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月の道  作者: 月上まもる
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第三章

「♪~」

 神崎美咲が、水月神社の境内に入ると、琵琶独特の深みがある音色が、うねりや揺らぎを伴って、静かに響いて来た。胸元のシルバーペンダントをギュッと握りしめる。今日は、祖母・咲子の遺言で、遺品整理にやって来たのだ。咲子は、若い頃、ここ水月神社で巫女をしていた。

「どうして、私が?」

と、問う美咲に、病床の咲子は笑って応えた。

「だって、このペンダントが欲しいんだろう?」

 美咲は、苦笑しながら、頷いた。

 咲子のシルバーペンダントは、蓋を開けると中は鏡になっている。

 手入れが行き届いていて、今も新品同様だ。

 彫刻のデザインは、若干、古くも感じるが、私も歳を取れば、気に入るに違いない。

「♪~」

 琵琶の音は社務所の裏手から聞こえてくる。立ち止まって耳を澄ますと、曲調は穏やかでありながら、どこか物悲しい調べが心に沁みた。

 美咲が、音色に引かれるままに、社務所の裏手に回ると、大きな岩に座る様にして、坊主頭の小柄な老人が、俯きながら、琵琶を弾いていた。

「おおー、光頭ね」

 美咲は、内心、呟く。

 光頭とは、丸坊主のやや敬意を込めた言い方らしい。先日、古文の授業で仕入れたばかりの知識だ。少しの間だったろうか、美咲が足を止めて、琵琶の音色に耳を澄ませていると、老人が不意に、手を止め、顔を上げた。

 そして、軽く目を見開きながら、言った。

「おや、咲子様によく似た気配がする」

 美咲はドキッとした。

 両親からは、祖母の若い頃にそっくりだ、とは、よく言われて育った。だが、初対面で、分かるものでもないだろう……。

 すると、老人は、ニコッと笑った。

「何、胸元のペンダントじゃよ。それ、咲子様のだろう?」

 ああー、そういうことか、と、美咲は、ホッと息をついた。

「そうです。初めまして、私は、神崎美咲。咲子おばあちゃんの孫です。光頭様は?」

「コウトウサマ?」

「丸坊主様」

「ああ、そちらの光頭か。難しい言葉を知っておるの」

「えへへ、先日、高校で習ったの」

「なるほど」と老人。「わしは、氏子の井波じゃ。それで、今日は、何の御用じゃ?」

「咲子おばあちゃんの遺品整理です」

 井波は、軽く目を瞑って、天を仰いだ。

「そうか、そうか、咲子様も亡くなったか」

 井波は、心底、咲子の死を悼んでいる様で、美咲は、心を打たれた。

 同時に、ちょっと怪訝な感じもした。それほど、祖母の死を痛むような間柄でありながら、祖母の死を知らなかったからだ。もっとも、祖母も、ここ最近は、水月神社からは足が遠のいているから、不思議ではないのかもしれないが。

 美咲が、井波を見つめていると、井波の指は、再び、琵琶の弦を掻き鳴らし始めた。琵琶の音色は、先程よりも、もっと哀しく、そして、不思議なことに、力強くもあった。

 不意に、美咲は、握りしめていた首のペンダントから熱を感じた。

 美咲が、ペンダントから手を放すと、ペンダントが、まるで音色に応えるように、かすかな輝きを放っているのが分かった。ペンダントは、かつて咲子が働いていた水月神社に反応したのか、或いは、老人の琵琶の音色に反応したのか。

 美咲は、その曲を井波が弾き終わるのを待ってから、尋ねた。

「何て言う曲名でしょうか? 哀しいのに、それでいて、力強くて、とても不思議」

 井波は、ちょっと考えて、言った。

「龍涙の祈り」

「リュウルイ?」

「龍神様じゃよ。龍神様の涙の祈り」

「龍神様が泣くんですか?」

「さーて」

と、井波が軽く笑う。

「どれ、咲子様の遺品整理じゃったな。ワシが案内しよう」

 井波は、そう言うと、先頭に立って歩き出した。井波の足取りは、美咲がびっくりする程、しっかりしていた。美咲は、井波の後を追った。井波は、社務所の白木の扉から中に入って行った。

 美咲は不思議だった。

「水月神社での遺品整理をお願い」

 病床での祖母の言葉だ。

 祖母が、数十年前、水月神社で巫女をしていたことは聞いていた。でも、最近は、美咲の知る限り、祖母が水月神社に足を運んだとは聞いていない。水月神社に祖母の遺品などあるのだろうか?

