第37話 砂塵の果て
ルーシェは、ミタを始めとした魔法師団、そしてメリカと共に戦況を見守っていた。
既に最初の衝突の段階は終わり、混戦の様相を呈し始めている。
こうなると弓矢の応酬は一旦収まる。
次にルーシェの出番が来るのは騎馬への対抗策としてだろう。
傍らにはユキウスが黒の軍配を握りしめている。
「今回は俺たちの隊も傍にいる。旗頭を狙われちゃあ敵わないからな。
安心してユキウスの指示に応じることだけを考えておけ」
ディオゼの一隊もルーシェの傍に控えていた。
隙を見せたなら、帝国は戦術の核となる風の起点を狙ってくる。
最悪の事態を防ぐために、翠風の御旗の守りは厳重となっている。
「帝国も早めに戦いの主導権を握ろうとするはずです。
フェルクが健在だからこそ、南部の隊列の乱れを見出せば、すぐさま騎馬が繰り出されるでしょう」
ユキウスが真剣な眼差しで戦況を見極めている。
「……戦場とはこんなにも騒々しいものなのですね」
メリカがぽつりと呟いた。
「読んで聞いて知ったつもりでいたのです。でも、それ以上に荒々しく凄まじいもので……。ルーシェはこんなところで恐れを振り切って風を吹かせていたのですね」
メリカの扇を握る手はかすかに震えていた。
「今だって私は怖いです。でも、南部の皆のために立たなくちゃって思うんです。それに力を合わせて訓練してきたのも無駄にしたくありません。私たちの鍛錬の成果を存分に振るいましょう」
ルーシェはメリカを勇気付けるように、強く優しく語りかけた。
「ええ、勝ちますわよ」とメリカもいつもの調子を取り戻したようだった。
皆が支えてくれているから、魔力にはまだ余裕がある。本当の風の吹かせどころはこれからなのだ。
「――騎馬、出ました!」
ユキウスが鋭くつぶやいた。南部軍の緊張感が高まる。
「狙いは前方右翼! 風隊と槍衾隊、配置へ!」
いよいよの局面。あの冷血皇子が率いる帝国騎馬隊が向かってくる。
ここを封じられるかどうかが戦局を分ける重要な分岐点。
兵たちが慌ただしく移動する中、ルーシェの胸の鼓動も早まっていく。
まだ馬蹄の音は遠い。けれど、戦場の空気は、もうこちらへ迫ってきている。
砂煙の先に馬影が見えたところで、ユキウスは黒塗りの扇を前方にかざした。
「翠風を地に這わせて砂塵を! 騎馬を阻みます!!」
「はい!!」
いつもは柔らかなミタの声も今は鋭い。咄嗟に海都の魔法が展開され、風の通り道が形成されていく。
準備が出来たと振り返り頷くミタに応じて、ルーシェは杖を振りかざした。
「届いて! 行きます!!」
砂を巻き込む剛風が繰り出される。
祈るように魔力を注ぎながら、ルーシェは風の行く手を固く見据えていた――。
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帝国騎馬隊を砂塵が呑み込む。
目の前を砂粒と風の渦が包み込み、視覚は覆い隠される。
戦場の怒号に竜巻の轟音が重なり、聴覚は役立たずとなる。
人も馬も拒絶するような創られた圧倒的な自然現象。
しかし、帝国の騎馬隊は覚悟を決めている。
既に何度も訓練の中で思い描いてきた光景なのだ。
「目を閉じろ! 馬を止めるな! 揺れで距離を測り、突き抜けろ!」
ダグラスの耳には、カインゼ教官の大声が後方からわずかに聞こえている。
幾度となく訓練で聞かせられた声。今ではかえって平常心を呼び起こしてくれる。
何度も砂を被り、何度も転び、何度も怒鳴られた。
その成果で今、馬は止まっていない。周りの隊も付いてきている。
砂塵を克服できた実感に、ダグラスの胸は熱くなっていた。
この先に槍衾が待ち受けているだろう。
だが、この勢いのままであれば食い破れる。
確実に跳躍させ、踏み越え、踏み潰してみせるのだ。
次第に風の音が弱まってきた。
砂塵の中央を抜けた。となれば槍衾も近い。
前方に槍兵の影が見えている。
薄目を開け、ダグラスは声を張り上げた。
「まもなく接敵! 槍衾に備えよ!!」
叫ぶと同時に、ダグラスは手綱をわずかに絞った。
