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第10話 陽だまりに手を伸ばす

 フェルクが顔を出せば、リセアは震えながらこちらを見上げた。

 時間通りの来城である。怒る理由もない。

 なのに、なぜこうも怯えているのか……。


 まぁ一般市民からすれば、皇族からの呼び出しは恐れ多いのだろうか。

 ましてリセアは捕虜に近い身分でもある。捕らえた首謀者が怖いのは当然か。

 自分の存在そのものが怖がられているのなら、慰めても仕方があるまい。

 淡々と確認すべきことを確認するとしよう。


「よく来た。ついて来い」とフェルクは簡潔に指示し、目的の場所へ歩を進めた。

 後ろからはちゃんとついて来ている感覚は伝わってくる。律儀な少女だなと思う。


 次第に奥まった区画に入っていくと、リセアの歩みはさらにゆっくりになった。

 辺りをキョロキョロと見回しながら、遅れたと気付き、小走りに近付いてくる。

 行き交う侍女の格や調度品の違いで、素人目にも貴人の居住区だと分かるのだろう。

 さらにその奥に目当ての――イヴェリの居室があるのだ。


 いつもの通りにノックし、鈴の音の返答を受ける。

 少し遠慮がちな音色に感じる。

 侍女たちから事前に聞いた通り、今日はあまり加減が良くないのだろう。


 無言でドアを開け、入室した。

 部屋に入ると、いつもの薬草と香の匂いが胸にじわりと染みてくる。


「フェルク……、あら、その人は……」


 イヴェリは身を起こして当方を迎えていたが、あまり顔色は良くない。

 それでも気丈に自分を迎えようとしているようにも見える。

 少し無理をさせているな。

 早速進めるとしよう。


「治癒術師を連れてきた。

 遠くの出だ。イヴェリに効くかもしれん。試しに来た」 


「あらまぁ、ありがとう。私はイヴェリよ。

 貴方のお名前は? どちらから来たのかしら?」


 優しく語りかけられたリセアは、控えめな声で答えた。


「リセア……です。南の山奥から来ました」


「南から、それは珍しいわね。ということは、バルドーさんの?」


 イヴェリは即座に言い当てる。

 フェルクが軍務の詳細を聞かせているわけでないのだが、侍女たちは基本的に噂好きだ。

 イヴェリは持ち前の推察力から、自然と情報を繋げられるのだ。


「はい! イヴェリ様は、その……皇子の妹さんですか?」


 そう問われると、イヴェリは口元に手をやりクスリと笑った。


「ふふ、傍から見るとそう見えるのかしら。

 ねえ、フェルク。私はあなたにとって、何だったのかしら」


 少し悪戯っぽい目つきで、イヴェリはフェルクに問いかける。

 何だ、この空気は。こういう時、どんな顔すればいいのか分からない。

 さあ、元のフェルク! お前に回答は任せたぞ!


