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月の道  作者: 月上まもる
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第八章

 佑也は、松葉杖が無くても、歩けるようになっていた。リンネに言わせると、驚異的な回復力ということだが、診断が厳し目だったのだろう、と佑也は考えている。いずれにしろ、早く完治させてサッカー部の練習に参加したかった。

 今日は、青蝶堂という古本屋を訪ねていた。

 神崎美咲の紹介だった。この街の戦後の歴史を調べたい、と言ったら、この店の名を挙げてきた。美咲に相談したのは、いつか、美咲が、私の祖母は巫女だったのよ、と誇らしげに言ったことがあるからだ。美咲の勘の良さは、祖母譲りなのだろう。

 夕陽が青蝶堂の古びた店内を染める中、佑也は脚を気遣いながら、諏訪市の戦後史が記された古書を読んでいた。セラフィスの最近の変化について、その手がかりを求めて、夏休みの夕暮れをここで過ごそうと思ったのだ。

 不意に、少女の声が響いた。

「本当に見られたんですか?」

 佑也が声の主を見れば、カウンターの少女だった。美咲の説明によれば、あの少女が、美術部の後輩の千夏という少女だろう。千夏は、カウンター越しに、年配の女性と話をしていた。

「ええ、確かに見ましたよ。セラフィスの三階の窓でした。夕暮れ時のことです」

 女性の声には、どこか高揚したものが混じっていた。

「白いワンピースを着た少女が、窓辺に立っていたんです。とても上品な装いで、首元と袖にレースが施されていて。でもあそこは病室のはずがない。孫が通院しているものですから、よく分かっているんです」

 佑也の手の中で、本のページがかすかに揺れる。先週の夕暮れ、リハビリの帰り道。確かに自分も、窓に映った何かを見た気がする。長い髪をなびかせた白い姿が、一瞬、視界の隅をよぎったような。だが、あまりにも一瞬のことで、気のせいだと片付けていた。

 千夏の声が続く。

「少女はどんな感じでしたか?」

 年配の女性がちょっと、考えて言う。

「それがもちろん、遠目だから、はっきりしたことは言えないんですけど、とても古風な印象を受けて。もちろん、服のデザインが全体的に上品でクラシックな感じだからなんでしょうけど、でも、それだけでなくて、少女の存在そのものが古風な感じで」

 その時、青蝶堂に、吹くはずのない風が吹いた様に、佑也には思えた。佑也は慌てて、入口を振り返る。が、もちろん、閉まっている。佑也には、この会話が単なる噂話以上の意味を持つ様に思えた。


