第29話 馬の背の夢
グレンにとって、命じられるがままに日々は過ぎていく。
来る日も来る日も、帝国の忙しい部署の手伝いに派遣されている。
元門下生の中では、特定の部署の下働きが定まった者も多い。
しかし、グレンは書類仕事以外は何でも器用にこなせるため、かえって所属先が定まらない。
気付けばあちこちから声を掛けられ、手伝いに行く日々に奔走していた。
決して悪い日々ではない。
手伝った部署の人たちはいつも感謝してくれる。もう一度行けば歓迎される。
いろんな仕事を覚えられて、自分が成長した気分にもなる。
里に居た時よりもたくさんのことを覚えた。いろんなことを知った。
でも、見渡せる世界は広がったのに、里に居た時よりも気持ちが落ち着かないのはなぜだろう。
むしろ知れば知るほど、自分が何をすれば良いのか分からなくなってくる。
そんな迷いを意識の片隅に沈めながら、グレンは答えのない毎日を過ごしていた――。
その日、グレンが向かわされたのは、帝都郊外の騎馬訓練場だった。
なんでも騎馬の新しい訓練が始まり、怪我人が絶えないとのことだった。
帝国と南部の戦の後から引き続き、治癒院の人たちと一緒に救護班として待機することになった。
だけど、リセアは今日はここにいない。腕が良いから治癒院の方に詰めている。さすがだなと思う。
そんな過酷な訓練なのかと見渡せば、確かに大変なものだった。
あの皇族の総大将が手元から吹雪を出して、視界が悪い状況を再現している。
その中で大きく銅鑼を鳴らして、目も耳もおかしくなりそうな中で馬を走らせる。
何を想定しているかは分からないが、最悪の状況に慣らそうとしているのは分かった。
こんな訓練では馬も人もたまったものではない。怪我人が出るというのも当然だ。
棹立ちになる馬も時折見られ、たまらずに降りる騎手もいた。
さすが日頃から乗馬しているだけあり、うまく着地したり受け身を取ることが大半ではある。
しかし、中には不意の馬の混乱で上手に降りられなかった騎手もいた。
グレンはそこに駆けつけて、状態を聞き取ったり、怪我の具合を見たりして、救護班との連携を仲立ちしていた。
「大丈夫ですか! 痛むのはここですか? 動けますか?」
治癒院の人たちは馬に慣れていないので、グレンが最も率先して駆けつける形にもなっていた。
身軽で度胸があり、観察力に優れ、機転の効くグレンの天性の勘の良さは、この特殊な状況で突出した形で発揮されていた。
救護班の元に運んだ後も、グレンは状態が安定するまで怪我人の面倒を見ていた。
グレンには炎の魔法の才があった。日常生活でも炎の魔法は小回りが利くのだ。
寒さと怪我の痛みで震える騎手を暖気で温かく包んだり、水を温めて飲ませたりした。
「温かい……。ありがとう……」
兵たちに感謝されるのは素直に嬉しかった。
様々な状況が重なって、この救護の現場において、グレンの才は余すことなく全て発揮されていた。
休憩時に、グレンは声を掛けられた。
「お前、随分と上手く手当てしていたな」
話しかけたのは、常に騎手たちに指示と檄を飛ばしていた教官――カインゼ――だった。
異国の衣装に身を包んでいる、厳しく力強い戦士だった。
「必死で駆けつけていただけです。でも、確かにうまくやれてたなって気はしました」
「馬にも気を使って、正面や後ろに不意に近付くことがなかった。馬に慣れているのか?」
「世話くらいはさせられたことはありますが、慣れているってほどではないです。でも、嫌がることは大体分かります」
そこまで聞くと、カインゼはダグラスを大声で呼んでいた。
「ダグラス、この者の才覚をお前は知っているか? なぜこの者を馬に乗せない?」とカインゼはダグラスに問うていた。
「グレンが優れているのは分かっています。ですが、捕虜のような待遇なので、武器を持てないのです」とダグラスは困惑気味に回答した。
「武器を持てずとも、こいつは馬に乗せてみた方がいい。
伝令、輸送、救護、偵察、旗振り、先導……戦う以外にもいくらでもやれることはある。
ただの下働きで終わらせるには惜しい才覚を持っている」
「そうですね……」とダグラスは思案しながら、「カインゼ殿がそこまで推すなら、まずは乗せてみましょう」と首肯した。
急に進んでいく話に、グレンの実感が追いつかない。
気付けば、グレンの目の前には訓練用の小柄な馬が用意されていた。
「乗ってみろ」
「でも、俺、乗るのは初めてで……」
