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月の道  作者: 月上まもる
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第二章

 最上家には、家訓が一つある。

「笑容常在」

 ご大層なことに立派な書もあって、居間に額縁で飾られている。何でも、ご先祖様が著名な書家に書いて貰ったらしい。意味的には、なんのことはない「いつも笑顔で」だ。家訓というよりかは、モットーみたいなものだ。だが、結構、役に立つ。

 特に人前で、涙を見せたくない時は――。

 佑也は、上信越学園の高校三年生だ。サッカー部に所属していて、ポジションはFW。点取り屋として知られている。

 中学時代は、サッカーがただただ楽しかった。しかし、高校に進学してからは、背番号「9」という数字が次第に重荷になってきた。

 得点力が落ちたわけではない。佑也には、ゴールを決める特別な嗅覚があった。

 試合中のほとんどの時間を最前線で過ごす彼だが、味方が攻め込んでゴール前が混戦になると、誰もがシュートを打てるような状況になる。サッカーの試合では、必ずそういう時間帯が訪れる。そんな時こそ、ストライカーの嗅覚が冴える時だ。そういう時は、敢えて、少し遅れてゴール前に向かい、フリーの状態でスペースに走り込む。すると、不思議と足元にボールが転がってきて、ズドン。調子がいい時は、ボールを蹴った瞬間にゴールが決まることが分かる。

 そして、その時もそうだった。 

  

 六月中旬 インターハイ 県大会準決勝 

上信越学園 vs 長野慈愛商業高校 後半三十七分

 蒸し暑い空気が張り詰める中、佑也は最後の力を振り絞っていた。〇対〇の同点。ここで決めなければ、俺たちは、多分、いや、十中八九、負ける。

 同点で、お互い、オープンな展開になる時間帯だが、相手の長野慈愛商業は攻めに出てこない。GKに絶対の自信を持っていて、延長、PK戦に持ち込む算段なんだろう。

 相手のGKは確かに鉄壁で、佑也たち、上信越学園サッカー部は、ネットを揺さぶれずにいた。だが、相手が引き気味な分、相手を押し込む形でシュートは打てていた。

 こういう時こそ、嗅覚発動だ。

 ゴール前には慌てず、急がず、飛び込まず、ちょっと、遅れて入るように、佑也は心がけていた。そうして、その時は、来た。

 サイドからクロスが上がる。

 ニアには、MFの中嶋が潰れてくれる。何せ、押せ押せだ。

 佑也は、ニアで潰れる中嶋の姿を、脳裏に描きながら、ゆっくりと、ペナ内に侵入した。案の定、ニアで中嶋が潰れ、佑也の前に、ボールが転がって来た。

 その時、佑也にどっと重圧がかかってきた。

 ピッチに立つ、イレブンはもちろん、サッカー部の全員が、佑也のこの瞬間の為に、厳しい練習をして来たのだ。

「笑容常在」

 佑也は、家訓を、呟くと、ボールを強く、そして、優しく、インステップで叩きつける様に、蹴る筈だった――。

 フリーになったと思ったのは、佑也の錯覚だった。

 相手FWが、守備に戻って来て、佑也の後方から、スライディングを仕掛けてきていた。ボールを目指した相手FWのスライディングは、佑也の左足を巻き込むような形になった。

 次の瞬間、佑也は、ピッチに転がり込んでいた。スライディングを受けて、佑也の足首には激痛が走った。

 審判の笛が鳴らされ、チームメイトが駆け寄ってくる。

 危険なスライディングをした相手FWには、キャプテンのDFの太田が、猛然と食って掛かる。

 佑也は、担架に乗せられ、チームメイトの心配げな顔を見上げる形になった。佑也は、内心、痛くて痛くて堪らなかったが、笑顔を作って、チームメイトに言った。

「俺は大丈夫だ。後は頼む!」

 キャプテンの太田が、力強く言った。

「ああ、後は任された。決勝で待ってるぜ」

 佑也も太田も分かっていた。仮に、上信越学園が決勝に勝ちあがっても、そのピッチに佑也が立つことはないだろう。太田とは、小学以来の付き合いだ。そして、太田には、佑也が虚勢が張っていることがバレている。 

