第二十二章
特殊検査室の壁面には赤白い光を放つディスプレイが並び、その光が空間に不自然な影を落としていた。中央に置かれた二台のリクライニングチェアには、武と理子が横たわっている。
武と理子は、神経共鳴療法を受けているのだ。
頭部に取り付けられた武と理子の電極からは微かな光が漏れ、その度に二人は苦痛に顔を歪めた。リンネの声が優しく響く。
「大丈夫よ、もう少しの辛抱ね」
しかしリンネの声には、感情の欠片も宿っていないように聞こえた。彼女の手から放たれる赤白い光が、電極と同期するように明滅を繰り返す。
武が思わず、声を挙げる。
「痛い……」
傍らで見守っていた七海澪が、さっと前に進み出る。
「ねぇ、武くん。これは治療なのよ。あなたの願いを叶えるための、大切な時間。もう少しだけ、頑張って」
澪の口調は温かく、まるで母親のように優しい。しかし、その瞳には冷たい光が宿っていた。モニターに表示されるバイタルサインが安定になると、リンネは躊躇うことなく出力を上げる。
理子は、声も挙げずに、頑張っている。
理子は、リンネと澪の、沈黙の圧力に、声すら挙げられずにいるのだ。
「理子ちゃんも、よく頑張っているわね」
澪の言葉に、理子は涙を堪えながら小さく頷いた。
赤白い光の中で、子供たちの苦悶の表情が影のように揺らめいている。
特殊検査室の薄暗い照明、そして、ディスプレイからの赤白い光が、澪を浮かび上がらせる。白のレースワンピースに身を包んだ澪は、まるで時が止まったかのように完璧な佇まいで立っていた。セミロングの黒髪は一筋の乱れもない。
そこに、紺のプリーツスカートを揺らしながら守屋詩織が駆け込んできた。ブルーのセーラーカラーのブラウスは少し歪み、ボブカットの髪も乱れている。
詩織の表情には困惑と怒り、そして悲しみが混ざり合い、七十年前に、フラムの実験を受けた子供たちの気持ちを代弁しているようだった。
「なぜ、こんな実験を続けるの? 痛がっているでしょう!」
詩織の声が特殊検査室に響き渡った。武と理子は、リクライニングチェアの上で身を縮める。
「これは必要な過程よ」
澪の声は静かだが強い意志を秘めていた。「フラム先生の実験は、彼らを救うための唯一の希望なの」
「希望? この子たちの苦しみを見て、そんな言葉が出てくるの?」
詩織は武と理子の方を振り向いた。
二人は怯えたように目を伏せ、わずかに体を震わせている。
「あなたは失敗作だから分からないのね」
澪の言葉は冷たく響く。「完璧な実験体となった私には分かるの。この痛みを超えた先にある、真の救済が」
詩織の声が震える。
「失敗作? 確かに私は、あなたのように完璧じゃない。でも、だからこそ分かるの。この子たちの気持ちが!」
リクライニングチェアで息を潜める武と理子。二人の視線が澪と詩織の間を行き来する。その緊張が部屋中に満ちていく。
突如、リンネの声が響いた。
「もう、止めなさい」
リンネは、武と理子に向かって、淡々とした口調で続ける。
「武くん、理子ちゃん、今日の治療はここまでです。明日、いつもの時間にお願いしますね」
二人の子供は、まるで逃げ出すように慌ただしく検査室を後にした。その足音が廊下に消えていくのを、澪と詩織は、睨み合ったまま、無言で向き合う。
武と理子の気配が完全に消えたのを確認して、リンネが、大きな溜息をつく。
リンネは、詩織の姿を、ゆっくりと眺め回してから、口を開いた。
「貴女が守屋詩織さんね」
詩織は答えずに、リンネをじっと見据えた。
リンネが続ける。
「貴女とは未だ話し合ったことはなかったわ。でも、フラム先生から貴女のことは聞いています」
澪が冷たく言い放つ。
「失敗作よ」
詩織は、澪の言葉には取り合わず、声を震わして、言う。
「七十年前、先ほどのような実験はなかった。子供たちは痛がっているわ」
そして詩織は、リンネに続ける。
「貴女は誰?」
「見れば分かるでしょう?」
リンネは淡々と答える。「フラム先生の助手です。そう、七十年前のノアさんとメイさんのように」
「貴女も不思議な力を使うの?」
リンネは微笑んだ。
「不思議な力? 魔力のことね。ええ、私は魔女ですから」
詩織は一瞬、興味を示したが、すぐに首を振った。
「そんなことはどうでもいい。大事なのは、子供たちが苦しんでいるのを、貴女が見て見ぬふりをしていること」
リンネは言葉に詰まり、一瞬の沈黙が流れた。
澪が嘲るように言う。
「だから失敗作の貴女には分からないのよ」
「失敗作?」
「私は元気になり、貴女は病弱のままだった。何より、フラム先生が、私は成功、貴女は失敗と――」
詩織はリンネに向き直り、静かに語り出す。
「先日、月輪寺で、不思議な女性に会いました」
「不思議な女性?」
「ええ。とても色っぽくて、素敵な人。それでいて、とても懐かしい人」
リンネは心の中で呟いた。九尾の狐ね。でも、なぜ月輪寺に?