 怪訝な美咲の視線を、病床の祖母は、柔らかく包み込むと、言った。

「ペンダント欲しいんじゃろう?」

 祖母にはこういうとこがあった。

 つべこべ言わず、私の言うことをききなさい。

 でも、美咲は、老人とはそういうものなのではないか、という思いもある。それで、今日、こうやって、水月神社にやって来たのだが。

 目の前を歩く老人の足取りはしっかりしている。それに、遺品整理と聞いても、まるで話が通じているかのように、美咲を、こうやって、案内してくれている。・

 どうやら、祖母の遺品は、ここ、水月神社に実在するらしい。でも、一体、何だろう?

 不意に、井波が足を止めた。

「ここです」

 井波は、そういうと、無造作とも思える感じで、小部屋の襖を開けた。

 井波が足を止めたままなので、美咲は、井波の横に並ぶ様にして、部屋の中を覗き込んだ。

 美咲が部屋を覗き込んだ瞬間、ほのかな沈香の香りが漂ってきた。灯明の仄かな明かりに照らされた小部屋は、まるで静謐な時の流れの中に浮かぶ島のようだった。畳の目が整然と並び、部屋全体が凛とした緊張感に包まれている。

 床の間では、黒檀でできた衣紋掛けが佇んでいた。そこに掛けられた白衣は、まるで雪の結晶のように純粋な輝きを放っている。衣の襞は一つ一つ丁寧に整えられ、柔らかな布地が光を受けて淡く揺らめいていた。

 その傍らには、古い欅造りの文箱が置かれ、蒔絵で描かれた月と波の文様が灯明の光を受けて密やかな輝きを放っている。箱の中からは、緋色の袴の端が僅かに覗き、その鮮やかな色が室内の静寂に華やぎを添えていた。

 長押には、もう一着の白衣が掛けられ、その裾は夕暮れの空のように柔らかく垂れ下がっている。漆塗りの台座は朱と黒の対比が美しく、その上に置かれた白足袋と鈴が、まるで神前に供えられた清浄な捧げ物のように見えた。

 部屋全体が、まるで絵巻物の一場面のように調和していて、そこで身を整える巫女の姿が、祖母の姿が、自然と目に浮かぶようだった。

 しばらく、言葉を失っていた美咲が、横を向いて、傍らの井波を見ると、井波の視線とぶつかった。井波の視線は、祖母と同様に優しかった。が、厳しくもあった。

 井波は、まるで自問自答するかの様に、美咲に聞いた。

「美咲様。いかがいたします? お受け取りになりますか?」

 美咲にも、流石に分かっていた。

 遺品整理とは、巫女になるか、ということだろう。

 それも、単なる巫女ではない。きっと特別な巫女だ。どう、特別かは、今の美咲には分からない。でも、何年も何十年も、こうやって、その衣装が大切にされる特別な巫女だ。

 美咲は、素直に言った。

「私には分かりません」

 いつの間にか、井波の視線からは、厳しさが消え、優しさだけがあった。

 井波が、襖を占めながら、言う。

「もちろんです。今日、決めることではありません。今日は、もう一か所、ご案内する場所があります」

 井波は再び、先頭に立って歩き出した。


 井波は社務所を出ると、境内の右手にある庭園に行った。庭園の中央には池があって、その淵で、井波は立ち止まった。夕闇が迫る中、水面は不思議なほど澄んでいた。

 井波は、優しく語り掛ける様に、美咲に言った。

「池の前で手を合わせることは、代々の巫女の大切な務めでした。今宵も月が美しい。美咲様もよろしければ、お参りされてはいかがですか」

 井波の提案に、美咲は静かに頷いた。

 美咲は、両手を合わせると、池に向かって深く一礼した。

 辺りの静謐さが、自然と美咲にそうさせた。

 その瞬間、美咲の首元のペンダントが再び微かに輝きを放った。しかし、それに気づいたのは、井波だけだった。

 そして、美咲が、頭を上げた瞬間、首のペンダントが突如、強く光り出した。そして、まるで磁石に引き寄せられるように、美咲も、ペンダントも、池の方向へ引っ張られ始める。池の中心から、強い波が、美咲の立つ淵に向かって、押し寄せる。