 太田は、傍にいる後輩部員から、タオルを引ったくると、佑也の顔にかけてやった。

「ほら、汗ぐらい吹きやがれ」


 結局、昨日の試合は、負けてしまった。

 後半終了間際、佑也が得たPKを、中嶋が決めることが出来ず、延長を戦い、そして長野慈愛商業の思惑通り、PK戦にもつれこんだ。上信越学園は、二本しか決めれず、相手は一本外しただけ。上信越学園の敗戦が決まった。

 そんなことを、佑也は、昨日の夜、電話で太田から聞いた。

 佑也は、その時、電話で言った。

「中嶋のPKはお前が蹴れよ」

「馬鹿。決めれる気がしなかったんだよ」

「だよなあ。俺でも分からん」

「いつもお前が決めてくれるじゃん。あれ、本当に感謝してるんだよ」

「まあな」と佑也。「相手のGK凄かったわ。俺もシュートは何本か打ったが、決まる気がしなかった。でもなあ、怪我をした時、あの時は決まる気がしたんだよなあ」

「それをスライディングした奴も分かってたんだろ。それが俺は許せなくて、審判に抗議したんだ」

「何だ、俺の怪我を心配したんじゃないのか」

「ははっ、それももちろんある」

「ちぇっ。何だか、適当だなあ。……なあ、太田」

「何だよ?」

「俺たちさ、戦う前から負けてたんじゃねーか」

 電話の向こうの太田はしばらく黙り込んだ。

「ああ、それは思った。明日、もう一度、もちろん、佑也もいてだが、もう一度戦っても、俺たちは、一点も取れずに負けるだろうな」

「だよなあ」

「冬までには、何か対策考えよう」

「冬の選手権かあ。一度ぐらい、全国行きてえなあ」

「ああ」と太田。「それより、佑也、怪我の具合はどんな感じだったんだよ」

「明日、分かる。今日は、レントゲンはもちろん、MRI検査も受けた」

「へえー。まあ、いずれにしろ、今回は負けちまったんだ。気長に治せや」


 それで、今日、佑也は、診断結果を聞きに来た。

 診療室の眼鏡をかけた医者は、佑也の顔をじっと見つめると、言った。

「先ずは、MRI画像を見せるよ」

 佑也は、医者の慎重な物言いに、嫌な予感をしながら、モニターを覗き込んだ。医者が、モニターを見せながら、佑也に説明してくれる。

「何か、分からないことはあるかな?」

 佑也は、意を決した様に、言った。

「それで、先生、俺の怪我は何なんでしょうか?」

 医者は、コホンと咳払いすると、言った。

「前距腓靭帯損傷ですね」

「ぜんきょひじんたいそんしょう?」

「捻挫です」

「えっ」

 そんだけ?

 佑也は拍子抜けした。もっと重たいものだと思っていたが。

「何だか、拍子抜けたした顔をしていますね」

「いや、そんなことは」

「日常生活を送れるまでに一か月はかかる。サッカーが出来るまでには、少なくとも三か月」

「そんなに……」

 もしかしたら、冬の大会も間に合わないんじゃあ……。

「捻挫をバカにしたらいけないですよ。きちんとリハビリしないと癖になるし」

「……」

「だからまあ、前距腓靭帯損傷」

「……」

「リハビリ病院のアテはありますか?」

 佑也には、無意識に、首を振った。

「セラフィスはご存じですか?」

 セラフィス? 聞いたことあるぞ。そうだ、フラム先生が確か、授業で言っていた。

「聞いたことあります」

 すると、医師の声が、明らかに、明るくなり、評判の新しいリハビリ施設の話を、熱心に説明し始めた。その施設では、従来の常識を超えた回復例が報告されているという。

 もちろん、佑也には、否応がない。

 医者は、最後に付け加えた。

「紹介状、書くので、受付で受け取って下さい」

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