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第15話 風の前に立つ

 丘の上で、風を集めている――。


 皆との訓練が終わった後、私はいつもこの丘に来ていた。

 そして、夕焼けの始まりから夜に閉ざされるまで、私は風に包まれている。

 魔法の力で集めて、そして解き放って。

 風の感覚を通じて、自分の触れられる世界を何倍も大きくしながら。

 いつか空の彼方へ、この力を届ける日を予感しながら。

 夕陽に染まる山と街と緑を見渡しながら、風を巡らせて胸を馳せていた。


 その風が、誰かが近付いていることに気付いた。

 いつもそれは、小さな動物の気まぐれだったりするけれど。

 誰かを風で包めば、正体はすぐに分かる。

 ――父上だ。それも、馬にも乗らず、たった1人で。

 振り向いて、父が来る方角に遠く眼差しを巡らせた。

 その足取りは重く、何か大事な変わり目を知らせに来ているような。

 嫌な予感に胸のざわめきは強くなり、私はその方向に歩みだしていた。


「父上――」


「ルーシェ……」


 声の届く距離まで近付いて、やっぱり父の様子が違うと感じた。

 いつも領主として胸を張って、元気いっぱいに振舞う父上。

 誰もが父に肩をかけられると自然と笑顔になる、そんな太陽のような父。

 それなのに、今は夕陽が眩しいのか、泣きそうな顔をしていて。

 いつもの元気を振りまくような父ではなかった。


「どうし、ました?

 何か私に急な御用でも……?」


 静かにゆっくりと問いかけた。

 伏せられた父の顔に寄り添うように、ゆっくりと。


 私の声に顔を上げ、父は複雑な表情を浮かべていた。


「そう、だな。ルーシェにきかなくちゃいけないことがあって、ここに来たんだ」


「私に……」


「ああ……」


 そうつぶやいて、風は静まり返った。

 言いづらいことなのだろう。

 言わなくても分かる。言わないからこそ伝わってくる。

 父はそれでも何かを振り払うようにして、息を吐いて、声を発した。


「母さんのことを、覚えているか?」


「母……上……?」


 どうしてそんなことを急にきくのだろうか。

 でも、父が思いつめていることだけは分かる。

 だからちゃんと、答えなくちゃいけない。


「覚えています。大きな槍を振って、濃い緑の長い髪が揺れて。

 いつも笑っていて、すごく大好きでした」


「そう、だよな。ああ違う、こんなことを話に来たんじゃなくてだな」


 頭の後ろをかきながら、でもやっと強張りが解けたようで、息を吸い直して。

 父は私を見据えて、お腹に力を込めて、力強く声を出した。


「北の帝国が攻めてきた」


「帝国が……」


「そうだ。母さんが戦って、そして死ぬことになった相手の、帝国だ」


「……………」


 言葉が出ない。父の強い声に、嫌な予感が確信を結ぼうとしている。


「俺は戦いに向かう。ユキウスのおじさんも、キーグのおっさんも一緒だ」


「父上も、おじさんも……」


 大好きなおじさんの顔が思い浮かんだ。

 欲しい本をお願いすれば、いつもどこからか持ってきてくれるユキウスおじさん。

 『パパには内緒だぜ』と言いながら、いつも珍しいものをくれるキーグおじさん。

 2人とも、いつも父と笑いあっているけど、立派な人だってことは分かっている。

 

