第20話 預けられた刃
ダグラスは戦況を見極めようと、前線に目を凝らしていた。
フェルクに代わり、老将グスタフが総大将として就いている。
グスタフは確かに優れた指揮官であった。
任された大軍を十全の形で仕上げた。
途中の妨害に遭っても即座の指示で持ち直した。
開戦時からの展開も理想的な運びであった。
初撃の矢雨、第二射の追加投入、槍部隊の前進、どれも正に機を捉えていた。
そして、南方軍の救援を阻むための第三射。
――しかし、ここで初めて帝国軍の計算が狂わされた。
大きな風が吹き、第三射は防がれ、南方軍の士気が回復する。
そして、帝国軍の優勢だった戦況を、南方軍が押し留めつつあった。
しかし、帝国には未だ温存している切り札がある。
それが予備騎馬隊による突撃。精鋭部隊を以って凄まじい勢いで敵陣を食い破るのだ。
本来はフェルクがこの精鋭を率いて、ここぞという瞬間に戦場へと繰り出す。
そして今、その役目はダグラスに委ねられていた。
グスタフからの出撃指示はまだない。
戦況は今のところ互角に近く、混戦の様相を呈しつつある。
本来であれば、第三射が成功していれば、そこで薄くなった敵の陣を狙い定め、予備騎馬隊が投入されたのだろう。
しかし、南方軍は持ち直してきた。であれば、次の機会を見計らうしかない。
「南方軍の士気は高くなった。だが、高まりすぎでもあるな……」
そして、グスタフは戦況を見通している。
翠風のルーシェの支援で、南方軍は勢いづいた。
しかし、あるいは意気込みが過ぎている。
両軍が接している部分はもちろんのこと、まだ接敵していない後方からも我先にと来る部隊が見られる。
次第にその高まりは隊列の乱れを来たしつつあった。
いよいよダグラスの出番が近付いてきていると感じる。
敵の突出部が大きくなったときこそ、予備騎馬隊の突撃が最も効果的となる。
願わくば狙う先がルーシェなる新たな旗頭の部隊であれば良かったが、そこは守りが固いようだ。
だが、側面であっても食い破れば大きな打撃を与えられる。
ダグラスは手綱を強く握りしめ、指示がいつ来るのか、その時をじっと待っている。
そこで、南方軍の中央左寄りが大きく膨らんだのが見えた。
慌てて緑の旗を振って戻そうとしているようだが、その指示がうまく届いていない。
明らかな隊列の乱れと見て取れる。
そして、グスタフがこちらに向き直った。
「ダグラス殿! ここだ!! 敵中央左の突出部を割り、ディオゼ軍との連携を断ち切れ!」
「承知! 騎馬部隊、出陣します!!」
待ちわびた命令。馬を歩ませ、掛け声を上げた。
「騎馬隊! 前へ!」
剣を上げ、騎兵隊に号令する。
馬たちが嘶き、蹄の音が響きだす。
右翼外側に空けておいた進路へ、帝国騎馬隊が滑り込むように動き出した。
まずはゆっくりと、後続の来るのを待ちつつ。
隊列を作り、速度を合わせて厚みを出す。
頭に思い浮かぶのは殿下の騎馬疾走。
ダグラスにとって、理想の騎兵運用とはフェルクのそれである。
いつもは本陣から殿下の騎馬出陣を見送っていた。
今、その切り札を任されているのは自分である。
一度抜けば、そうは戻せない最後の刃。
これを失敗すれば、帝国軍の勝ち筋が不発となってしまう。
あまりに重い任であるが、責務を必ずや果たす。
敵が見えてきた。
風を切って、地を鳴らし、加速する。
帝国の青い旗が、騎馬隊の上で大きくはためいている。
ダグラスは先頭に立ち、剣を構えた。
殿下のように、敵陣を切り裂いて見せる。
あの氷雪の魔法がなくとも、精鋭騎馬隊は強靭である。
この一撃で、帝国の優位を我が手で掴み取る。
「突撃!!」
ダグラスの号令とともに、騎馬隊は南方軍の側面へ突入した。
衝撃のままに、敵陣を食い破っていく。
敢え無く跳ね飛ばされる南方兵。
盾を構えようが、この勢いには用を成さない。
槍すらも弾き飛ばす。悲鳴があがり、逃げ惑う。
側面からの騎馬突撃。一隊は瞬く間に壊滅へと陥った。
この調子だ。さらにこのまま蹴散らすのだ。
馬の勢いは乗っている。
騎兵隊の配下もしっかりと追従してきている。
「このまま前方に進み、敵陣を割る!!」
ダグラスは声を張り上げ、隊を鼓舞する。
だが、視界の端に、薄緑の旗が揺らめいた。
まだかなり距離があるものの、いつのまにあんな位置まで。
いや、この騎馬隊の勢いなら、あそこまで到達することもできるか――?
