第4話 闇に心を問う
その者が棲む世界は闇である。
この帝国城において、闇は地下に位置している。
「殿下、何か御用でしょうか!」
地下牢の守衛が敬礼をしながら用件を問う。
「ヴァスケルはいるか」
「諜報統括官であられますか! ただいま呼んで――」
「ほほ、若を待たせるわけにはいきますまい。
若の来訪は足音で察しておりましたぞ。
このような陰気な場所にご足労いただき恐縮ですな」
「ッ!」と守衛が亡霊でも見たかのように息を呑む。
振り向けば、白髪の小柄な老人が音もなく佇んでいた。
自分は『いつからいたんだよ、心臓に悪いな!』と動揺したいところなのだが、フェルク・マインドは『そういう化け物の類だ、慣れろ』と落ち着き払っている。
手近な守衛の控え室に入り、ヴァスケルとの対話が始まった。
「さて、若がここにお越しということは、急ぎの要件でしたかな」
暗部の長もまたレノリタ以上に察しが良い。その通りなので流れに乗る。
ちなみに顔を合わせてからずっとヴァスケルは微笑んでいるのだが、張り付いたような笑みである。
まさしく目の奥が笑っていない。狼が夜闇の底で目を光らせているかのようだ。
「バルドーの里の件だ。皆殺しでなく、従わせたい。
良い手はあるか?」
「ふむ、バルドーの件ですか」と呟くと、その目が一瞬だけ見開いたように感じられた。
部屋の緊張感が増した。目の前の老人から、ただならぬ圧が発せられる。
「なにゆえに、あの者を生かす、と――」
声色は殺気を伴っている。
「ほほ、儂としたことが、つい熱くなりかけましたな。
なに、バルドーの名を聞くと、古傷が痛むのじゃよ。
若の父君もそうじゃろうて。バルドーには何度も有利な盤面を覆された。
そのことを思い出すとな。腸が煮えくり返そうになるのじゃよ。
あの者のせいで、閣下の若かりし頃の南進は叶わなかったのじゃ。
やっと溜飲が下がると思っておったのじゃが、はてさて――」
こちらを値踏みするように、爬虫類めいた目がじろりと向けられる。
「まさか若が日和った、というわけではありますまいな」
冷たい地下に沈黙が下りる。
ヴァスケルはフェルクが成人する遥か前から帝国に仕える最古参である。
故に、フェルクに忌憚なく異を唱えられる数少ない存在でもある。
だからこそ無双のフェルクといえども、ヴァスケルと向き合うのは気が進まないのだ。
しかし、フェルクの内心に怯えは感じられない。やはりそう来たか、と分かり切っていたかような反応だ。
即座に最適な回答の手筈が組み立てられ、手短に告げる。
「是非でなく、方法を訊いている」
いつの間にか老人の無念の話へとすり替えられていたが、なるほど本題はそちらだ。
しかも、ヴァスケルはそのことに気付きながら、フェルクの動揺を誘うためにわざとそうしていた節がある。
ただ問いかけのみに答えよ、と毅然と諫めるのは、上官としても適切な対応だろう。
「ほほ、それもそうじゃな。老人のつまらぬ戯れに付き合わせてしまいましたな。
やはり若は正しい。底冷えする気迫に満ちておられる。
さすが帝国で最も精悍な偉丈夫じゃ。それでこそ軍を任せられるというもの」
短い問答で納得したのか、ヴァスケルは居住まいを正し、息を吸い直した。
「人を従わせるのは、我々暗部の得意とするところですじゃ」
ヴァスケルが言葉を区切り、牢屋のある方角を見やる。
鞭の音と、悲鳴が、どこからともなく遠く響く。
「この地下でも、日夜、捕らえた者を屈服させるよう手を尽くしております故。
いかに人心を操るかにおいて研鑚に余念がないとは我らのことですな」
悪趣味にも聞こえるが、これが汚れ仕事を一手に引き受ける暗部の生業だ。
自分としてはゾッとする話だが、常在戦場のフェルクとしては「フッ、頼もしいな」くらいにしか思っていない。
実に殺伐とした世界観である。この感覚に適応して生き残る必要があるのだ。やはり無理ゲーである。
「ならば、バルドーらはどうすれば折れる」
原作での、主人公グレンの奮闘が脳裏をよぎる。
フェルク率いる軍勢に何度圧倒されても、諦めずに立ち向かってきた。
