31 婚約発表
陽は沈み、宮廷大広間の中央で輝くシャンデリアが、二階席から吊るされた各国の国旗を照らしている。
国王ラークの挨拶を合図に、運命の晩餐会が始まった。
晩餐会は、主催国の王子であるレガードたっての希望ということで、立食形式を取っている。
色鮮やかな料理が並んだテーブルが点々と設置され、グラスを手にした貴族たちがそれを囲む。どこまでも伸びていくような弦楽器の音色が響く中、来賓客は会話に花を咲かせていた。
「ここまでは順調だな」
「そのようですね、レガード殿下」
レガードが不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりと大広間を見回した。その視線を辿ると、黒を基調としたコートばかりが目に入る。サハンカ王国の貴族たちだ。
レガードに呼ばれたイーリスは、広間の端で二人、婚約発表の最終確認をしていた。
レガードの言っていた通り、サハンカ王国からの来賓は多い。けれど、立食形式の会にしたことで、プラネーカ王国の兵を給仕として忍ばせることに成功した。
レガードの大胆な作戦にはイーリスも呆れるほどだが、これでサハンカ王国側の動向を注視できる。相手が強攻策を取ろうとしても、未然に防ぐことができるだろう。イーリスとニコラスを含むプラネーカ王国の魔法使いたちで、防御術式も展開してある。
「このまま手はず通りいこうか、イーリス嬢」
レガードがニヤリと口角を上げる。イーリスは肩の強張りをほぐすように息を吐き出し、コクリとうなずいた。
宮廷大広間に入ってから、心臓が痛いくらいに拍動している。得も言われぬ焦燥感が、イーリスの全身を支配していた。
「……俺のことが信じられんのか?」
レガードの鋭い眉の端が下がる。どうやら表情を読まれたようだ。
「そのようなことは……」
「安心しろ、成功以外ありえん。俺がついているのだからな」
いつものようにレガードは快活に笑う。釣られるようにしてイーリスも笑みをこぼした。自信満々のその姿に、少しではあるがイーリスの気持ちは落ち着いた。
「それではレガード殿下、私はあちらで待機しております」
イーリスがこの場から離れようとした時、レガードの顔に緊張が走った。
彼の瞳が、近づいてくる大柄の男を捉える。
「これはこれは、アレク陛下。こちらから挨拶に伺うところでしたのに」
「気遣いは無用だレガード殿下。このように自由に歩き回れる晩餐会など、我が国では機会が無くてな。よい運動になっているよ」
従者を引き連れたアレクは含みを持たせた笑みを浮かべる。「それは喜ばしい限りです」と、レガードは無理に頬を吊り上げた。
アレク・バーナンド。サハンカ王国国王にして、ニコラスを追放したであろう男。
白を基調に、金糸を縫って華やかさを演出したロングコートを身に纏っている。胸には国の国章である、漆黒の獅子が刺繍されていた。
「それにしてもレガード殿下。今日はとても良い場を用意していただけたようだ。各国の要人がこれほど集まるとは」
手のひらを上に向け、アレクは宮廷大広間をぐるりと指す。
「何かを披露するにはうってつけですな」
アレクはレガードを見据えながら、付け足すようにして言った。
「我が国と貴国の仲の良さを、皆様にも知っていただけたらと思いまして」
レガードは穏やかにほほ笑みながらも、大仰に腕を組む。たくましい二本の腕が、より大きく強調された。
「まぁ、楽しませてもらうことにしよう。この晩餐会も、その後もな」
垂れ下がった頬を持ち上げ、アレクは意味深に笑う。おや、と今更気づいたかのように、アレクはイーリスに目をやった。
「これは失礼した。お話の最中でしたかな?」
「いいえ、アレク陛下。お気になさらないでください」
イーリスは深く頭を下げる。アレクは「失礼するよ」とレガードに声をかけると、従者と共に去っていった。
「たいそう余裕そうだったな」
レガードの落ち着いた声音が耳に入り、イーリスは安堵したように頭を上げた。
「こちらの策には気づいてなさそうでしたね」
「そうでなければ困る。だが――」
レガードは自身の顎を静かにさすると、悪そうな笑みを浮かべる。
「これは好機だ。早速あの老いぼれに吠え面をかかせてやるとしよう」
「レガード殿下……?」
「一緒に来い、イーリス嬢」
そう言って、レガードは宮廷大広間の中心へと突き進んで行く。イーリスは不安げに眉をひそめながらも、足早にその後を追った。
立ち止まるや否や、レガードは広間の隅の奏者たちに目をやる。レガードの合図を受け取ると、あらかじめ示し合わせていた通りに、奏でる音楽がぷつりと途切れた。
場の変化を感じ取り、来賓客たちは会話を中断してきょろきょろと辺りを見回し始める。
作り出した静寂を切り裂くように、レガードの声が響き渡った。
「ご歓談中の皆々様! 楽しんでいただけているでしょうか」
宮廷大広間の全員の視線が、一斉にレガードに集まる。
「お堅い外交交渉を明日に控えておりますが、今宵は気にすることなく旅路の疲れを癒し、そして互いの親睦を深めることができればと考えております」
給仕がレガードに近寄り、そっとぶどう酒の入ったグラスを差し出した。それを手に取り、高く掲げる。
「我々のますますの発展を祈念して乾杯―― といきたいところですが、今日は皆様に、嬉しいご報告がございます」
レガードの発言に合わせ、その隣に佇んでいたイーリスが一歩前に出る。レガードを捉えていた数多の瞳が、一瞬でイーリスへと対象を変える。
背筋を伸ばし、重ねた両手を臍の少し下に置く。力強く天を向く睫毛、凛とした目に燃えるような赤のドレス。
他者を自身から遠ざけようと作り上げたイーリスのその姿は、ざわつきかけた広間の人間全てを黙らせた。
落ち着けと胸の中で漏らすほどに、心臓は高鳴りだす。膝が震えそうになるのを、イーリスは懸命にこらえた。
舞台は整った。後は、主役が登場するだけだ。
イーリスの正面。宮廷大広間の扉が開かれる。籠った熱を帯びる会場に、爽やかな空気が入り込んだ。
コツン、コツン。
静まり返った広間に、ブーツが床を叩く音が広がる。
いつもの使い込んだローブではなく、赤の国章を胸に刻んだコートをまとうニコラスが、また一歩とイーリスのもとへ近づいてくる。
力強く開かれていたイーリスの眼差しが、思わず和らいでしまう。さっきまでの緊張が、噓のように消えていた。
ニコラスがイーリスの前で立ち止まる。
「お待たせしました。イーリス様」
ニコラスが穏やかにほほ笑み、イーリスに手を差し出す。白の手袋に包まれた手。イーリスは静かに自身の手を重ねた。
ニコラスが振り返る。隣り合うイーリスとニコラスを、来賓客は固唾を呑んで見つめていた。
レガードはどこか嬉しそうに二人を見やり、そして大きく息を吸う。
「今ここに、イーリス・イリステラと、サハンカ王国第一王子、ニコラス・バーナンドの婚約を宣言いたします!!」