「誰だって初めて乗る時がある。やってみろ」
有無を言わさない教官の指示に従い、グレンは馬に歩み寄った。
自然と、訓練の時に見ていた、カインゼの馬上の姿を思い返していた。
強張らず、風に身を預けるように、馬の動きに合わせながら。
上手だなと思う乗り方は、自然と目で追っていた。だから、その動きを真似してみる。
手綱を軽く握り、鐙に足を掛け、軽くまたがった。
そして、恐る恐る鞍に腰を落として乗せた。
「腰は引けているが、できているな。歩かせてみろ」と言われたが、グレンはどうやって歩いてもらうかを知らなかった。
「手綱は軽く持つだけでいいです。両脚で馬の腹に軽く力を込めれば、歩くように訓練されてますよ」
遠目で見ているだけでは、力を軽く込めた動作までは分からなかった。
ダグラスの助言に従って、グレンはそっと腹に足で圧をかけた。馬は不安げに、ゆっくりと歩き出した。
高くなった視界で景色が揺れている。到底乗ることがないと思っていた馬に、自分は乗っている。
「もっと速く進ませてみろ」
教官に従って、馬の腹にもう一度力を込める。
馬が歩調を速め、小さく弾むように進み出した。景色が後ろに過ぎていく。風を感じて、胸が高鳴る。
自分と馬が一本の線で繋がったような、そんな気がした。
揺れが心地よいと思った。久しぶりに楽しいと思えた。ずっと遠くまで届くような気がした。
そのまま一周をして、教官たちの元に戻ってきた。
「やっぱり筋がいい。初めて乗ったように全く見えない。もっとやらせるぞ。次は落ちる訓練だ」
「ええーそれは怖いですよー」と言いながら、グレンは既に上手な受け身の仕方を思い返していた。
「その目は本当は怖がっていないな。自分ならきっとうまくできると高揚している目だ。やってみろ」
教官は愉快そうにどんどんハードルを上げていった。グレンはその期待に応えるのが楽しかった。
馬に乗るのは楽しい。このままずっと馬に乗っていたいと思った。
こうして馬に乗って、誰かのために役に立てるのだったら、それはとても心が弾むだろうなと思った。
「なあ、兄……ダグラスさん。俺、馬に乗りたい。
伝令でも、救護でも、何か届ける仕事をやってみたいんだ!」
「うーん、門下生を馬に乗せるのは初めてですからね。ちょっと掛け合ってみましょう」
「俺からも頼む。こいつを馬に乗せてやってくれ」
「なんでカインゼ殿が頼むんですか」とダグラスは変な顔をし、「馬のためだ」とカインゼは珍しく笑った。
自分からやりたいと思えることが見つかった。
頭の先から脚の先まで一本の線が通った感じがした。
グレンは久々に晴れやかな気持ちになったのだった。
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一方でフェルクは、微笑ましいその光景を複雑な心中で眺めていた。
フェルクはこの光景を原作ゲームでそのまま見たことがある。
カインゼは原作でもグレンの騎馬の師匠役を果たす場面がある。
その訓練を通じて、グレンの兵種変更の際に騎兵種の選択肢が加わるのだ。
だが、それは遠い南方の地で起こり得た未来の可能性だったはず。
しかも、旗頭としてのグレンがもっと力を付けたいと励んだときの成長の機会だったはずだ。
それが帝国の捕虜待遇の中で、カインゼがグレンに騎馬指導する状況だけが再演されている。
これが原作の復元力なのか。それともグレンとカインゼが会えばこうなるという必然なのだろうか。
しかし、これは別に悪いことではない。
フェルクとて、グレンの才を活かせるなら活かしたいとも思っていた。
そのチャンスが図らずとも舞い込んだだけである。
むしろ帝国の情報伝達能力を強化してくれるのだ。
武器を振るわずとも、グレンの直感力と機転の才は飛びぬけている。
うまく活かせるなら、役に立つ場面もきっと生じるだろう。
グレンの力と自由を拡大することは不安であるが、他の門下生たちという手綱は握っている。
|歯向かわないための保険はきちんと成されている。問題などないはずだ。
きっとダグラスはグレンの登用について、フェルクに伺いを立てるだろう。
そして、フェルクは是の返答をしようと思っていた。
少年が馬の背で夢を見ることくらい叶えてやろう。
そんなことでまで破滅の未来に怯えていては、フェルクの神経が参ってしまう。
総大将として大きく構えていればよいと、フェルクは背筋を伸ばすのだった。




