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引きこもり公爵令嬢は新任の家庭教師(隣国の王子)と外に出る  作者: ひとえ


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6/10

06 二人ならどこへでも


「もう一度おっしゃっていただけますか?」


「ですから、今日の授業は外で行います」


 イーリスは悔しげに奥歯を噛みしめてニコラスを見上げる。イーリスが長い間引きこもっているのを知っているくせに。この男は悪魔なのか。


 だけど良い機会ではある。そもそも部屋のカーテンを開けるだけなんて、引きこもり脱出の第一歩にしてはあまりに難度を落としすぎた。


「わかりました」


 自分ならやれる。そう言い聞かせ、イーリスは言葉を紡ぐ。


「庭の隅であれば人目に付きにくいです。メイドたちに授業のことを伝えていただけますか?」


「何をおっしゃいますか。外とは、屋敷の外ではなく敷地の外のことですよ、イーリス様」


 イーリスの口があんぐりと開く。そんなことなどおかまいなしに、ニコラスは続けた。


「街に向かいます。普段のドレスでは目立ちすぎるので、申し訳ございませんがこちらをお召しになってください」


 固まったままのイーリスに手渡されたのは、ニコラスと同じフード付きの灰色のローブ。


「準備が整いましたら出発しましょう」


 イーリスは目線を手中のローブに固定したままぴくりとも動かない。頭の中がパニックだった。


 いやいや、さすがに街にまで行くのはやりすぎだ。負けを認めたようになるのは(しゃく)だが、今日ばかりは庭で勘弁してもらおう。それでも大進歩なのだから。


 決して怯えているのを悟られないよう、頬を引きつらせながらも笑顔を作りイーリスは顔を上げた。


「ニコラス様、今日は……」


 イーリスの前には、すでにニコラスの姿はなかった。




♢♢♢



 交易都市レムズブルーク。二本の大河と海に囲まれたプラネーカ王国の主要都市だ。イリステラ家は代々この街の管理を任されている。


 ここに来るのは何年ぶりだろうか。ざわざわとした街の喧騒、たまに響く行商の甲高い声。

 まさかこのような形で訪れることになるとはと、イーリスは深くため息をつく。


「あ、あまり速く歩かないでください、ニコラス様……」


 頭をフードですっぽりと覆ったイーリスが、ニコラスのローブを掴む。イーリスの視界には、彼の大きな背中と石畳の地面しか映っていない。


「これは失礼しました」


 ニコラスは振り向くと、少しかがんでイーリスの顔を覗き込んだ。少し暖かい吐息がイーリスの鼻をかすめる。


「イーリス様、私のことはニコラスとお呼びください」


「ですがニコラス様は本当は……」


 伸ばした人差し指を、ニコラスはイーリスの唇に添えるように近づける。


「二人だけの秘密がバレてしまいます。どうか、いつものように接してください」


 血管の浮き出た大きな手がイーリスから離れていく。「わかったわ」とイーリスは顔を隠すように両手でフードを抱きしめた。なぜか目を合わせられなかった。


 ニコラスがイーリスの家庭教師となって十日は経つ。父のアドマンドを除けば、こんなにも長くイーリスの近くで過ごした人間はいなかっただろう。


 イーリスは人が怖い。なにも自身の加護だけが理由なのではない。単純に、人がどういうものかわからないのだ。


 部屋にこもりきりのくせに真っ赤なドレスを身に(まと)うのも、目力を強調するような濃い化粧をしているのも、全ては相手を自分から遠ざけるため。


 恐怖の対象として見られることが辛いのに、近づくなと相手に恐怖を振りまく。


 だけどイーリスは今、いつもの鎧なしに外にいる。


「もう少し歩きますので」


 前を行くニコラスのローブを、イーリスの二本の指が挟む。ニコラスは慈愛に満ちた笑みを漏らしただけで、振り返ったり声をかけたりすることはなかった。


 イーリスはニコラスにぴったりとくっつくようにして歩く。バラバラだった二人の足音が、次第に重なっていく。


 外の世界はもっと怖いと思っていた。けれどそんなに怖くない。


 ニコラスと一緒なら、どこへでも行けそうだった。

 


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