第19話 老将への向かい風
老将グスタフは大将として丘の上に本陣を置き、馬上より帝国軍の布陣を見下ろしていた。
東の平野には帝国軍が隊列を揃えて配備されている。
各所でなびく青地に白い狼の帝国軍旗、統一された装備による威容はまさしく壮観であった。
副将のダグラスが馬を寄せる。
「布陣はいかがですか?」
「前列、槍兵の二段構えはこのままで良い。
弓兵も十分に丘に配置できている。
左翼はここまで厚くせずとも、小川と柵で守れよう」
「ふむ、さすがです。確かに左翼に置きすぎてましたね」
「それに右翼は広げすぎるな。中央寄りに締め、外側の草地を騎兵の進路として空けておけ」
「なるほど、今回の騎兵は右翼外側に控えさせるということですね。早速、調整に当たります!」
ダグラスは伝令に指示を出し、自らもまた右翼方面に向かった。
溌剌とした、気の回る好青年である。
ダグラスは今回、本軍の副将であり、予備騎馬隊の指揮官も兼ねている。
自分の目で進路を確かめているのだろう。備えとして良い心がけである。
斥候が戻ってきたため、報告に応じる。
「敵影、まだ遠くにあります!
旗は複数。ディオゼ・グランヴェルの紋を確認。他にも諸侯の兵らしき集団あり。
ただし、隊列に乱れあり。統一した軍ではなく、各家の兵を寄せ集めた形かと」
「そうか」
当初の見立て通りである。
南方は単一国家ではなく諸領から成る。
諸侯ごとに兵の装備も練度も異なる。
旗頭を掲げたばかりで士気は高まっているかもしれない。
だが、士気が高じても軍の構成までは急激に変わらない。
戻ってきた副将ダグラスと開戦時の方針を共有する。
「我らはこのまま待つ。敵が近づくまで動く必要はない。
所属がバラバラの南方軍がこちらに攻めかかれば、必ずや突出した部分が生じる。
我らはそこを叩けばよい」
「御意に。こちらから無理に仕掛けず、敵の勢いが隊列を崩すのを待つ。
そして前に出すぎた一隊を、私の騎馬隊で横から食い破るわけですね」
「その通りだ。士気の高さは強みだが、浮かされた熱は隙にもなろう」
「承知しました。ならば私は、そのときまで手綱を緩めずに待ちましょう」
帝国の正規の布陣は盤石である。南方軍を崩す見通しも立っている。
唯一の気がかりはここにいない殿下のことだ。
本来ならば殿下が予備の騎馬隊を率いて、戦局を決定づけるのが帝国軍の必勝戦法である。
だが、今日その役目を担うのはダグラスだ。
若いが、武門長の任に相応しい男である。副官として殿下の戦を間近で見てきた男だ。
この布陣、この兵、この地形ならば、殿下不在でも浮足立った南方軍を打ち崩せる。
あとは戦端が開かれるのを待つばかりである。
一息をついたそのときに、伝令がこちらに向かってくるのが見えた。
「申し上げます! 補給隊の到着が遅れるとのことです!」
「原因は」
「橋の出口で商人の馬車が壊れて横転し、列が詰まっているとのことで……」
「うーむ、厄介ですね……」
「ダグラス、何か不安な物資でもあったか」
「実は馬の飼い葉の質が悪いことが判明し、結構な量を除いていたのです。
今朝の分は何とか間に合いましたが、出撃後の休憩時に食わせる分が足りません。
騎馬隊の複数回の投入となると、馬が持たないかもしれません」
「ふむ……、矢数も開戦時分は十分にあるが、長引けば不足の可能性もあるか」
グスタフは口元に手をやり、思案する。
「偶然だと思うか?」
「……いいえ。殿下も南方の裏組織の長キーグの暗躍を懸念しておりました。
ただの事故に見えても、悪意ある妨害とみなして警戒を強めた方が良いでしょう」
「小癪なことだ……」
「報告します!」
ふと気づけば、また別の伝令から声が掛かる。
「右翼前方に南方領主の旗を掲げた五十名ほどの一団を確認!