「妻だ」


 フェルクは迷わずきっぱりとそう答えた。


「あら嬉しい」


 イヴェリは頬を少しだけ染めて、目を細めて微笑む。

 さすが皇子だ。ここぞの回答をズバリと決めやがる。


「奥さん……だったんですか……」


 リセアは信じられないものを見る目で、こちらを見つめていた。

 真顔である。そんなことがあり得るのかと、驚愕があらわである。


「婚儀はまだ……、なんですけどね」


「たかが手続きだ。俺にはお前だけだ」


「もう、フェルクったら……。こほっ、こほ……!」


 胸が詰まったのか。イヴェリが咳込んだ。

 フェルクは心配そうに歩み寄り、顔を近付ける。

 そして、リセアに振り返って告げた。


「貴様、治癒術をかけろ」


「え、でも……」


 リセアはためらいを見せる。

 失敗しづらい貴人の頼み。そして、明らかな難病。

 二重の困難がリセアを強張らせているのだろう。


「成否は問わん。やってみろ」


 フェルクが強く促す。そして、イヴェリは辛そうな表情をしている。


「分かりました。やってみます」


 リセアは決然と顔を上げ、イヴェリに両手をかざした。

 目の前に患者がいて、強く治療を求められている。

 抵抗を感じても、それでも治さずにはいられない。

 それがリセアの治癒術師としての誇りなのだろう。


 リセアの手から放たれる淡い輝きが、イヴェリを照らす。

 その光がイヴェリに触れる最中、リセアは険しい表情をしている。

 イヴェリの顔色が少しだけ良くなったようにも感じる。

 リセアは両手を探るようにして動かし、額に汗をにじませている。

 そして、胸のあたりに手を近付けたところで、リセアの腕が痺れたように震え、治癒は中断された。

 リセアは息を切らせながら、先ほどの治療の感触を反芻はんすうしているようだった。


「あたしには……治せません……」


 リセアは悔しそうに肩を振るわせる。


「表面だけの苦痛を和らげるなら、少しはできます。

 けれど、根元からちゃんと治そうとすると、すごい抵抗が……。

 この病は、一体――」


「国の名医はあらかた呼んだ。

 だが、治療には至らなかった。

 貴様ができないのも当然だ。

 だが――」


 評判の良い術師であっても、感触すら掴めないものも多かった。

 まるきり効果も手ごたえもない者も多かったのだ。

 それに比べれば、リセアの治癒は真に迫っていた。

 症状を和らげ、病の源に近付くことができた。

 それだけでも抜きんでた結果なのである。


「貴様の腕は悪くない。これからも時折やってくれ」


「分かりました。やります」


 リセアは決然と、そう答えたのだった。


「……ありがとう、リセアちゃん。

 少し楽になったわ」


「イヴェリ様……。すいません、力が及ばず……」


「いいのよ。むしろその若さでこんな効果があるなんて。

 貴方は優れた治癒の才を持っているわ。

 さすがはフェルクの見込んだとおりね」


「そんなあたしなんて……。里で暮らしてただけだから」


「そうそう、南の山のことを聞こうと思ったら、話が逸れていたわ。

 ねえ、リセアちゃん、里ではどんな暮らしをしていたの?

 私はここで閉じこもってばかりだから。外の話が聞きたいの」


「里? うーん、稽古したり、いのししを捕まえたり、それで怪我したら治したり……」


「猪!? それって大丈夫なの?

 どうやって捕まえるのかしら……」


「3人で組んで、1人が大きな音で追い立てて、残る2人で取っちめるか、さらに罠に追い込むんです」


「たった3人で!? リセアちゃんたち、すごいのね……」


「うーん、里ではみんなやってたから、すごいのかな。

 えっと、皇子様、どうなんでしょう?」


「猪……。新兵では難しい。慣れと地理の把握が要る。

 市井しせいの若者で、そうできることではない」


「そうなのかぁ。みんなやらないんですね。

 猪鍋、ちゃんと血抜きすれば美味しいのになぁ」


「温かい猪鍋……。私も食べてみたいです」


「ダメだ。癖が強くて、脂が濃い。イヴェリの身体に障る」


「そうよね。残念だわ。私の知らないことが、外には沢山なのにね……」


 イヴェリは窓の向こうを見やる。

 窓際に飾られた花が、陽を受けて背伸びする。

 羨ましそうに、イヴェリは目を細めた。


「ねえ、リセアちゃん。また来て、いろんな話を聞かせて頂戴。

 今度はフェルク抜きで、好きな男の子の話を聞かせてね」


「そ、そんな奴なんて!? いやいや、あいつなんか――。

 あ、でも、また来ますね。そのときにはもっと、治癒の腕を磨いてきます」


「ええ、また楽しみが増えましたね。

 フェルクも、ありがとう」


「ああ」


 いつのまにかフェルクとも言葉をかわすほど、リセアは馴染んでいた。

 いつもと違って賑やかに、イヴェリの部屋での時間が過ぎていった。


 猪という話題に、自分は思うところがあった。

 グレンは原作では猪武者として勇猛に活躍する。

 しかし、その未来は閉ざされたのだろう。

 ここで自分が《《飼い殺す》》のだから。

 豚に甘んじるとまでは言わないが、原作のような成長は見込めまい。

 少なくとも自分は原作のように過酷な試練をドラマチックに課すつもりはない。

 

 リセアとて同様だろう。

 本来であれば、作中屈指のヒーラーとして大成する才を持つ。

 だが、ヒーラーこそ精神的な苦境が癒しの糧となるはずだ。

 安全な街の中では、いかに難しい患者を任せたとしても、本来の成長が見込めるかどうか。

 

 イヴェリをリセアが癒す。

 既に原作では成しえなかった対面が実現している。

 しかしそれ以上に、グレンとリセアの未来は改変されてしまったのだ。

 蒼炎の勇者と陽光の聖女が誕生することはないだろう。

 その可能性の芽は既に摘んでしまったのだから。

 才能を完全に開花させたリセアであれば、あるいはイヴェリを癒せたかもしれないが――。


 まぁいい。

 このまま戦乱が起こらないのなら、試す時間はたくさんあるはずだ。

 自分自身の破滅の未来は回避されたのだ。

 次はイヴェリの閉ざされし明日をこじ開けなくてはならない。

 それが未来の夫としての勤めに違いあるまい。

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