 翌日、夕暮れ時のセラフィス。

 消毒液の香りが漂う廊下を、佑也はリハビリ室へと歩を進めていた。

「最上君、今日の調子はどう?」

 顔なじみのスタッフが声をかけてくる。

「はい、だいぶ良くなってきました」

 そう答えながら、佑也は廊下の大きな窓に目を向けた。差し込む夕陽が床に長い影を作っている。

 その時だった。

 三階の窓ガラスに映る影の中に、見慣れない人影が一瞬写り込んだ。年配の女性の話にあった通りの姿。古風な装いの少女が、まるで何かを見つめるように佇んでいる。

 そして、佑也には、瞬間、その少女と視線が合ったような気がした。しかし、佑也が瞬きをして、再び、窓ガラスを凝視した時には、そこには誰もいなかった。

 佑也は、リハビリの最中も、その光景が頭から離れなかった。

「ねえ、最近、変わったことない?」

 休憩時間、同じくリハビリに通う武に尋ねてみる。

「うーん」

 武は少し考え込むような素振りを見せた後、

「夜、紅い光が見えることがあるんだ。でも、誰も信じてくれなくて……」

 その言葉に、佑也は心臓が高鳴るのを感じた。青蝶堂に、もう一度行かなければ。あの古い資料の中に、きっと何かがある――。


 青蝶堂の閉店時間が迫っていた。店内には客は誰もおらず、古書の並ぶ棚の間に、夕闇が忍び寄っている。カウンターの千夏が、佑也に気づいた。

「お客さん、昨日も来てなかったけ?」

「ああ」

と、佑也が頷く。「神崎美咲のクラスメートの最上佑也だ。美咲から青蝶堂のことを聞いて」

 千夏の顔が綻ぶ。

「あら、嬉しい。美咲さん、青蝶堂の宣伝をしてくれてるの?」

「別に、そういう訳じゃないだろう。俺から聞いたんだ」

「へえー、なんて?」

「この街の戦後の歴史を調べたい、って」

 佑也の返答に、千夏の瞳が思慮深げになる。

「何を調べているのかしら?」と、千夏。「青蝶堂には、市の図書館には無い資料もあるよ」

「ああ」

と、佑也は頷きながら、店内を見回す。

 青蝶堂は、図書館に比べたら、もちろん、決して広いとは言えない。だが、書棚には、古書の合間に、手製のリーフレットなどもぎっしり詰まっている。本にならない情報、一歩間違えば、単なる噂話の類も、それが、活字になっているならば、残っていそうだった。

 佑也は、愛くるしい千夏の瞳を覗き込みながら、やがて、意を決した様に、言った。

「セラフィスのこと、それと、戦後直後の古いことがあれば」

 佑也と千夏の視線が、バチバチとぶつかり合った。

 千夏は、内心、考える。――美咲さんのことは信用している。信用するも何も、当事者の咲子さんの孫娘だ。時間をかけてでも、信頼し合う関係にならないといけない。だが、この人は――。美咲さんが青蝶堂を紹介するくらいだから、悪い人ではないのだろうけど。

 視線を外したのは、佑也が先だった。

「俺は今、セラフィスに通って、リハビリをしているんだよ。サッカーの試合で、足首を捻挫しちまってな」

「あら」

「それでな、不思議な出来事を経験しているんだよ」

 千夏の瞳が輝く。

「不思議な出来事?」

「リハビリ中に倒れた小学生の子供の指から赤白い光が漏れ出るのを見たり」

「赤白い光――」

と、千夏が思わず、呟く。

 その様子を、佑也が、興味深げに見やる。

「それにな、今日、見たぜ」

「見たって、何をよ?」

「昨日、ここで話してたじゃねーか、年配の女性が。セラフィスの三階の窓ガラスに、古風な装いの少女がいるって。……髪は長かったな」

 佑也は、自分で、言葉にしてみて、不意に、武の言葉を思い出した。

 武が言うには、地下に、ショートボブの少女だったな。もっとも、武が見たわけじゃなくて、噂話だが。……所詮は、噂話ってことか。

 佑也が思案していると、千夏が、カウンターの下から一枚の写真を取り出した。

「これ、月輪寺の住職から、譲っていただいたの。戦後直ぐに撮られたもの」

「月輪寺?」

と、呟きながら、佑也は、写真を受け取って、覗き込む。

 一枚の古びた写真は、何かの集合写真のようだった。十人ほどの子供たちが写る中に、異彩を放つ姿があった。端正な顔立ちの少女が、長い髪を背に垂らして写真の隅に佇んでいる。他の子供たちが十歳前後なのに対し、彼女は十七、八歳といったところだろうか。彼女の装いは、場違いな程、上品な感じだった。そして写真の中央には、白衣をまとい、子供たちに囲まれて笑顔で立つ人物の姿があった。

 写真を見た、佑也は、思わず、「おっ、おっ」と、二度、声を挙げた。

 千夏が眉を寄せる。

「何よ、二度も、はしたない。一度は分かるけど。その端の少女が、今日見たっていう少女でしょ」

 佑也は、写真をカウンターの上に置くと、白衣の人物、フラムを指さした。

「そう、写真の端の少女が、今日、俺がセラフィスで見た少女だ、間違いない」

 千夏が、佑也が指さした先を見る。

 佑也が続ける。

「それと、もう一人、この中央の人物、医者か何か知らんが、フラムにそっくりなんだよ」

「そりゃ、フラムはフラムでしょ」

 青蝶堂にある聖花園の記録で、千夏は、フラムのことを知っている。だが、千夏が知っているのは、戦後、一九四五年に聖花園を開設したフラムだ。一年生の千夏は、未だ上信越学園で、フラムの特別授業を受けていない。

