れ込む胸を抱き支えた。


「メリカ……、私はもう風を起こせません」


 悔しそうに、ルーシェが声をこぼす。


「よく頑張りましたわ、ルーシェ。

 あとは皆に任せましょう」


 メリカは慰めの声をかける。

 励ましの声を掛けることしかできない自分がみじめだった。


--------------------


「風が弱まったが、しかし――」


 フェルクは南方の軍勢の動きを見渡していた。


 恐らくは翠風の魔力が尽きたのだろう。

 しかし、そのタイミングで南方軍はすかさずに予備兵を投入してきた。

 こちらに攻め入る隙を与えない、敵ながら良い指揮である。


 まだ氷雪魔法を繰り出すことはできる。

 しかし、帝国側の兵の損耗も激しかった。

 もはや今、自分が活路を切り開いたとしても、後に続く兵は僅かだろう。

 ここで踏み切れば南方の兵を削れたとしても、同時に帝国にも大きな損害が出るだろう。

 

「ここまでか……」


 フェルクは剣を振りかざし、大きく魔力を集中して、いくつもの巨大な氷柱を形成した。

 そして、南方兵の最前線に突き放ち、数名を巻き込みながら、戦場を沈黙させた。

 これで南方軍の動きも数刻は鈍ることだろう。


「引き上げだ! 警戒を保ちつつ、負傷者を拾え。隊列を崩すな」


 また勝ち切れなかった。

 翠風の限界も見えたが、同時に我が軍も限界に達していた。

 争いを繰り返したが、再び目に見える勝利の戦果は得られなかった。

 ただ互いに消耗を積み重ねるばかりだった。


 力なくなびく翠風の旗を遠目に見つめ、フェルクは誰ともなくささやく。


「何度こんなことを繰り返すのだろうな……」


 血の滲んだ荒野で、その問いに答える者はいなかった――。

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