その不屈の闘志が最終的には己の才能を開花させ、フェルクを打倒するに至った。
真正面から暴力で服従を強いても、意のままにならないことは分かり切っている。
「まぁあのような血気盛んで清廉潔白な者たちには、搦め手が効くでしょうな」
まるでこの食材にはこの包丁がよろしいと示すかのように、ヴァスケルは淡々と解を示す。
まさしく手慣れている。この道の専門家という自負は伊達ではない。
ヴァスケルは目の前に手を開いて広げ、指折り数えながら続ける。
「まずは人質。組織の絆が強いのであれば、自分より仲間を傷つけた方が動揺しましょう」
「次に連帯責任。規律正しい者たちは、お互いに監視し合って従順となることでしょう」
「さらに役割。閉じ込めるばかりでなく、仕事を与えるのです。
真面目な者たちは労働に励むことに心を砕き、反抗を後回しとしましょう」
「加えて恩賞。義理堅き者たちは、敵から受けた施しであっても義を感じるもの。
働きに応じて食や待遇を良くすれば、閉ざされた秩序でも心地良さを覚えるでしょう」
「最後に、――希望。支配者の言うことに従えば明日があると思わせることです。
さすれば檻の中の明かりでも満足し、外の陽の明かりを無理には求めますまい」
ヴァスケルは、すらすらと述べ挙げた。
人の心がない者が、誰よりも人の心を把握している。実に恐ろしいことだ。
だが、今はこの者が味方であることが頼もしい。
暗部の協力を得れば、グレンたちを捕らえて支配することは十分に可能だろう。
『ノルスヴェイン・サーガ』の物語のレールを壊せる。確かな手ごたえを感じる。
主人公とヒロイン、そしてその師を封じ込めることができれば、物語は始まらない。
これだ。物語を開幕させずに畳んでやる。
そうすれば戦乱が広がることもない。
そうしたらイヴェリの治療法探しにも注力できるだろう。
破滅を回避するために、まずはここから始めれば良い。
「なるほど。お前たちの手を借りたい。できるか?」
「ふむ、他ならぬ若の頼みとなれば応じますとも。
ただまぁ――」
少しだけヴァスケルは目を伏せ、言い淀んだ。
「何かあるか」
「やはり人手がいりますな。新しい牧場を作るようなものです。
軌道に乗るまでは、我ら暗部が監視し、躾をせねばなりますまい。
となると、しばらくは仕上げにかかりきりになるでしょうなぁ。
日頃の情報収集は縮小せざるを得ますまい」
「必要経費、とは割り切れぬか」
ヴァスケルは引き続き思案気だが、総論として納得はしているようだった。
「まぁ征伐ばかりが帝国の繁栄の唯一の解ではありますまい。
たまにはこのような支配もできると我ら帝国が示すのも一興。
南方の者たちも、きっと震えあがるでしょうなぁ。
その様子を見聞する暇がないのは残念じゃが、まぁ良いじゃろうて」
そして、笑みを深めるように皺を深くし、こちらに微笑みかける。
「若が支配者として昏い手を覚えることもまた、隠居後の楽しみが増えるというものですじゃ。
バルドーの悔しそうな顔を眺めながら茶を啜るのも、晩年の風情として味わい深いじゃろう!」
そう言って帝国の老妖怪は、不吉に微笑むのであった。
――――――――――
昼過ぎに軍議を招集し、方針転換を告げた。
殲滅ではなく制圧。従来とは違った作戦指針に、その場にどよめきが走った。
しかし、ポツリポツリと納得の声が挙がり始める。
「確かに、あのバルドーの鍛えた連中を引き入れられたら、帝国軍もより強くなるな!」
「殲滅よりは抵抗も少ないか――。軍の損耗も少なく済むな!」
「延焼は怖いからな。山間で焼き討ちっていうのは少し不安だったんだ……」
「さすがは殿下だ! 攻めるばかりでなく、飼い馴らすことも考えるなんて! やはり生まれついての王者は格が違うな!」
思いもよらぬ好評だった。これも元よりのフェルクのカリスマの成せる業なのか。
ヴァスケルが後味の悪いことを呟くから心配に思っていたが、知恵者の案を結集した作戦なのだ。
この方針転換には一本筋が通っている。破滅回避は確実に近づいている。
そしていよいよバルドーの里への出立は開始された。
振られた賽の目が示すのは、果たして――。




