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月の道  作者: 月上まもる
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第七章

 水月神社の鳥居が見えて来た時、美咲の心は流石に惑った。前回来てから、二週間は経っただろうか。間を置くと、来辛くなるなるものだと、美咲は心に愚痴た。

 そんな美咲が、水月神社の境内に足を踏み入れると、直ぐに、井波の姿が目に入って来た。井波は、竹ぼうきで、境内を掃除していた。軽やかなリズムに、美咲は思わず見惚れてしまったが、やがて、井波の方が気づいた。

 視線が合ったので、美咲は声をあげながら、軽く駆け寄った。

「光頭様~」

 すっかり手を止めた井波が、軽やかに言う。

「美咲様、久しぶりじゃのう」

「えへへ」

「本日はどうなされました?」

 美咲は、意を決した様に、告げる。

「本日は、ムシのいいお願いを持って参りました」

「ほほう、なんじゃろう、言うてみなはれ」

「はい」と美咲。「先日、見せて頂いた、巫女の衣装を着させて下さい」

「おお、巫女さんになる決心がつきましたか?」

 美咲は、予想された質問なので、なんとか、答えることが出来た。

「いえ、そちらはつきません。どちらかというと、巫女になることはないと思います」

「なんと」

と、井波が目を見張る。「巫女にはならないが、衣装は着たい、と」

「はい」

 井波がちょっと、考えて、言う。

「どうして、巫女さんの衣装を着たいのじゃ?」

「……可愛いから」

「うーむ」

 井波は、思わず、腕を組んで考え込んでしまった。

「駄目でしょうか?」

 すると、意外なことに、井波は破顔一笑して、思わぬ言葉を言った。

「なーに、冗談じゃよ」

「えっ」

「咲子様は、過日、遺品整理、と言ったのじゃろう?」

「はい」

「そう、まぎれもなく、あの巫女の衣装は、遺品、つまり、咲子様のものじゃ。つまりは、咲子様の意思が美咲様に譲ることにあるのなら、美咲様のものじゃ」

「でも、あの様子だと、日々、手入れをされていらっしゃるじゃありませんか。箪笥にしまわれるのではなく、まるで、展示でもするかののように」

「そう、あれは、展示しておったのじゃ。まるで、そこに、咲子様がいて下さる様にな」

「……」

 美咲が、ちょっと、言葉を失っていると、井波が軽やかに言った。

「どれ、善は急げじゃ」

 井波は、クルリと踵を返すと、社務所の入口に向かった。美咲は、慌てて、後を追った。


 小部屋の襖を、井波が開けると、前回と同様に、仄かな沈香の香りが漂ってき、そして、灯明の仄かな明かりに照らされた室内は幻想的だった。

「どうぞ」

 そういう井波の言葉も、心なしか、厳かなものだった。

 美咲が、部屋に入ると、背後で、スッと井波が襖を閉めるのが分かった。

 美咲は先ず、着てきたTシャツ、ワイドパンツ、靴下を脱いでしまうと、部屋の奥にそっと揃えた。ペンダントはつけたままだ。

 ついで、ちょっと迷ったが、まず白足袋を手に取り、その清浄な白さに見入りながら、丁寧に足に履いていった。足袋の布地が肌に触れる感触が、これから身にまとう装束の神聖さを予感させるようだった。

 次に白衣を手に取る。光沢のある白い布地が灯明に照らされ、柔らかく輝いている。両腕を通していくと、清涼な布地が肌を包み込む――。白衣の襟元を正し、胸元で左前に合わせる所作は自然と丁寧なものになる。

 そして、鮮やかな緋色の袴を手に取る。室内の静謐な空気に、袴の華やかな色がふわりと差し込む。袴を履き、紐を結んでいく。最後に、帯をきゅっと結び上げると、咲子の姿は、より凛とした佇まいへと変わった。美咲は、白足袋と揃えてあった鈴に眼を止めるとそっと手に取る。

 美咲は、巫女の衣装を身にまとい終わって、驚いた。

 衣装を着るって、何かの準備に他ならないのだ。巫女の衣装を着ることは、巫女になることそのものなのではないだろうか――。

 気持ちがスッと、整えられたのが、自分でも分かった。 

 でも、今日は、巫女として、何をするの?

 そう自問して、思わず、美咲は一人、苦笑した。そして、何故か、晴れやかな気持ちになり、美咲は、襖を開けた。

「着替え終わりました」

 襖を開けた正面に、井波の姿は無かった。井波の姿は、右手の方にあった。

 井波は、美咲に、軽くお辞儀をしながら、言った。

「どうぞ、こちらへ」

 美咲は、井波の先導に従い、社務所の入口に向かった。

 入口には、いつの間にか、鼻緒が朱色の草履が用意してあった。

 美咲は、その草履を履いて、社務所を出た。

 夕暮れの光が境内を優しく照らす中、美咲は井波に導かれながら、苔むした石段を一段ずつ、慎重に降りていく。石灯籠の明かりが徐々に存在感を増し始め、その光が白衣の裾を柔らかく照らしていた。

 池に続く小道では、夕暮れの空気が濃くなるにつれ、境内の木々が長い影を落とし始める。白足袋を履いた足が朱色の草履を踏みしめるたび、かすかな音が静寂に溶けていった。


 池の周りの石垣には、長い年月を経た苔が美しく広がっている。水面には夕空が映り込み、まるで現実とも幻ともつかない景色を作り出していた。巫女装束に身を包んだ今、この景色は、これまでとは違う意味を持って美咲の目に映った。

