32 報い
イーリスとニコラスの婚約宣言に、宮廷大広間が大きくどよめく。
だが、誰一人として祝福の声をあげる者はいなかった。
「これは一体どういうおつもりですかな、レガード殿下」
頬を引きつらせたアレクが、戸惑う貴族たちの間を抜けて近づいてくる。ニコラスはイーリスを庇うようにして身を乗り出した。
凍り付くようなニコラスの瞳が、アレクだけを映している。
レガードが片眉を持ち上げ、鼻で笑った。
「おや? 陛下は婚約というものをご存じでないと?」
「……ふざけるのも大概にしろよ」
アレクはレガードを睨みつけ拳を震わせる。
レガードは動じることなく周囲の貴族を見やると、胸に手を当てすっと頭を下げた。
「私としたことが失礼いたしました。幼少の頃に亡くなられたはずのニコラス殿下が、なぜこの場にいるのか。まずはその経緯をお話せねばなりませんね」
勝ち誇ったような笑みでアレクを覗きながら、レガードは顔を上げる。
「まず事実として、ここにいらっしゃるニコラス殿下は本物のニコラス殿下です。実のご子息に間違いありませんね、アレク陛下?」
「その通りだ。この男はニコラスに間違いない!」
アレクが声を荒げてニコラスを指差す。広間がまた、動揺の声で大きく揺れた。
いかにも他人行儀なアレクの言葉に、イーリスは深く眉根を寄せる。
ここでアレクがニコラスを本当の息子だと認めたのは、プラネーカ王国がニコラスを拉致したという嘘の辻褄を合わせるためだ。
アレクは、プラネーカ王国を陥れるための最後の一歩を踏み込んだ。
「皆様どうかお聞きいただきたい。我が息子ニコラスは、プラネーカ王国に拉致されていたのであります!」
大仰に腕を広げ、アレクはこの場の全員に訴えかけた。
『拉致されていた』という決して穏やかではない言葉に、先ほどまで浮かれていた広間の空気がピンと張り詰める。
「私はニコラスを、愛する息子を助けるために、今日この日までを生きてきたのです!」
「陛下こそふざけるのもいい加減にしてください!」
イーリスはニコラスの隣に一歩踏み出し、アレクを見据える。気づけば足が、勝手に動き出していた。
「あなたたちはニコラスを捨てたんでしょ。加護がないという、たったそれだけの理由で」
イーリスは湧き上がる感情の全てをぶつける。ニコラスは自らの檻に閉じこもったままのイーリスを救い出してくれた。ニコラスがいるから、今のイーリスがある。
大切なニコラスを、今もなお苦しめようとするアレクが憎かった。
だがアレクはイーリスを一瞥しただけで、気にすることなく自分勝手な主張を続ける。
「皆様、どうかニコラスを取り戻す手助けをしていただけないでしょうか――」
「勝手なこと言わないで!」
イーリスの叫びがアレクの言葉尻をかき消した。アレクはイーリスに向き直り、不快そうに目を細める。
「ニコラスはもう、心さえもプラネーカ王国の人間です」
「なんだと?」
ぎゅっと心臓を握られたような感覚だった。
視線がしっかりと交わった瞬間、イーリスは自身が他国の王に発した言葉の重みを理解したのだ。
口の中に溜まった唾を静かに飲み込む。だけど後悔はない。
ここで黙り込んでしまう選択肢は、イーリスに存在しない。
「アレク陛下がおっしゃるようにニコラスが本当に拉致されていたのなら、どうして彼は今、祖国に助けを求めないのでしょうか?」
イーリスの声が、広間の隅にまで広がっていく。
「理由は簡単です。拉致されたなどという事実はでっち上げにすぎないから。彼の身につけるコートも、ニコラスの意思で袖を通したものです」
ニコラスの胸元で、勇ましい赤い竜が生地の上を飛んでいる。
イーリスが訴えかけるような目でニコラスを見上げた。それに応えるようにニコラスは静かにうなずき、アレクを真っすぐに見据える。
「イーリス様のおっしゃる通りです。私は拉致などされていません。自らの意思でこの場に立ち、彼女との婚約を宣言します」
「国を見限るのかニコラス……!」
アレクは顔を引きつらせ、すがるような眼差しを向けた。
だがニコラスは、全てを断ち切るように告げる。
「先に父上が見限ったのですよ、この私を」
アレクは拳を握りしめ、キリキリと奥歯を噛んだ。
これは報いだ。国の威光を示したいが故、加護を持たなかったニコラスを追放したことの。
加護がなくとも、恐ろしい加護を宿していても、人は誰かから必要とされる。人の役に立てる。
それにアレクは気づけなかったのだろう。
パンパンと、レガードが仕切るように手を叩いた。
「皆様、お騒がせして申し訳ない。今宵の晩餐会は、ここからニコラス殿下とイーリス嬢の婚約パーティーとさせていただきます」
わけがわからないといった様子で、貴族たちは顔を見合わせる。レガードが大口を開いて笑うと、その空気に呑まれたように、渋々拍手が生まれていった。
視線を集めるレガードが、優雅にアレクのもとへと近づいていく。震える肩に手を置くと、耳元へそっと顔を寄せた。
「共にパーティーを楽しみ、明日の会議に臨みましょう。レムズブルークの大橋を爆破された証拠も、しっかりとご用意しておりますので」
その言葉に、アレクの顔から完全に生気が抜け落ちた。