 佑也が、何言ってんだ、コイツ、と言う感じで、続ける。

「だから、フラムにそっくりなんだよ。その写真の人物が」

 聖花園のことを時間をかけて調べている、千夏の方が先にピンと来た。

「ちょっと待って、佑也君」

「お、おう」

「佑也君の言う、フラムって誰?」

 尋ねられてみて、佑也にも、薄々、事態が飲み込めてきた。

「そりゃあ、上信越学園で特別授業をするフラム先生のことだけど」

 佑也は、そう言いながら、千夏の手から、写真をもぎ取った。

「似ている。というか、瓜二つだ。だが、この写真の人物は、フラム先生の祖父か?」

 すると、千夏は鼻を鳴らした。

「その写真の少女も、今日見た少女の祖母なわけ?」

 佑也は、ハッとして、写真から顔を上げて、千夏を見る。

「無くは無いだろう?」

「本当に?」

 ……無くは無い。

 七十年前、この写真の、恐らく、孤児院か何かだろう、その施設で育った少女が成長し、結婚し、そして、また、その子供も結婚し、孫が生まれた。

 その孫が、現在、交通事故か何かに合い、リハビリでセラフィスに通っている。いや、もしかしたら、入院しているのかもしれない。それで、暇つぶしに、病室でない部屋に出入りするようになった。……その少女は、祖母の服が気に入り、今も来ている。

「……無くは無い」

 千夏は、すっかり、考え込んでしまった佑也を尻目に、カウンターの下から、黄ばんだリーフレットを取りだすと、ページをめくり、ある個所を指さした。

 そこには、「実験体〇〇一 七海澪」と記載されていた。

 佑也が、怪訝な声で言う。

「何だよこれ?」

「少女の名前。七十年前の少女の名前」

 その瞬間、二人の前に置かれた古びた写真が、不自然に揺れ動いた。風一つない店内で、まるで誰かの指先が触れたかのように。千夏は思わずその写真に手を伸ばした。写真に指が触れた瞬間、彼女の体が強張る。過去の記憶の残響を感じ取る特殊な能力が、何かを察知したのだ。

「寒い」

 千夏の声が震えた。

「それに……赤白い光が見える……まるで焚火の一瞬の煌きのような……」

 佑也が千夏の様子を心配そうに見つめていると、店内の古めかしい姿見鏡に異変が起きた。まず、鏡面が曇ったように白く濁る。次いで、おぼろげな人影が浮かび上がった。

 古風な装いの少女だった。膝丈のスカートに白いブラウス。まるで七十年前の写真から抜け出してきたかのような出で立ちだ。彼女は鏡の中から、真っすぐに二人を見つめていた。少女は首を傾げ、何かを言いたげな表情を浮かべる。

 佑也は、姿見鏡の中の少女を、少女の唇を見つめた。佑也には、辛うじて、少女の唇が動くのが見えた。佑也には、こう聞こえた。

「邪魔はさせない」

 やがて、静寂の中で、姿見鏡の中の少女の姿は次第に薄れていき、やがて完全に消え去った。鏡には再び、がらんとした店内の風景だけが映っている。

 佑也が震える声で尋ねる。

「今の、見たよな?」

「ええ」

 千夏は、事も無げに、頷いた。

 佑也は、震える声で、もう一つ、千夏に尋ねた。

「少女の声、聞こえた?」

「ううん。唇が動いたのは分かったけど」

「……そうか」

 二人は、しばらく、姿見鏡をじっと見つめ続けた。しかし、少女の姿が再び現れることはなかった。

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