 父上と、ユキウスおじさんと、キーグおじさんが、帝国と戦う。

 そして、父はつらい顔をしている。

 笑い飛ばせるような、勝てると言える戦じゃないことは、嫌でも分かった。


「父上――」


 私は言い淀んでしまうけど、息を吸い直して、大きな声で言った。


「私にできることは、ありますか?」


 胸に手を当てながら、父を強く見つめて、頼れる娘だって思ってくれるように。

 私と目が合えば、父はかえってつらそうな顔をして、ふり絞るように声を出していた……。


「あるんだ、お前にしかできないことが、あるんだ……。

 だから、俺は……。どうしていいか……」


「父上……」


 いつも頼れる父の、泣きそうな声。私まで胸が詰まりそうになる。

 どうしていつも笑っている父が、こんなにつらそうなのだろう。


 父は、悲しみを押し流すように、深く息を吸って吐いてを繰り返した。

 そして、もう一度気を取り直して、私に力強く視線を返す。


「お前は、英雄が、どうして英雄と呼ばれるのかを知っているか」


「英雄……」


 急な話に、答えが思い浮かばなかった。

 英雄なんて、詩人の歌うバルドー老師のことくらいしか聞いたことがなくて。

 急にきかれても、何が何だか全然分からなかった。


「英雄は、ひとりじゃない。

 誰かの期待を背負うから、英雄になるんだ。

 その背中に皆が夢を見るから、英雄が生まれるんだ」


「期待に、夢……」


「お前が戦地に立てば、もうお前はお前だけじゃなくなる。

 お前の背中は、お前だけのものじゃなくなる。

 戦地に立つお前を見て、人々は勝手に夢を見てしまうんだ。

 俺の志を継いだ者が、母さんの無念を晴らす、新しい時代を期待してしまうんだ。

 お前は、ひとたび戦場に立てば、英雄になってしまうんだ。

 南部の誰もが、お前の活躍を見れば、夢を見ずにはいられなくなる」


「……………」


「他でもないユキウスが、そう言っていたんだ。

 そして、そうなるに違いないって、俺も分かっている。

 だからお前にはその未来を、ちゃんと考えた上で、決めてほしい」


「……………」


 父は真剣だった。

 まるで夢みたいな英雄の話が、他人事ひとごとじゃないと、私に言い聞かせていた。

 私が英雄になる。

 考えたこともなかった。

 憧れたこともなかった。

 遠い世界の話だった。

 けれど、今、私が英雄になる未来が、目の前にあるという。


 私は、たくさん皆に大事にされてきた。

 父にも、母にも、ユキウスおじさんにも、キーグおじさんにも。

 家の者たちにも、先生にも、友達にも、街のみんなにも。

 期待。きっと期待されていることは、間違いなかったんだろう。

 立派な父上の、たったひとりの娘なんだ。

 きっと立派になるって、誰もがそう思うんだろう。

 いつの間にか、その期待は、風のように広がって、何倍も大きくなって。

 これはきっと、そういう話なんだと思う。

 英雄って言葉は大げさだけど、私は期待に応えたい。

 きっと、そこから始まる物語なんだ。


 ここで立ちすくんで、やっぱり無理だよと言っても、父はきっと受け入れてくれる。

 でもそうやって、父が母みたいに帰ってこなかったら、私は絶対に後悔する。

 だから、私は退けないんだ。

 もう大人を見送るだけの子どもじゃない。

 風の前に立って、風を操る力を身に着けたんだ。

 そして英雄になってしまうとしても、父の力になれないよりはずっといい。


「……私が、立ちます」


 そう答えると、父は泣きそうな顔をして、目を伏せた。

 だけれど、重荷を少し降ろしたように、仕方ないなといった顔をしていた。


「そう答えるって。分かっていたさ。

 本当にお前は――」


 気付けば夕焼けは深くなっていた。

 父は眩しそうに、目の上に掌で影を作りながら、私を見つめた。


「立派になったな。格好いいよ。母さんに似たんだ。

 お前ならきっとやれる。俺だってずっと、お前に夢を見ているんだ」


 父は少しかがんで、私に目線を合わせつつ、頭をポンポンと撫でた。


「お前は英雄になる。だから、ひとりじゃない。

 みんな、お前の傍にいる。お前の力になりたがる。

 俺だって、全力でお前の力になる。

 だから、何でも言えよ」


「……はい」


「そうと決まれば、準備に大忙しだ!

 明日は馬を走らせて、ユキウスのところに行くぞ!

 馬、うまく乗れるようになったよな?

 お前は将になるんだからな! 格好よく乗れるように、俺が鍛えてやるからな!」


 父は私の肩を強く叩いた。

 もう元気な父に戻っていた。

 父が笑っていると、私も安心する。

 この笑顔を守りたいって、強く思う。


 夕陽に向かって、私は風を解き放った。

 空の彼方に、母さんに届くように。

 幼くて弱い私を、ちゃんと吹き飛ばすように。

 この風に乗って私は、――ずっと遠く、皆が夢見る未来まで、駆け抜けてみせるのだ。

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