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第26話 馬上の礼

「フフッ、君とこうして馬車で一緒に揺られるのは何年ぶりだろうね」


 向かい合わせに座ったリュセトが自分に微笑みかけてくる。

 ハルバ草原に向かう使節団として、我々は旅程を共にしていた。

 確かに最後に同乗したのはいつだっただろう。

 幼い頃には皇族の外遊として一緒に乗ることもあっただろう(とフェルクの記憶が思い返している)。

 しかし、こうしてお互いに国の要職に就いてからは、そんな機会は訪れなかった。

 感慨深く思うと同時に、皇族二人が出向くという重大事であることも感じられた。


 会話が途切れると、リュセトは書物を開きだした。

 この馬車はそもそもリュセトが外交の際に用いるものであった。

 インクの匂いが染みついており、隙間の随所に書棚が完備されている。

 勝手知ったる我が家、ならぬ我が馬車というわけか。リュセトはマイペースに過ごし始める。

 かといって、自分はこんな揺れる馬車で書類に目を通す気にはならない。

 だが、時間を持て余すのもよろしくない。

 そうだと思い付き、魔力循環の鍛錬をすることとした。

 山岳でのロウガとの一戦で、短時間での精密な魔力操作の必要性を感じたばかりだ。

 せっかくだから、この場で冷気を漏らさずに循環させる鍛錬をするとしよう。


「……魔力の循環の鍛錬かぁ。こちらに冷気は来ないけど、見てるだけで寒さを感じるなぁ」


 リュセトはちらりとこちらを盗み見ると、その身を震わせて再び書類に没頭するのだった。

 戦後の立て直しが忙しいこともあり、自分の側近たちは伴わなかった。

 時折リュセトから外交の手順を教えられながら進みゆく、静かな道中であった。


「打ち合わせ通り、ここからは我々も馬に移ろう」


 ハルバ草原諸族の影響圏に入り、俺たちは馬車を降りることになった。


「兄上も乗るのか」


「もちろん。馬を重んじる民の前に、皇子二人が馬車の中から現れるわけにはいかないだろう。

 『馬にも乗らぬ者が草原へ何をしに来た』と思われるのは御免だからね」


 リュセトはそう言って、当然のように馬へ跨った。

 その所作は、戦場の騎手のものではない。

 馬に力を込めて命じるのではなく、背の揺れに合わせ、癖を読み、折り合いをつける。

 さながら馬の背と交渉して、しばし脚を借りているかのようだった。

 だが、皇族として人前に出るための馬術は、きちんと身についていた。


「せっかくだ。君の愛馬の堂々たる姿も見せておくといい。ハルバは言葉だけじゃなく、馬上の姿も見る」


 外交とはこんなところにまで気を配るものらしい。


 さて、ハルバ草原諸族は遊牧の民である。つまり、常に一所ひとところに留まるわけではない。

 故にハルバの交易拠点へと集まり、そこから会談の場へと赴くこととなる。

 待ち合わせの拠点に向かっている最中のことだった。

 草原の向こうから数頭の馬が、地響きを上げる凄まじい勢いでこちらに向かってくる。

 思わず剣を抜きたくなるほどの迫力だ。

 しかし、ハルバの勢力圏で賊の類というのもあり得ない。

 これは武勇を示すための、彼らなりの示威行為なのだろう。

 薄く雪の積もった草原を馬蹄がかきわけてくる。

 やがてお互いの距離が近づくと、急な減速を鮮やかにこなす。

 そして、まるで戦場で名乗りを上げるかのように、大声で口上を述べた。


「帝国の使節団とお見受けする。

 我は大族長ガヤン=ハルバが氏族、カインゼ=ハルバ!

 草原の道を知らぬ客人を、我らの天幕まで案内せよとの命を受けている!」


 草原の彼方まで響き渡るような、実によく通る声だった。

 若く、引き締まった体躯。日に焼けた褐色肌の鋭気ある武芸者。

 カインゼの名乗りに応じて、この使節団の長であるリュセトがわずかに馬の歩を進める。


「出迎え、感謝いたす! 我は帝国第二皇子リュセト!

 我が使節団は大族長ガヤンの招きに従い参上した!

 願わくば会談の場への道行きを教示したまえ!」


 カインゼの名乗りに調子を合わせ、リュセトが声を張り上げた。

 ……びっくりした。兄上はこんな声も出せるのか。

 細身の皇子の勇ましき口上。カインゼも感心しているようだった。


「ふむ、帝国の皇子も馬には乗れるようだな」


 そう言って、カインゼはリュセトの馬上姿に目を通した後、自分に目を向けた。

 自分も代表の一人である。名乗らないわけにはいかない。


「……帝国第三皇子フェルク。同じく使節団の一員として参上した」


 自分の名乗りに対し、カインゼは思い切り眉を潜めた。


「フェルク! やはり氷の皇子か!

 5年前のアグカイの丘での戦い、まさか忘れたわけではあるまいな!