「え、何?」

 驚いて足を踏ん張る美咲だったが、引く力はどんどん強くなっていく。ペンダントのチェーンが首に食い込むほどの力で、池の水面へと引き寄せられていく。

「きゃっ! やめて! 水は絶対ダメ!」

 突然、ペンダントから少女の悲鳴が響き渡った。美咲は自分の耳を疑う。確かにペンダントの中から、誰かの声が。

 立て続けに起きた不思議な出来事に、美咲は、すっかり動揺して、井波に叫ぶ様に、聞く。

「光頭様、どうしたら?」

 混乱する美咲の背後から、井波の落ち着いた声が聞こえた。

「ペンダントを両手で包み、池に差し出すように掲げてください」

 美咲は、震える手で、必死にペンダントを抱え込むと、持ち上げる様にして、掲げた。だが、池に引き寄せられる力は、納まる気配がない。

 井波が、淡々と言う。

「美咲様。私の言う通り、池に語りかける様に、仰ってください」

「はい」

 井波は、コホンと咳払いすると、口上を述べた。

「龍神様、お許しください。この者も反省しております。今は、危害を加えるものではありません」

 美咲も、訳の分からぬまま、繰り返す。

「龍神様、お許しください。この者も反省しております。今は、危害を加えるものではありません」

 すると、池の水面が静寂を取り戻すと同時に、美咲も、ペンダントも、池に引き寄せられることは無くなった。だが、ペンダントの輝きは、光を失うことはなかった。 

 そして、再び、ペンダントの中から、少女の声がした。

「ありがとう、助かったわ。龍ちゃんも悪い奴じゃないんだけどねえ」

「龍ちゃん?」

と、美咲が怪訝な声を出す。

 井波が、コホンと咳払いする。

「これ」

と、ペンダントに向かって、窘める。

 ペンダントの声が続ける。

「美咲、こんにちは。私の名前は、メイ。あなたのお祖母様とは友達。だから、今日から私達も友達になりましょうね。あなたのことは、咲子からよく聞いてたわ。美咲は私より、出来がいいかもしれないって。だから、私のことを助けてくれるかもしれない、って」

「助ける?」

 メイが、ため息交じりに、応える。

「私ね、このペンダントの中に封印されてるのよ。龍ちゃん、龍神様にね。あっ、でもね、私は悪者じゃないのよ。……そう、ちょっとした手違いで封印されただけだから」

 美咲は、メイの言葉の真意を問いた気に、井波に視線を向ける。

 井波が応える。

「まあ、ざっくり説明すれば、そういうことじゃ」

 ……ざっくり、し過ぎ。

 美咲は、先程の、井波の口上を思い出した。この者、とはメイのことだろう。美咲ではないはずだ。そして、龍神様、お許しください、と。龍神様に封印されたというメイだが、メイも、メイの言う通り、悪者じゃないのかもしれない。

 美咲の戸惑いを他所に、井波が辺りを見回す。

「美咲様。辺りもすっかり更けてまいりました。今日はもう、お帰りになった方が」

「はい。そうさせて頂きます」

 美咲はそう応えながら、内心、呟く。

 咲子おばあちゃんの遺品って、このペンダントの中の少女のことだったんじゃないかしら。巫女になる、ならない、よりかは、そっちの方が分かりやすいわね。そもそも、ペンダントを欲しがったのは私だもの。そして、ペンダントの中の少女・メイと話をする、には、この場所か、或いは、巫女としての力が必要なんだわ。

 しかし、この時、美咲は未だ、知る由も無かった。そして、恐らく、咲子も分かっていなかった筈だ。だが、咲子は、予感めいたものは、持っていたのかもしれない。

 凶事が、七十年前、咲子が伝説の巫女となって語り継がれることとなった凶事が、再び、引き起こされようとしていることを。

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