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第21話 もう一歩の声

 帝国の青い騎馬隊が去っていき、私はようやく胸を撫でおろした。

 

 凄まじい勢いだった。何人もの人が跳ね飛ばされて、血の気が引いた。

 隣のユキウスおじさんが指示してくれなかったら、私は何もできずに立ち尽くしていた。

 けれど、その脅威はやっと引き返してくれた。

 帝国の強さが間近に迫って、本当に怖かった。


 矢を押し返して。砂塵を巻き起こして。

 これほどの規模での風の操作を、実戦でなんて。

 既に魔力に余裕がなかった。

 浅く息を吐きながら、戦況を見つめる。


「南部は……勝てるのでしょうか?」


「やっと五分五分から、南部が少し押しているところでしょうか――」


 ユキウスおじさんが思案気に口元に手をやる。


「お互いに消耗は激しいですが、帝国の切り札の騎馬隊を押し返せました。

 なので、南部の士気はかなり高まっています。

 あとは根比べとなりますか……」


 大きく手を広げ、頭の後ろで組んだ。


「実はもう策がないのです。

 あとは隊列を調整するくらいなものです。

 恐らく、帝国ももう手札がないのでしょうが……。

 となると、勢いと地力の勝負になってしまいますね」


「そう……ですか……」


 戦場には大声が飛び交っている。


「南部の意地だあ――!!」


「俺たちには翠風が付いている!」


「翠風の名の下に!」


 口々に聞こえるのは、私たちの住まう『南部』を守るという意気込み。

 そして、新しい『翠風』の旗印を掲げるみんなの掛け声だった。


 ――『翠風』。

 未だに私のことを指しているという実感が湧かない。

 まるで意外な高評価をもらったあとに現実のことと思えないときのよう。

 

 『翠風』の二つ名を決めたのは、父だった。

 ユキウスおじさんとの作戦会議の中で、何か二つ名を付けましょうという話になって。

 あれこれ案が出た中で、普段からお洒落な父の提案が採用された。

 父が言うには『ちょっと細身な響きの方が守ってやろうって気になるだろ』ということらしい。

 私が私の二つ名に口出しするのは恥ずかしかったので、結局これに決まった。


 戦が始まるまでは、新しいものが珍しいからこの名前を広めてるのかなと思っていた。

 でも、実際にこの場に立つと全然違った。

 私が風を送ったのなら、――いいや、この戦場で追い風が吹いただけで。

 みんなが『翠風』の名を口にするのだった。

 まるで勝負服をまとって、今日は頑張ろうと意気込むときのように。

 実際には気の持ちようでしかなくても、確かに祈りやまじないの一つとして。

 追い風が吹けば、それは『翠風』で、皆を励ます吉兆になっていたのだ。


 そして、私は知らなかった。

 戦場というのは、人と人とがそのときを戦っているのだという実感を。

 強い人が勝つ、そんな当たり前ばかりではないということを。

 例え強い人でも、たまたま当たらなくて、たまたま当たれば負けてしまう。

 今までの積み重ねが、弓が降って命中してしまえば、ふいにされることもある。

 だけれど、あと一歩がそのときに踏み出せれば、強く前を見据えていたのなら。

 戦場での運命は違ったのかもしれない。

 そんな一つ一つの気持ちが左右する紙一重で戦ってるだなんて、私は全然知らなかったのだ。


 遠く見渡せば、確かに南部のみんなの勢いは盛んだ。

 少しずつ南部が帝国を押し返しているように見える。

 でも、帝国の人たちも決して諦めているわけではない。

 誰もが『もう一歩』を掴み取るために必死だった。


 ――何か、私にできることはないだろうか。


 もう一帯を覆うような強い風は起こせない。

 砂煙を巻き上げることだって、できない。

 でも、誰かを後押しするような、ほんのきっかけだけでも――。


「ユキウスおじさん」

 

