第31話 海都へ
アクレヴィア海都連盟に向かう道中にて、ルーシェたちの一行は馬車に揺られていた。
一行といっても、旅をしているのはディオゼ、ルーシェ、ユキウスの三人だけではない。
南部の使節団として、書状や贈答品を預かる書記官、護衛の兵、ルーシェの身支度を整える侍女、荷を預かる従者たちも同行している。総勢は二十数名。戦後間もない南部が誠意を示すには十分な人数だった。
とはいえ、馬車の中で繰り広げられる会話だけを見れば、いつもの三人と大差ない。
「海都連盟にある議会とはどのようなものなのでしょう?
南部での領主の集まりとはまた違うのですか?」
馬車の中では、ユキウス先生による受講生ルーシェとの勉強会が繰り広げられている。
ディオゼはあくびをしながら、うつらうつらしている。こちらは卒業生なのか落第生なのか、判別し難い。
「近いと言えば近いのですが、議会はもっと洗練されたものになりますね。
南部は気候も産業も似たような領地が緩やかに集まって共同体を作っています。
だから、利害の対立も少ないですし、お互いの調整もそこまで繊細ではありません」
「ですが、海都連盟は気候も産業も異なった都市の集まりとなっています。
故に商家のやり取りも活発で、利害調整の働きかけも活発です。
農産、畜産、製造、加工、輸送、軍事、学術……。
あちらの言い分を採用すれば、こちらの立場が立ち行かなくなる案件が生じがちなのです。
まったく違う得意分野を持つ都市や団体同士の合意を形成するには、厳密な決めごとが必要です。
議会とはそのために発達した、綿密な話し合いのもとで意思決定をするための組織ですね」
「なるほど、難しいですね……。となると、私たちを招いた議長家はもの凄い人たちなのでしょうか?」
「南部におけるディオゼ殿と格の上では同格となりますが、より高度な政の渦中で利害を調整してきた方々です。
一見して笑っていても、心の底からの笑顔とは受け取らない方がよろしいでしょうね」
「そんなこと言っても同じ人間だぞ。泣くのも笑うのも一緒だ。
あまり身構えすぎるなよ、ルーシェ。
難しいことは全部ユキウスにぶん投げればいい。
俺たちはニコニコしてれば、それで大丈夫だ」
「そうですかね」と、ルーシェは正反対の大人二人の間で困惑する。
「貴方がお父様のように人柄で渡り合うか、私のように見識で外交するかは自由です。
自分に向いているやり方をじっくり選び取れば良いのですよ」
笑顔のユキウス先生に、ルーシェは恐る恐る問うた。
「おじさんが私に勧めるやり方はどちらでしょう?」
「ルーシェさんはどちらかといえば、お父様のやり方を見習った方が早いでしょう。
まぁそれで通るのは、ディオゼ殿が笑っていても侮られない風格があるからなのですが……。
私のやり方を覚えるのは、上手なやり過ごし方を覚えてからでも遅くありません」
旗頭であり領主の娘でもあるルーシェに求められるものは、なかなかに難しいのだった。
街道を行くと、次第に大きな河口の港が見えてきた。
「あそこからアクレヴィアに行く船が出ています。
我々の話も通してあります」
「河から海都に通じているのですか?」
「はい。ここを下っていけば、アクレヴィアに着きますよ」
「全部水で繋がっているんですね。
初めての船、楽しみです!」
「船、船かあ……」とディオゼは憂鬱そうな顔をしている。
「父上?」とルーシェは首をかしげる。
ユキウスは訳知り顔で微笑み、「あそこで香草湯を飲んでから乗りましょうね」と勧める。
「お薬を飲むんですか?」
「ええ、船に不慣れなら飲んでおいた方が賢明ですよ」
薬を飲むと、すぐに出航の合図が鳴った。
河の上に立つ桟橋を進み、さらに船から掛けられた渡し板の前に立つ。
陸から水の上への架け橋。未知の世界への一歩を踏み出すようだった。
船が出発して、ルーシェは初めて水上での風を感じた。
流れていく景色の中で、冷たい風が通り抜けるのが気持ちいい。
