第33話 月明かりの友誼
バルコニーへ出ると、アクレヴィアの夜景が一面に広がっていた。
港は青い魔法灯に照らされ、海の上には月の道が伸びていた。
帆を畳んだ船たちが静かに揺れ、遠くで鐘の音が一つ鳴る。
広間の音は扉の向こうで少し遠くなり、代わりに波の音が近くなった。
「綺麗……」
思わず呟くと、メリカ様も手すりにそっと手を置いた。
「我がアクレヴィア自慢の夜景です、ご照覧あれ。
……なんて気取っても良いのですけど、確かに綺麗よね、とさっぱり言った方が良いのかしら。
私には見慣れた景色なんですけど、外から来た人にはやっぱり綺麗なんですね」
メリカ様はそんなふうに口調を変えて、おどけてみせた。
私は少しだけ素直に話し出す。
「メリカ様の思うように話してください。
私は草っぱらで木剣を振るっている方が好きな、親が偉いだけの小娘なのですから」
「本当ですか?
ルーシェ様は奇跡の風を起こす導き手だと伺いましたよ」
「みんな大げさなんですよ。
少し大きく風を起こすだけで、周りが盛り上がってくれるだけなんです。
軍師の方が時機を見計らって合図して、何とか形にしているのが本当なんですよ」
「あらまぁ。じゃあ、私たちは案外似たもの同士かもしれませんね。
私だって本当は役にも立たない恋物語や冒険譚を読んでいるのが好きな小娘です。
侍女たちが精魂尽くして、私を『議長家の姫君』に仕立て上げているだけなのですから」
「でも、晩餐会の席では随分ご立派に見えましたよ?」
「ふふ。ルーシェ様より少し年季が入ってるから、ちょっとそれらしく見えるだけですよ。
ルーシェ様こそ、風の噂が聞こえてきたばかりなのに立派に振舞ってましたよ」
「本当にできていましたかね?」
「ええ。自分ではできていないと思っても、案外、傍から見れば上手に映るものなのです。
そうだと思い込まなければ、胸を張っていられませんわ」
メリカ様は腰に手をやって、胸を張る仕草をするのだった。
広間で見た時とは違ってコロコロと変わる表情に、私もなんだかホッとして笑みがこぼれる。
「それに今回の会談は国家同士のお話ですからね。
小娘がちょっと頑張って振る舞ったところで何が変わるような話ではありません。
元より高官同士で結びつくことが決まったうえでの挨拶のようなものですから。
今日は会場に飾られた花のふりをして、ニコニコしていればよろしいのです。
花だと思われているうちに、大人たちがどこへ目を向けているか見ておくのも、案外楽しいものですわ」
「そうなのですか? てっきりアクレヴィアからお力を借りられるかの正念場かとばかり……」
「そもそも南部が倒れたら、飢えた狼のような帝国の牙がこの港に向けられることでしょう。
父たちは、それを一番嫌がっています。だから、狼を追い払う隣人を助けるのは当然ですわ」
「そんな先のことまで……」
「先のことを考えるのが、戦えない小娘の仕事ですわ。
剣も魔法も苦手ですから、せめて想像力くらいは働かせませんと。
相手のことが見通せれば、大体何とかなるものなのですよ」
「お勉強になります、メリカ様」
私が軽く微笑むと、メリカ様はアクレヴィアの夜景に目を向けた。
「でも私とて、この市街の日々の灯りを守りたい気持ちは本当です。
そのために私が『姫君』としてできることは何か。思い詰めて気がふさぐこともあります」
私より数段立派に見える隣国の姫君。
そんな人でも課せられたものを重く感じることがあると言う。
――自分と同じなんだ。
私よりずっと上手に笑っている人も、笑うために気負っている。
そう思うと、不思議と胸が軽くなった。
同じように悩み、同じように頑張らなきゃと立ち向かっている人がいる。
――それはなんて励まされることだろうか。
「私も『翠風』という旗の重みに押しつぶされそうになることがあります。
それでも私が立つことで勇気づけられる誰かがいるから風を送っています。
お互いに頑張らなければなりませんね」
「ええ、本当に。
私たちみたいな小娘にも重荷を背負わせるなんて。
本当に世話が焼ける国ですわ」
そうやって愚痴り合いながら、私たちは笑い合うのだった。
「ねえ、ルーシェ様、一つお願いしてもよろしいかしら?」
「はい、何でしょう?」
「私たちが友誼を深めた証として、せめて二人でいるときだけは名前で呼んでいただけますか?
私のことは、メリカと」
少しだけ照れくさそうに提案するメリカ様、――改めメリカはすごく魅力的に見えた。
「分かりました、メリカ。
では、私のこともルーシェと呼んでください」
「分かりましたわ、ルーシェ。
改めてよろしくお願いします」
「はい」
名前を呼び合う。
それだけのことなのに、不思議と胸が温かくなった。
私たちは握手を交わして微笑み合った。
そのときにメリカはちょっとびっくりとした顔をした。
握手した私の手をそのまま手に取って、ふにふにと触って確かめる。
「本当に普段から木剣を握っている手ですね……。
指の付け根のあたりがちゃんと硬いですわ」
まじまじと指摘され、私は恥ずかしくなる。
「……淑女として、はしたない……ですかね?」
メリカはふるふると首を振った。
「いいえ、共に戦う国の旗手が鍛錬を怠っていない証左です。
頼もしいこと、この上ないですわ!」
「ありがとうございます」と微笑みながら、さすがメリカは褒め上手だなと思った。
「それに風魔法の名手でもあるなんて……、頭でっかちの私には羨ましい限り。
魔法のお手並みも見てみたいです」
「そういえば明日に風魔法師団の訓練場に来てほしいと、師団長に頼まれました」
「なるほど。では、私がぜひ案内いたしましょう。
そのときにルーシェの魔法も見れそうですし。
母国と友好国の橋渡しをするのですから、私が適任に違いないですわ」
「メリカに案内してもらえるなら安心です。
こちらからもぜひよろしくお願いしますね」
メリカとの楽しいお話はいつまでも尽きることがなかったけれど、ずっとこうしているわけにもいかなかった。
「いつまでもルーシェを独り占めしていたいのですけど、広間の偉いおじさまたちに怒られてしまいますね。
そろそろ戻りましょうか」
「はい、名残惜しいですが、仕方ありません。
メリカを広間に帰してあげませんと」
二人でバルコニーを後にする。
広間にいたときと比べて、――メリカと話す前と比べて、足取りはずっと軽かった。
月明かりは私たちを優しく照らしていた。
今日の夜空のことを、二人の重荷を分かち合った日のことを、私はきっと忘れない。
風が強く吹き付けてくじけそうになっても、握り合った柔らかい手の感触を思い出すのだ。
あんなに小さくて柔らかい手で、それでも胸を張っている友がいるのだから。
いつか『翠風』の名に恥じない自分になれるまで、私もせめて笑っていよう。