 池の前まで先導した井波は、一歩下がり、美咲を押し出すと、こう言った。

「先ず、鈴を鳴らしてから、こう仰りなさいませ。先日は、失礼いたしました。本日は、ご挨拶に参りました。これから、よろしくお願いいたします」

 美咲は、一つ息を吸うと、言われるままに、鈴を鳴らした。

 鈴の音は、高音域で、耳にうるさくなる一歩手前の音で、そして、よく響いた。

 そして、美咲は、井波に言われたままの口上を述べた。

「先日は、失礼いたしました。本日は、ご挨拶に参りました。これから、よろしくお願いいたします」

 しばらく、池の水面は、静かなままだった。

 だが、不思議と、美咲は、龍神様が姿を現すように思えた。それは、もちろん、前回、既に、不思議な経験をしているからだ。

 やがて、不思議な風が吹き、辺りのの木々が一斉にざわめいたかと思うと、池の水面が、まるで生き物のように揺らぎ始めた。最初は小さな波紋から始まり、次第にその動きは大きく激しいものとなっていく。水面下から何かが這い上がって来た。

「龍神様」

 美咲が、思わず、呟く。

 美咲の呟きと共に、水面が大きく盛り上がり、光を帯びた水柱が立ち上る。その中に、幾重にも重なる鱗のような輝きが浮かび上がった。龍神の姿だ。水と光が交じり合い、幻想的な姿を現した龍神は、静かに美咲を見下ろしている。

 美咲は、思わず、深く頭を下げていた。

 しかし、美咲が、頭を上げた瞬間には、もう、湖面は静かになってい、龍神の姿は跡形も無かった。

 美咲は、井波を振り返る。

 井波が、美咲に向かって、大きく頷くと同時に、不意に、ペンダントから声がした。

「龍ちゃんも派手だねえ」

 メイの軽やかな、そして、人を喰ったような声だった。

 美咲は、井波が、メイの軽さを窘めるかと思ったが、そうはしなかった。

 井波は、代わりに、こう言った。

「今日は、このメイの話をしましょう。メイもまた、咲子様と同じように、聖花園の子供たちにとっては恩人なのです」

 池の淵の境内側には、石造りのベンチがあって、そちらに、井波は、美咲を案内した。

 井波は、美咲が自分の横に腰かけるのを待って、言った。

「聖花園、七十年前の事件はご存じで?」

 美咲は、月輪寺の住職に聞いたことを話した。

・戦後、戦災孤児たちの救いの場として、聖花園が開設された。

・しかし、ある事件が起きて、聖花園は閉鎖された。

・再び、行き場を失った子供たちは月輪寺に引き取られたこと。

「私が知っているのはこれだけです。七十年前の事件のことは、何も聞いていません」

「そうですか」

 井波はそう言うと、思案気に、しばらく押し黙った。

 やがて、井波は、ポツリポツリと、話し出した。

「私も、当時の事件を、自分の眼で見たわけではありません。ただ、その時の、現場にいた子供たちの話を繋ぎ合わせると、こういうことになる、という話です」

「はい」

「今からお話する内容は、突拍子もない話ですが、そうかといって、複数の子供たちが、示し合わせて、同じ嘘をついたと考えるのも、また、無理がある様に思うのです。少なくとも、子供たちは、同じことを信じてる、これは、私は確信を持って言えます」

「はい」

 そうして、井波は、七十年前の事件を話し出した。

 

 七十年前のあの日、そう、あの日も暑苦しい夜だったと聞きます。

 当時、ある噂が流れていました。聖花園には裏の顔があって、子供たちを実験に使っている、と。どういう実験だかまでは、分かりません。また、事件後も子供たちは話しませんでした。

 そして、とうとう、あの日、聖花園で二つの強大な力が衝突したのです。一つは咲子様が呼び覚ました龍神様の力。もう一つは、聖花園を運営するドイツ人フラム医師、今風に言うと、魔導士とでもいうのでしょうか、いずれにしろ、龍神様の力に匹敵する力。この二つがぶつかり合いました。

 言うまでもなく、龍神様は途方もない力をお持ちです。しかし、完璧な存在ではありません。自らの力に匹敵する力に対峙した時、その力の行く末は、誰も分かりません。

 また、龍神様の力は、巫女を通して発揮される。ですが、もちろん、巫女は神などではありません。だから、誰も、龍神様の力の制御は出来ない、と言えます。

 そして、あの日、二つの大きな力がぶつかり合った時、聖花園にいた子供たちが、子供たちの魂が、巻き沿いを喰いそうになりました。その時、メイが、そのペンダントの中に、子供たちの魂を退避させたのです、自らの魂と一緒に。

 巨大な相手を打ち倒そうとする龍神様の力は、ペンダントの中のメイにも向かった。

 そうして、龍神様は、メイをペンダントに封印されたのです。しかし、メイは、自らが封印される、その瞬間、なんとか、子供たちの魂を、ペンダントの外に逃すことが出来た。ですが、自らは、そのまま、封印されてしまった。

 私が、子供たちから聞いた話を繋ぎ合わせると、こんな話になります。もちろん、私は、誰にも、咲子様以外には、誰にも、この話はしておりません。そして、事件後、私の話を聞き終わった咲子様は、私も事の次第はそうだったと思う、有難う、と言われました。

 

 井波の話を聞き終わった美咲は、しばらくの間、押し黙った。

 そして、やがて、美咲は、口を開いた。

「光頭様、一つだけ質問していいかしら?」

「どうぞ」

「どうして、龍神様の力は、メイにも向かったのかしら?」

 すると、ペンダントの中から、メイの軽やかな声がした。

「やだなあ、美咲。メイのことはメイに聞いてよ」

「ふーん、じゃあ、なんで?」

 美咲は、メイの答えを聞いて、思わず、アッと叫んでいた。

 メイは、誇らしげに、そして、楽しそうに答えた。

「それは、私が魔女だから」と、メイ。「フラムの弟子だったのよ」

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