追いかけてくる鳥たちを、そっと風の魔法で撫でて誘う。
船が河をかき分ける音が心地よい。船の帆が風を受けて膨らんでいる様が圧巻だ。
手すりから身を乗り出すように、ルーシェは河の上の新しい風に夢中だった。
「父上、船旅って気持ちいいですね!」
ルーシェが弾んだ声で話しかけると、ディオゼは渋い表情をしていた。
「父上?」
「聞こえている。ダイジョウブだ」
「大丈夫に見えませんが……」
「ふふ、そっとしておいて下さい。お父上は全身全霊で水上を感じてらっしゃるのです」
「ユキウス、てめえ……」
「弱ったディオゼ殿を見るのもなかなか新鮮ですね、ふふふ」
「ユキウスおじさん?」
「これが『船酔い』というやつです。薬の効き目には個人差がありますから。
陸の王は薬を飲んでも陸の勘が抜けないようですね、ふふふふふ」
ユキウスはなぜか楽しそうに微笑み、ディオゼは無言で睨むのだった。
ルーシェは心配そうに「何かできることはありますか」と、ユキウスに聞く。
「父上の名誉のために離れておきましょう。我々にできるのはそれくらいです」
ルーシェは口元を抑える父を見て言わんとするところを察し、後ろ髪を引かれながら反対側の風景を見に行くのだった。
やがて陸地に白い建物が見え始め、行き交う船も増えてきた。
南部とは違った石造りの都市。
気付けば、河は海に通じていて、塩の匂いが強くなっていた。
海に開けた都市、アクレヴィア。
異国の風景に、ルーシェの胸が高鳴る。
こんなまるで違う世界にまで、私の名前が届いていたのだ。
改めてそんな感慨が胸に湧いてくる。
一際大きな港へと船が入り、船旅はここで終わりとなった。
桟橋の先では、アクレヴィア議会の使いの者たちが待ち受けていた。
彼らは揃いの濃紺の上衣に白い襟を合わせ、肩には短い外套を掛けている。
華やかではあるが、貴族の宴服とは違う。海風の中で働く者の服を、そのまま礼装に仕立て直したようだった。
その後ろには、青と白の軍装をまとった海軍兵と、淡い青の外套を羽織った魔法士らしき者たちが控えている。
南部の使節団が到着すると、彼らは一斉に礼を取る。
「南部諸領盟約のディオゼ卿、ならびに御息女ルーシェ様、ユキウス殿。
アクレヴィア海都連盟は、皆様を歓迎いたします」
『南部』の正式名称を久々に聞いたと思った。
合わせて、ルーシェたちも礼を返した。
「歓迎、痛み入る。南部諸領盟約の代表ディオゼだ。アクレヴィアへの来訪、楽しみにしていた。出迎え、ご苦労である」
ディオゼはいつも以上に渋みを増した声で威厳たっぷりに挨拶をした。
船旅の激戦を乗り越えた後の、男の渋みがにじみ出ていた。
ルーシェはその様子に感心しながら、顔をひきつらせるユキウスにジト目を送った。
「長旅でお疲れでしょう。晩餐会は明日となります。
宿にご案内いたします。今晩はごゆるりとお過ごしください」
案内された宿は、港を見下ろす高台にあった。
宿と呼ぶにはずいぶん立派な建物で、白い石造りの壁には波を模した彫刻が施されている。
通された部屋の窓を開けると、夕暮れの港が一望できた。
無数の帆が茜色の光を受け、魔法灯らしき青い灯が一つ、また一つと点っていく。
ルーシェは窓辺に立ち、しばらく言葉を忘れていた。
「綺麗ですね……」
思わず漏れた声に、ディオゼが隣で腕を組む。
「ああ。見事なもんだな。船の揺れさえなけりゃ、もっと褒めてやるところだ」
「父上、まだ少し顔色が……」
「これは海との友誼を深めた男の顔だ」
胸を張るディオゼの横で、ユキウスが静かに茶を飲んでいた。
「明日の晩餐会では、どうか海との友誼ではなく、連盟との友誼を深めてください」
「分かっている」
そのやり取りにルーシェは小さく笑い、窓の外へと再び視線を戻す。
この灯の向こうに、自分に会いたいと言った人たちがいる。
どんな人たちが待っているのだろう。
そして私は翠風としてうまく振舞えるのだろうか。
期待と不安は、港の灯のように胸の中で揺れていた。