詩織は続ける。
「その女性が言いました、『成功だか失敗は、自分で決めればいいのさ』って」
澪の瞳が、一瞬、動揺する。
リンネは慎重に言葉を選ぶ。
「そんな簡単な話でもないでしょう?」
「ええ、分かっています。でも」
と、詩織は澪に向き直った。「私と澪の力、どっちが上かなんて分からないじゃない?」
澪が向きになる。
「そんなことは言うまでもない。フラム先生が、私が成功、貴女は失敗と――」
「ええ、でもそれはフラム先生の言葉だけ」
澪の声が強まる。
「貴女はフラム先生の言葉を疑うの? あの時、戦争が終わり、食べるものも無い上に、この地方に伝わる奇病で苦しんでいた私達を救ってくれたフラム先生を」
リンネの目が、わずかに細められる。この辺のことは、フラムからは聞いてない。
「そうね」
詩織は静かに言った。「そして、特別に、十二歳以下の子供たちしか受けれない実験を、私達にも、受けさせてくれた」
「そうよ、そうじゃない」
詩織がちょっと、考えて、言う。
「澪、覚えてる? どうして、フラム先生が私達にも実験を受けさせてくれたのか?」
「それは……」
詩織は言葉を継いだ。
「フラム先生は言ったわ。どうしてだろう、君たちの魂は純粋なんだ。年齢の割には。いや、十歳十二歳の子供と比べても純粋だ」
詩織の言葉を聞きながら、澪は心の中で呟いた。確かにフラム先生はそんなことを言っていた。
詩織が、澪に問いかける、
「どうして私達の魂は純粋だったのかしら?」
「それは……。そんなこと分かるわけないじゃない!」
詩織が続ける。
「私ね、この七十年、考えてたの、そのことを」
「……」
「私達二人は、一緒に、闘病生活をしていた。そして、いつも、一緒に、嬉しい時には笑い、腹が立った時には怒り、哀しい時には泣き、楽しい時にはやっぱり笑う……。療養所にいた私達は、周囲の大人たちの善意に囲まれ、病気は苦しかったけど、でも、二人で、笑い合ってる時の方が多かった。私は病気でも楽しかった、澪と居ると」
澪の表情が、一瞬、過去を懐かしんだが、すぐに首を振った。
「詩織、もう、フラム先生の実験は成功に向かってスケジューリングされてるのよ」
リンネが微笑む。
「そうですよ、詩織さん。貴女も参加できるように、私からフラム先生に言うこともできます」
澪の表情が、この日、初めて、輝いた。
「詩織、そうよ、そうしましょうよ!」
詩織は、ちょっと、考えて言う。
「リンネさん、一つ質問があります」
「なんですか?」
「武君と理子ちゃんの先程の実験を中止してもらえますか?」
リンネは首を横に振った。
「それは出来ません。武君と理子ちゃんは、フラム先生の実験に欠かせない存在ですから。そして何より、武君と理子ちゃんの体を治すには、神経共鳴療法が必要なのです」
詩織は何かを言いかけたが、クルリと踵を返して実験室から出ていった。
リンネと澪は、その背中をじっと見つめ続けた。