土煙を上げて、こちらに向かっております!」
「一部が先走りましたかね? いや、それにしては数が少ないですか」
「釣りだな。弓兵のみ十名を向かわせて、近づいたら撃て」
その後も散発的に偽装兵などの不審な情報が続いた。
都度、支障の具合を推し量り、対応の指示を出す。
各隊と伝令の数は、余力を一定数持たせてある。
多少の混乱があっても、すぐさま穴埋めは出来ている。
これしきの小細工が続いたところで、綻びが露見するような帝国軍ではない。
「鬱陶しいが、正規戦に対する自信の無さが透けて見えるな。
我らの態勢は揺るがぬ。冷静に対処せよ」
グスタフは落ち着いて指示を出し、各方面の異常を鎮めていった。
フェルク殿下から信を委ねられ、大軍を預かったのだ。
多少の波風で動じるはずもない。
やがて伝令の出入りが激しくなる。南方軍の本隊が近づいてきていた。
南方軍は騒がしく喚声を挙げながら進軍してくる。
対する帝国軍は静かに合図を待つ。
既に本隊は目視できる距離まで迫っている。
だが、まだ引き付ける。弓の射程までじっと待つ。
挑発になど惑わされぬ。時機を見極めた者が勝つ。
――そして、射るべきときは来た。
「撃て!!」
グスタフの号令とともに、銅鑼が打ち鳴らされる。
合図を受けて、丘の上の弓兵が一斉に矢を放つ。
南方軍の足並みは決して綺麗に揃っていない。
よって、突出した隊に矢が集中する。
盾を構えて止まる者、構わず進む者、悲鳴が上がる。
南方軍の進行が鈍り、先行した隊に後続が追い付く。
「もう一度撃て!!」
敵兵が密集したのを受け、すかさず第二射を命じる。
降り注ぐ矢雨に敵の勢いは挫かれている。
「槍兵、前へ! 崩れた先陣を押せ!」
帝国軍の前列が南方軍に圧をかける。
弓で弱められた南方軍の進撃。
帝国軍の槍が押し出され、乱れた兵を削っていく。
最初の衝突は帝国軍の攻勢で押し返されている。
しかし南方軍とて、それを黙って見過ごすわけではない。
苦境の前列を助けるように側面軍がすかさず駆け付けようとする。
――だが、読めている動きだ。
すかさず調子を変えた銅鑼が鳴らされ、援軍に対して第三射が放たれる。
統制の取れた帝国軍の射撃は、正確に機を捉えている。
会心の矢の斉射が降り注ごうとしたとき。
――突如として大きな風が吹いた。
激しい向かい風が、帝国の勢いを縫い留める。
「なんだ! この突風は!?」
前触れもなく吹いた強風により、第三射は敢え無く手前に落下した。
戦場の空気は突如として塗り替えられ、一瞬の静けさがもたらされる。
そして、南方軍がざわめき始めた。
「翠風だ……」
「翠風!」
「翠風のルーシェが来たぞ!!」
南方軍から歓声があがり、どよめきが広がっていく。
後方に見えるのは、薄緑の旗。
風を模した新たなる紋様。
その下に、薄緑の髪をした少女が立っていた。
距離はある。
顔までははっきり見えない。
だが、その姿が現れた瞬間、南方軍の空気が変わった。
揺らいでいた兵が前を向く。
倒れかけた旗が持ち上がる。
乱れた足並みが、再び前へ向かい始める。
帝国の勢いが、ここで押し留められた。
「これが……、旗印の効果ですか……」
拮抗し始めた戦況に、ダグラスは手綱を握り締めた。
「なるほど……。殿下はこれを危惧していたわけか……」
その変容には覚えがあった。
殿下がまるで一迅の吹雪のように騎馬突撃をしたとき、兵たちが我も続けと奮い立つように。
流星のような勢いを見て、自分たちも斯くあらんと激励されるかのように。
あの少女は強い使命と期待を帯びている。
兵たちを前に向かせる風を纏っている。
士気の高揚。なるほど、これは確かに侮りがたい。
だが――。
「槍兵! 敵の先陣は乱れたままだ! 引き続き攻め立てよ!
弓兵! 風で狙いを戻されるだけだ! 奥を狙えば、押し戻しきれん!
騎馬よ! 引き続き機を伺え! 持ち直しても長続きはせぬ!!」
グスタフは本気で声を荒げていた。
形勢を傾かせてはならない。ここが肝心だと己の勝負勘が告げている。
一方で南方も盛んに声を上げている。
この風を止ませてはならぬと、叫び声が鳴りやまない。
後方のディオゼ・グランヴェルの緑の旗が揺れる。
崩れかけていた南方軍が、踏み留まった。
逃げるはずだった兵が盾を構え直し、倒れかけた旗の周りに人が集まる。
帝国軍が押し切るはずだった流れに対し、南方軍が粘りを取り戻した。
帝国軍の序盤の優勢は、ここで押し留められた。
補給への妨害もあり、長期戦を迎えるには憂いもある。
両軍とも士気旺盛にして、どちらも退かず。
帝国軍はまだ揺るがず。
南方軍もまた前へ向かっている。
老将グスタフは戦場に吹き始めた風を見据えながら、まだ抜かぬ最後の刃――予備騎馬隊の投入の頃合いを測り始めていた。




