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第30話 移りゆく日々

 ルーシェの朝は早い。

 侍女に髪をかされて身支度を整える。


「ルーシェさま、今日はいつもよりぼんやりとしてらっしゃいますね」


「夢を見たんです」と、ルーシェはのんびりと、少しばかり弾んだ声を出した。


「夢?」


「なぜか母上も出てきて、私の訓練を応援してくれました」


「それは……、良い夢でございましたね」


 屋敷の中での日常は今までと変わりなく穏やかに過ぎていく。


「父上、おはようございます」

 

「おう、おはよう。ルーシェ」


 領主にして父であるディオゼと一緒に朝食を摂る。


「今日は午前中に来客がある。ルーシェも同席してくれ」


「分かりました。どちら様でしたか?」


「今日来るのはだな――」


 予定確認も兼ねた父との朝。最近の応接ではルーシェが同席することも増えた。


 来客までは家庭教師と勉強の時間である。

 最近は周辺勢力の歴史の勉強の比重が増えた。

 近々に見込まれる協力関係の構築に向けて、ルーシェも失礼のないように知識を備えなければならない。


「先の活躍でのディオゼ殿の部隊の活躍は目覚ましいものでしたなぁ。

 我々も負けてはいられません」


「お前さん方の協力あってこその戦功だ。

 次の戦でも頼りにしてるぜ」


 今日の来客は隣領の領主であった。

 ルーシェも幼いころから何度か顔を合わせている。

 互いの健闘を称え合いつつ、被害の状況や物資の補充の見通しを確認している。


「先の戦いで負傷した者も順調に回復しております。

 これも『翠風どの』のお陰でしょうなぁ」


 ルーシェは『翠風』と呼ばれて、肩に力を込めて背筋を正した。

 最近は少しだけ背伸びにも慣れてきた。


「光栄にございます。負傷した方々にもよろしくお伝えください」


 努めて笑顔で、頼もしく映るように、礼儀正しく振る舞う。


「いやあ、ご立派になりましたな。これは良縁が舞い込む日も遠くなさそうですな」


「はっはっは。俺が厳しく見てやるがな。並みの男にはうちの敷居はまたがせねえぜ!」


「もう父上ったら」


 父の冗談にみんなで笑い合う。

 以前は『ルーシェちゃん』と呼んでくれたのに、『翠風どの』と呼ばれるようになってしまった。

 距離が開いたように感じて、ルーシェは寂しく思った。

 屋敷の外から来る人は、次第にルーシェを『翠風』と呼ぶように変わっていた。

 これが大人になって役割を背負うということなのかなとも思う。


 昼食をはさんで、午後は訓練に励む。

 武術に、魔術と。ルーシェは勉強や来客よりも、訓練の方が伸び伸びと身体を動かせるから好きだった。

 その訓練でも変わってしまったことがある。


「どうしました? もっと強く打ち込んできてください!」


 まただ、とルーシェは思った。先の戦が終わってから、ルーシェに手加減してくる兵が増えてきた。


「『翠風』様に怪我をさせるわけには……」


「本当の戦で怪我をしないための訓練です。遠慮なく手合わせしてください」


 発破をかけて、ようやく相手が奮い立つ。ルーシェは歯がゆさを木剣に乗せて応戦する。

 変わらない日常。変わってしまった屋敷の外からの目線。

 変わらない自分。変わってしまった自分への見方。

 あの丘で風の前に立つと決めたのだ。後悔しているわけではない。

 それでも――。

 やり切れなさに、木剣を強く握りしめて短く気勢の声を発した。


 訓練から帰宅すると、応接室に呼ばれた。

 そこには軍師の役目を担っているユキウスが来訪して、ディオゼと向かい合わせに座っていた。

 ユキウスは最近は代官に自領の統治を任せ、南部軍の軍務を統括するためにディオゼの領に滞在していた。


「ようやく待ち望んでいたところからのお返事が来ましたよ」


 そう言って、ユキウスは封書をひらひらと見せびらかした。


「アクレヴィア海都連盟。我々が欲しいものを持っている相手です」


「アクレヴィア……ですか……」


 ルーシェはその名前を記憶の中から思い返す。


「確か、アクレヴィアの都市を中心に、海などの水運で街同士が結びついた議会制の連盟。

 商家、魔法騎士団、海軍などの華やかな方々が話し合って運営している地域……でしたか……」


「その通りだ、さすがだな、ルーシェ! 俺よりも覚えているんじゃねえか?」


「おやおや、ディオゼ殿には個別授業を追加したほうがよろしかったですか?」


「冗談だ、冗談。俺だってしっかり覚えているぜ」


「それなら良いですが、まあ、認識は共有しておいた方がよいでしょう」


 ユキウスは居住まいを正して、「手紙にはこうあります」と説明を始める。


「先の戦における南部の奮戦に祝意を。ディオゼ卿との友誼を改めて確かめたく、使節を迎える用意あり。加えて――」


 そこでユキウスは、ほんのわずかに間を置いた。


「翠風のルーシェ様にも、ぜひお目にかかりたい、と」


 ユキウスから向けられた視線に、ルーシェは少したじろいだ。


「私にも……ですか……」


「この文書から多くを読み取ることはできません。

 貴方に対する単なる興味かもしれませんし、特別な用意をしているかもしれません。

 どちらにしても、先方のアクレヴィアは貴方が来ることを望んでいます」


「特別な用意ねえ……」とディオゼは渋い顔をする。


「縁談の用意なら歓迎するとは言い難いが……」


「恐らくそれはないでしょう。お互いに大事な話ですからね。

 縁談を進める気なら、釣書つりがき付きで事前の打診があるはずです。

 もしもその気があっても、せいぜい顔合わせくらいのものでしょう。

 私が推測するに……」


 ユキウスは人差し指をかざして続けた。


「風魔法のお話をしたいのではないかと思います」


「風魔法ですか」と、ルーシェは拍子抜けした返事をした。


「はい。アクレヴィアは海運の盛んな地域。船の推進力となれば、帆で風を受けることは欠かせません。

 ですから、風魔法の使い手も多く要しています。

 まぁ貴方ほどの使い手ではないにせよ、風向きを調整したり、増幅したりの術者は多いです。

 船を進めるために発展した魔法ですが、戦場に転用すれば貴方の風を支える帆にもなり得る。

 その協力が得られれば、次の戦でより有効に風魔法を使うこともできるでしょう」


「なるほど。それなら私が呼ばれるのも納得ですね」


「まぁそうでなくても、貴方が南部の新しい顔になったことは確かです。

 これからは貴方も外交には欠かせない存在となってくるでしょう」


「そうですね、はい……」


「なあに、緊張することはねえよ、ルーシェ。

 一緒に海を見に行く気分で行けばいいさ。

 海だぜ、海。見たことないだろう」


「ディオゼ殿、物見遊山ではないのですよ」


「分かってるって、半分は外交だろう?」


「半分ではありません。全部です」


「お堅いなあ」とディオゼは笑った。釣られてルーシェも笑う。


「まあ大事な話だ。この三人で行くとしよう。

 ルーシェ、心配することはないからな。俺たちも傍にいる」


「はい、父上。ありがとうございます」


 変わりつつある日常の中で。

 ルーシェはまだ見ぬ海の都市へと気持ちを馳せるのだった。

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