勢いを殺すためではない。跳躍の溜めを作っている。
鐙を踏み、腰を浮かせる。膝で鞍を挟み、脚で馬腹を押す。
次の瞬間、手綱の主導権を馬に譲った。
「合わせろ! 跳べ!」
応じた馬が首を伸ばし、槍先の上へ躍り出た。
周囲の数騎もダグラスと同調する。
速度の乗った跳躍は槍を飛び越え、南方の兵を蹴り飛ばす。
その勢いのまま、ダグラスは剣を振りかざした。
既に敵陣に食い入った。砂塵は既に抜けた。
突出しがちなのは承知の上。ダグラスは旋回しながら、辺りを蹴散らしていく。
止まっていては槍が集まってくる。動いてなぎ倒しながら、ダグラスは後続を待つ。
背後から続く馬蹄は、確かに響いている。
だが、わずかに遠い。
砂塵を抜けた数騎はダグラスに続いている。しかし本隊の足並みは、まだ完全には戻りきっていない。
ここで暴れ続ければ、後続が食い破る道が開ける。
あのときは届かなかった。食い止められてしまった。
しかし今度こそ、殿下が望む一手を果たそう。
「散るな! 円を描け! 馬を止めるな!」
ダグラスは声を張り上げ、馬首を返した。
右へ流れ、剣を振るう。槍の柄を断ち、怯んだ兵を馬体で弾く。
もう一騎がその背を追い、さらに別の騎兵が敵兵の列を裂いた。
南方の兵は崩れている。
そう見えた。
いや、この動き。まるで手綱をわずかに絞るのに似ている。
崩れたのではなく、――敢えて下がっているのか。
左右へ退いた兵の影から、低く構えた槍先が現れる。
狙うは馬上の胸ではない。騎兵の剣でもない。
その先は、馬の脚と、旋回の内側。
「――っ、まずい!」
気づいたときには、馬が跳ねた。
前肢が沈み、勢いが乱れる。
ダグラスは膝で鞍を挟み、手綱を引いて持ち直そうとした。
それでも、止まれない。
速度は味方だったはずなのに、今は身体を前へ投げ出す力となって襲いかかる。
砂が、もう一度視界を掠めた。
風か。
それとも、舞い上がった土か。
判別する間もなく、左脇に熱が走った。
「ぐ――ッ」
槍が鎧の継ぎ目を抉っていた。
刃先が抜けた瞬間、鎧の内側に生温かいものが広がる。
腹の奥に食い込んだ。そう分かったとき、力が入らなくなっていく。
まずい、と意識は警鐘を鳴らしている。
だが、声が出ない。
手綱を握る指に力を込めようとして、思うように動かない。
馬が嘶く。
景色が傾く。
砂塵の向こうで、誰かが自分の名を叫んだ気がした。
――殿下。
また、貴方の信を果たせず――。
そこでダグラスの意識は白く滲んだ。
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フェルクは、騎馬隊の先端が不自然に乱れるのを見た。
砂塵を抜けた帝国騎馬は、確かに南方の槍衾を食い破っていた。
だが、その動きが一瞬だけ止まる。
いや、止まったのではない。先頭の一角が崩れたのだ。
馬影が傾く。
その中心にいた騎手の鎧を、見間違えるはずもない。
「ダグラス――」
声は酷く掠れていた。
自分のものとは思えないほど、冷たく、細い声だった。
次の瞬間、フェルクは馬腹を蹴った。
蒼白い冷気を周囲に滲ませ、踏みしめられた草と土が霜を帯びる。
乱れた騎馬隊へ向かい、ただ一直線に駆けた。
間に合え――、いや、既に間に合っていないのか。
冷気と剣で薙ぎ払いながら、ただ側近の元へと駆けつけた。
ダグラスが馬から落ちようとしたところを、フェルクはすんでのところで抱きとめた。
そして、馬から降りて、ダグラスの容体を確かめる。
目は閉じ、唇が震えている。
腹から出血が続いている。
このままでは命が零れる。
ダグラスが冷たくなってしまう。
フェルクは右手に魔力を込めて念じた。
――お前を死なせはしない。
ダグラスの腹部を氷で覆い、傷口ごと血の流れを封じ込めた。
零れ落ちようとする命を、無理やりに縫い止める。
あまりにも冷たい応急処置。だが、俺にできるのはこれくらいしか――。
敵陣の只中でフェルクは、威嚇するように鋭く周囲を見渡し、そして見つけたのだった。
赤髪の少年が小さな馬に乗り、こちらに駆けつけてくるその姿を――。