 お前! 今度は何を凍らせに来たのか!」


 ひりつくような気迫で、カインゼは怒りをあらわにする。

 ……だから来たくなかったのだ。

 しかし、この反感は想定していたものだ。

 ここで最初から対応を間違えるわけにはいかない。

 敢えて身体の力を抜くように手綱を握る拳を緩め、穏やかな調子を心掛ける。


「何も凍らせない。今日は話し合いに来た」


「そうだよ。見ての通り、今日連れてきたのは兵じゃなくて荷だ。

 せっかく土産を携えてきたのに、争って台無しにするのは御免だな」


 リュセトからも雰囲気を和らげるように合いの手が入る。

 カインゼは納得したような納得していないような顔だ。

 言葉だけでは信用できないと表情が語っている。

 カインゼは思惑が素直に顔に出る性分のようだ。


「ふむ。では、荷を少し確認させてもらおうか」


 カインゼたちは荷馬車を囲んで、中を覗き込んだ。


「持ってきたのは、鉄材、塩、保存穀物、馬具用の金具。それと、冬用の毛織物を少しだ」


 リュセトが荷の内訳を補足する。

 荷を検分するカインゼたちの反応は上々で、感心のため息が漏れていた。

 

「見させてもらった。確かに我らの欲しいものが揃っている。

 帝国は土産を選ぶのが上手らしい」


「お気に召してもらえたようで嬉しいよ」

 

 しかし、荷に好意的な反応を示しているにも関わらず、カインゼの表情は厳しいままだ。

 まだ確認したいことが残っているとでも言いたげだ。


「――それで、お前たちはハルバに謝りに来たのか?」


 リュセトでなく、自分の方を鋭く見据えて、カインゼは問いかけてきた。

 またも試されている。いや、カインゼの場合、素直に疑問に思っているのか。

 帝国に反感を持つ若者の代表として、ここで使者に選ばれたのか。

 我らの真意を測る試金石として、敢えて尖った若者を遣わせたのだろう。


「謝って済ませるつもりはない。だが、話し合いに来たのだ。

 この荷は我々の誠意だ。謝罪の意ではない」


 下手したてに出て侮られてもいけない。しかし、逆上するのはもっと良くない。

 あくまでもただ真摯に向き合う。それが外交における兵法だと、リュセトには散々言い聞かせられた。

 少しの黙考の後、カインゼは軽く息を吐いて圧を弱めた。


「お前たちの誠意の真贋を見極めるのは、大族長のまなこだ。

 ついて来い。会談の場所に案内しよう」


 どうやら間違えた対応ではなかったらしい。

 ようやく本来の案内に戻り、会談場所へと一行は進むこととなった。


 リュセトがそろそろと馬を寄せて、こっそりと耳打ちする。


「よく耐えたね。まずは合格だよ。門前払いにはならなかった」


「……戦場よりも緊張したぞ」


「ふふっ。君の場合だとそうなるのか。剣ではなく言葉で戦うようなものだからね。

 隙を見せたら負けなのは、どちらも一緒さ。

 でも本番はこれからだ。大将はもっと手強いよ」


 気が滅入るが、やるしかない。

 帝国軍の今後を左右する大事な会談だ。

 司令官の自分がぶち壊しにしては、戻った時に部下たちに合わせる顔がない。


 草原を行くと、やがていくつもの幕営が見えてくる。

 陣幕で分けられた集落に入れば、周囲からの目線を感じる。

 女、子ども、老人らが帝国の一団を警戒しながら見つめている。

 バルドーの里に最初に入ったときを思い出す。

 我々帝国はいつも歓迎されていないなと気が滅入る。


 カインゼが一際大きな天幕の前で馬を止めた。

 他の天幕よりも明らかに大きく、そして存在感がある。

 戦士たちが入口を見張り、古びた槍と馬の頭蓋が掲げられている。

 明らかに使い込まれている。飾りではなく、誇りを示す象徴なのだろう。


「ここが大族長ガヤンの天幕だ。

 カインゼだ! 帝国の皇子たちを連れてきた!」


 カインゼが知らせると、天幕の奥から低く大きな声が響く。


「通せ!」


 これが大族長の声。確かな威厳と厚みを感じる。

 招きに応じて、馬から降りて進み出る。

 すると入口の戦士たちが歩み寄ってきた。


「武器は預からせてもらう」


 指示に従って、おとなしく武器を手渡した。

 身体がやけに軽くなって、心細い気持ちになる。

 武器を振るう気は元よりないが、なければ腰の据わりが悪い。

 丸腰になったのを確認すると、天幕の布が上げられる。


 天幕の奥、焚かれた火の向こうに老人が座している。

 大きな体躯、深く刻まれた皺、白と灰の混じる髪と髭。

 そして、こちらを射貫く、静かだが鋭き眼。


 ガヤン=ハルバ。

 ハルバ草原諸族の大族長。


 ガヤンは、ゆっくりと口を開いた。


「帝国の皇子が二人。かたや言葉の皇子、かたや氷の皇子。よくぞ来た」


 歓迎とも、皮肉とも取れる第一声だった。

 リュセトは柔らかく一礼する。俺もそれに続く。


「お招きに感謝します、ガヤン大族長」


 リュセトの声は穏やかだった。

 だが、その横顔からは、ここに来るまでに見せていた軽さが消えている。


 いよいよ、これが本番だ。


 戦場の外での戦い。

 剣ではなく言葉で交わす決闘。


 火が小さく爆ぜる音。この天幕は外と違って熱気が籠っている。

 傍らに控えたカインゼは、相も変わらず強い目線を送っている。

 そして、ガヤン大族長の眼が自分たちを見極めるように細められた。

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