そう思ったとき、薄緑の旗の下の少女が、杖を掲げているのが見えた。
すると、地を這うように、風が巻き起こり、こちらに吹き付けてくる。
――今度は何をするつもりだ。風ごときで騎兵は止められない。
いや、これは、煙か――。
それは砂を巻き上げるための風だった。
――砂塵。砂粒と小石を伴った風が渦を巻き、騎馬部隊に襲い掛かった。
視界が一気に悪くなる。これでは馬にも影響が――。
馬の息遣いが苦しそうになり、むせるような声が聞こえだす。
それでも目を凝らせば、槍を構える一隊が進路の先にある。
まさか、騎馬突撃を待っていたのか。
読まれていた? いや、まさか誘いこまれたのか?
ここで騎馬突撃の対抗策として、風使いと槍衾を配置していたのか。
だが、まだ勢いは殺されていない。
このまま、――殿下であれば、ここを貫けるはずだ。
「怯むな! 砂ごときで馬は止まらぬ!! 行け!!」
剣を振りかざし、自分と隊を叱咤激励する。
騎兵たちも掛け声で応じる。
やがて槍の一隊に達するが、まだ圧し潰せる。
まだ、食い破れる、まだ!
「もっと奥へ! 駆け抜けろ!!」
殿下ならば、砂塵など物ともしないだろう。
すかさず氷雪をぶつけ、相殺するか、あるいは氷漬けにして地に落とす。
だが、自分は殿下ではない。
しかし、ここで折れるような弱い将ではない。
信じて任された以上、立ち止まるわけにはいかない。
さらに敵兵とぶつかる。
「翠風を守れ!」
「旗を下ろすな!」
「ディオゼ様の軍に続け!」
騎馬突撃は通ったはずだが、南方軍の士気は依然として高い。
ついに疾走の勢いが弱まってきている。
跳ねのけた南方兵たちが立ち上がり、再度こちらへ槍を構えて、こちらに向かってくる。
「副将! 後続が遅れています!!」
既に我が隊の列の厚みは減じていた。
馬たちと、そして兵たちの悲鳴が混じりだす。
砂塵はなおも止まず、兵にも不安が広がっているか――。
よく見れば、砂塵は帝国の騎馬隊のみを取り巻くように渦巻いている。
このままでは一方的に不利に……。
そして、徐々に南方軍が集まりつつある。
これ以上粘れば、囲まれるか――。
ダグラスは歯噛みをした。
このまま深入りすれば、騎馬隊は敵陣で孤立する。
そうなれば精鋭部隊さえ失うことになる。
「このままでは包まれます!」
もはやここが引き上げ時か――。
「撤退だ! このまま横合いに逸れて、駆け抜けよ!!
大きく周り、右翼へと戻れ!!」
屈辱の撤退指示だった。
決して効果がなかったわけではない。
だが、大きく食い破ることはできなかった。
南方軍に阻まれてしまった。
自分が率いた予備騎馬隊は、その役割を十分には果たせなかった――。
バラバラと撤退する中、追いすがってくる南方兵。
そして、帝国陣地に近付けば、矢が放たれて我らの撤退を手助けした。
グスタフの命令により、騎馬隊の転進が援護されている。
我らを見殺しにしないように、老将は賢明な指示を出している。
しかし、我らはその信任に応えられず――。
ダグラスはグスタフのもとへ馬を寄せた。
「申し訳、ありません。抜けませんでした」
声が、苦かった。
グスタフは戦場を見たまま、短く答える。
「よく戻した。深入りすれば、騎馬隊を失っていた」
「ですが、決め切れませんでした」
「……そうで、あるな」
老将は否定しなかった。
重い沈黙が、漂っている。
戻ってきた騎兵たち。
馬は荒い息を吐き、泡を吐くものもいた。
騎兵たちも疲れ、傷を負っている。
飼い葉などの補給も不足している。
もう一度の騎馬隊投入は、もはや不可能であった。
前線では、南方軍が再び声を上げている。
帝国騎馬隊を退けた。
その事実が、彼らの熱気をさらに盛んにしているようだった。
薄緑の旗が揺れる。
翠風のルーシェ。
その名を呼ぶ声が、戦場のあちこちから上がる。
帝国軍はまだ崩れていない。
グスタフもダグラスも、戦場を投げてはいない。
対する南方軍は、傷つきながらも前へ出ようとしている。
ダグラスは血の滲む手で手綱を握り締めた。
――殿下なら抜けたのに。
その悔しさを、噛み砕くように飲み込む。
ここに殿下はいない。
そして、自分は届かなかった。
代わりの重い任を、果たすことができなかった。
東の平野に吹く向かい風は、さらに強さを増していた。