「はい」


「私の声を、風に乗せて送ってもいいですか?」


「声、ですか――」


「応援、したいんです。みんなが『もう一歩』だけでもやろうって思えるように。

 私に今できるのは、きっとそれくらいだから……」


 ユキウスおじさんは少しだけ目を見開いた。

 それから、口元を軽く緩ませて優しく語りかける。


「『それくらい』だなんて、とんでもない。

 今だからこそ効く良い一手ですよ。

 一人一人にとってはただの一歩でも、みんなが進めば軍にとっての前進です。

 ここで粘りが効いたのなら、それはもう立派に策が成ったということですよ」


「おじさん……」


「思うままに声を届けてみてください。

 飾る必要なんてないんです。いや、むしろ素朴な方がいい。

 貴方の声で、兵たちは家族を、大切な人を、帰りたい場所を思い出します。

 それだけで武器を握る手により一層の力が入るはず。

 そして、それができるのは今、貴方だけなのです」


「……分かりました。では、いきます」


 ユキウスおじさんが後押ししてくれた。

 だから私は杖に力を込める。

 最後の魔力を込めて、風に伝えていく。

 私から皆に届くように、風の通り道を吹き抜けさせる。

 

「南部の皆さん!!」


 誰かが振り向く。私は止めない。


「戦いがこんなに怖いだなんて、私は知りませんでした。

 でも怖がっていたら、どこにも届かないから、私はここに立っています」


 乾く喉へ、息を吸い込み、声を出す。


「もう傷ついて動けないかもしれません。

 倒れてしまった人もいます。

 けれど、まだ戦いは続いています。

 皆さんにもまだ、できることがあるはずです」


 遠くで旗が持ち上がるのが見えた。

 立ち上がろうとする誰かが見えた。


「私たちは今、帝国の騎馬隊を追い返しました。

 ここまでの皆さんの努力のおかげです。

 ディオゼ父さんが、ユキウスおじさんが、キーグおじさんが、ここに居ないロウガさんが。

 みんなが力を尽くしたから、今やっと帝国を押し返すところまで来ています」


 父たちの名前を口にするたびに、胸が高鳴った。

 みんな必死だった。ロウガさんは今も西で命を賭けているはずだ。

 だから私たちは今、その先で立っている。


「ここまで、やっと来られました。

 あと一歩で、きっと勝てます!

 だから、もう一歩だけ、強く前に踏み出してください!

 南部を守るために! あなたを待つ人のところに帰るために!

 南部にもう一度、力を貸してください!」


 杖を握りしめ、力を風にして送った。

 大きくなくても、広く、ここに居るみんなに届くように。


「私が『翠風』を送ります!

 あなたが前に出るために、風を送ります!

 だから、もう一歩だけ!」


 魔力不足で震える手を杖で支え、声を絞りだす。


「力を入れて! 風を手に! 前に進んでください!!」


 ――そのとき、私を押すように大きな風が吹いた。

 これは私の力ではない。もう私にこんな魔力は残っていない。

 きっと、ただの自然の風だったのだろう。

 けれども、南部を後押しするように風が吹いた。


「翠風だ……」


「翠風!」


「俺たちは押せる!」


「勝って、帰るぞ!!」


 風は歓声へと変わっていく。

 南部の雄叫びが地鳴りのように戦場に響く。

 

 南部がもう一歩だけ進み始めた。

 みんなの前を向く力が強くなったんだと感じられた。


「……うまく、やれたでしょうか」


 杖で身体を支えながら、ユキウスおじさんに問いかける。


「ええ、素晴らしい仕事です。

 私がどんなに願ってもできないことを貴方はやり遂げたのです。

 よく見てください。青い旗が飲まれ、緑の旗が前に進んでいきます」


 見渡せば、一歩ずつ、少しずつ、緑の旗が進み、青の旗が隠れていった。

 南部が押している。皆が力をふり絞っている。

 やっと確信が持ててきた。

 ここで私が皆をちゃんと応援できたのだということ。

 ただの応援だけでも皆が強くなれた気がしたのだということ。

 私の送った風が誰かが前を向く理由になったということ。


 これが父さんの言っていた、私が私だけじゃなくなるという感覚。

 とても怖いけれど、折れてなんていられない。

 だって、私が立たなければ、もっとたくさんの人が倒れてしまうのだから。


「南部が押しています! このままいけば、勝ちが!」


 ユキウスおじさんの声も高まっていた。


 風が火照った頬を撫でていく。

 もう私に風は起こせないけれど。

 きっと皆が前に進んでいく。風も後押ししてくれるはず。


 やっと勝利が予感できていた。

 皆の力強い声を、心強く、心地良く感じていた。


 もう少しだけこの足で立っていよう。

 この風の中で前を向いて、皆の勝利を見届けるんだ。

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