第35話 戦雲、再び
冬が明けて、春が過ぎた。
大方の村落は春蒔きの農繁期を終えている。
耕された畑の横で、若者たちが伸びをしたり走ったり、組み手をしたりしている。
彼らは先日、集落の長に声を掛けられ、兵士の名簿に記載された者たちだ。
人々の営みと息を合わせながら、帝国の軍備は着実に進められていた。
帝都外れの騎馬の訓練場では、今日もカインゼ教官の大声が響いている。
「その調子で駆け抜けろ! 目はつぶっても馬は走らせろ!!
止まったら置いていかれて槍に突かれるぞ!」
土煙がのぼり銅鑼が鳴り響く中で、騎馬が走り抜けている。
砂塵想定訓練を始めたころと比べて、兵も馬も慣れたものであった。
さほどの混乱もなく訓練は進んでいき、救護班を控えさせる必要もなくなっていた。
「みんな出来上がってきましたね。これなら次こそは止まらずに……」
ダグラスは引き締まった表情で、仕上がりの様を見渡していた。
前回の戦で屈辱を味わったこともあり、ダグラスのこの訓練にかける思いは強かった。
「よし! 止まらずに抜けたぞ!」とグレンが握りこぶしを作った。
いつしかグレンもこの訓練に混じるようになっていた。
騎乗にもすっかり慣れたもので、兵たちからもよく話しかけられている。
まだ正式な役割を当てられていないが、騎馬隊の弟分のような扱いで馴染んでいた。
帝国の軍議室は先秋のように南方対策室として整えられていた。
フェルクはレノリタから報告を受けていた。
「農繁期明けの兵員の再招集は、想定どおり進んでいます。
兵糧の積み増しも十分です。ただし、馬の補充は完全とは言えません」
再戦の準備は進んでいる。先の戦で消耗した分も、概ね補填された。
「完全でなくとも、十分に頃合いか」
「はい。ですが、丁度良い時期なのは南方にとっても同じこと。
前回と同様にお互いの総力戦となることが見込まれます」
フェルクはヴァスケルに向き直り、報告を促した。
「南方も我々と同様に軍備が進んでおる。
そして、アクレヴィア方面とのやり取りの報告が複数ある。
手を結んだと見て間違いないじゃろうて」
「南方と海都の結びつき、どう見る?」
フェルクは老将のグスタフに意見を求めた。
「恐らくは武具の供与と、魔法面の技術協力が考えられます。
南方が一段と精強になったと考えた方が良いでしょう」
原作でも南方はアクレヴィアと結びついた。しかし、戦争が後半に入った頃の出来事であった。
帝国がハルバと結びついたのを見て、別方面に手を伸ばしたのか。
あるいは旗頭がルーシェに成り代わった影響もあるのか。
どちらにしても、南方の不足を補ってくる厄介な結びつきであることに変わりはない。
「期は熟している。招集が済み次第、東の平野へと今度は我々から攻め入る。
来るべき時に備え、周到に準備せよ」
これ以上時期を待っていては、また南方が小細工をしてこないとも限らない。
ならば、こちらから打って出るのが最善となろう。
南方も黙って時を過ごしたわけではないようだが、帝国の備えはそれ以上に進んでいるはずだ。
砂塵への対策も進んでいる。風に対抗するため、装備と矢を補強して重みを追加した。
前回のように思わぬ風に足を掬われるということにはなるまい。
帝国の軍議室は既に臨戦態勢そのものであった。
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ディオゼ領の訓練場にて――。
「今よ、ルーシェ! 魔法を放って!」
「はい、いきます!」
メリカとルーシェが声を合わせ、南部とアクレヴィアの風魔法の共同運用を形にしていた。
あらかじめ海都の魔法士が風の通り道を形成し、そこにルーシェの魔法を投入する。
これによりルーシェの魔力の消耗をおさえつつ、威力を上乗せすることが可能となっていた。
逆にルーシェが先に風魔法を行使し、後から支える運用も訓練されている。
夏前の温かな風が、遠く、長く、強く届くようになってきていた。
「うまくいきましたねぇ、ルーシェ様」
アクレヴィアの魔法師団のまとめ役、温和な風貌のミタがルーシェたちに歩み寄る。
「はい、お陰様で」と、ルーシェは微笑みを返した。
ルーシェの魔法の練習は、いつもは日暮れ間際に一人で打ち込むものだった。
それがこんな風に協力者が増えて、賑やかなものになるなんて思ってもいなかった。
戦争のための訓練なのだから、素直に喜ぶわけにはいかないのだけれど。
それでも一人で風を振り絞るように解き放っていた時とは違って、今が随分居心地が良いとさえルーシェは思っていた。
「戦となれば私も同行しますわ。議長家の娘として当然の責務ですもの」
「メリカ、でも危ないです。隣国の大使を危険な目に遭わせるわけには……」
「友と同じ国の者が戦っているのに、私だけが安全な場所で待っているわけにもいきませんわ。
派遣した魔法士団の運用を見届ける必要があります。
同じ船に乗り込んだ者として、ちゃんとお供させてくださいまし」
「うーん……」と悩むルーシェに、ミタが柔らかく微笑んで割って入る。
「大丈夫です、姫はちゃんと私たちが守りますので。
姫は言い出したら聞かないので、そういうことで何とかしましょう」
「ふふ、分かっているじゃない、ミタ。
そういうわけだから置いてけぼりだなんて、させませんわよ」
「分かりました。でも危ないと思ったら、ちゃんと引いて下さいね」
ルーシェは忠告しながらも、メリカが近くにいてくれることを心強く思うのだった。
そして、ディオゼの屋敷では寄り合いが持たれていた。
ディオゼとユキウスが、キーグの持ち寄った情報に耳を傾けていた。
「帝国はハルバから戦士を招いて、毎日のように騎馬訓練をしているって話だ。
前みたいに騎馬突撃を防げるかは、ちょっとやり合ってみないと分からねえな」
「なるべくの妨害を同じようにお願いしますが、前回のように冷血皇子を完全に引き離す手はありません。
それに暗部も今度はより力を入れて対応してくるでしょう」
「そうか。南部は前回の善戦もあって士気は高いんだがな。
一般の兵は知らないところだが、今回は帝国の裏をかく仕掛けが弱い。
風魔法が強化されても楽には行かなそうだな……」
「アクレヴィアとの取引で補給は十分だがよ。
やっぱり帝国はでかいな。兵の動員もあちこちの村落でかかっている。こりゃあ間もなく仕掛けてくるぞ。
どうするんだよ、ユキウス。帝国とまともにやり合うことになっちまうぞ。
俺の方で東の平野での仕掛けは既に用意しているけどよぉ」
「我々の戦力増強も成っています。以前の南部とは違いますが……。
しかし、厳しい戦いになることは間違いないでしょうね」
ユキウスの表情は険しいものだった。
装備も魔法も強化できている。最善は尽くしてきたはずだ。
しかし、それは帝国とて同じこと。
むしろ前回とは帝国の危機感が段違いなのだから、まるで隙が見えてこない。
しかし勝ちの目が確実なものではないからと言って、後に引けるものでもない。
既にお互いに他国まで巻き込んで、戦闘規模を拡大した上での争いなのだ。
行き着くところまで行き着くしかないのだろう。
――しかし、行き着くところとは……。
どちらの大負けも見えないとなれば、戦火はさらに激しいものとなる。
最も冷静なユキウスだからこそ、胸中に嫌な胸騒ぎが去来していた。
そして、帝国軍が進軍を開始したとの報が南部を駆け巡り、かくして再度の会戦が幕を開けた――。




