30 決戦の日
ついにその日は来た。
イーリスは自室のカーテンを開き、外を見る。まだ日が昇っていない空は暗く、世界は夜の延長線上にある。
昨日はあまり眠れなかった。でも眠気はこれっぽっちもない。
イーリスはそっと窓を開ける。入り込む風は、ひんやりとした冷気をまとっていた。瞳を閉じ、顎を少し上げてイーリスは新鮮な空気を吸い込んだ。
今日でプラネーカ王国の命運が決まる。失敗すれば、ニコラスとも……
悪い想像が浮かびそうになり、イーリスはぶんぶんと首を横に振った。大丈夫だ。ダンスもあんなに練習したんだ。
そう言い聞かせ、イーリスは自身の頬を軽く両手で叩いた。
♢♢♢
「よく来てくれたな。歓迎するぞ」
椅子に座ったまま、レガードが好戦的に口角を持ち上げて笑う。
今宵開かれる晩餐会での段取りや事前の情報共有のため、イーリス、ニコラス、アドマンドは王宮の応接室を訪れていた。大きな赤い竜が描かれた壁の向こうから、従者たちが慌ただしく準備をしている音が聞こえる。
「宴が始まるまでにはまだ時間があるが、ちと気になることがあってな」
「殿下、なにか不備でも?」
アドマンドが気弱そうに眉尻を下げる。レガードは長卓に手を置き、指先で小刻みに叩いた。
「諸外国並びに、サハンカ王国も喜んで今日の舞台に立ってくれるのだが…… サハンカ王国からの来賓があまりに多いのだ」
「警戒しているんでしょうね。護衛も恐らくかなりの数に……」
ニコラスが難しい顔で顎に指を添える。
「まぁ両国の関係を考えると無理もない。かといって断るわけにもいかんからな…… それに奴らはニコラスを連れて帰るつもりなのだから、人員を少しでも多く確保しておきたいのであろう」
レガードはぼりぼりと頭をかき、椅子の背もたれに身を預ける。イーリスが軽く手を挙げた。
「レガード殿下。では、今日の計画に何か変更がございますか?」
「いや、そこは変わらん。ただ、背後から襲われぬよう注意してくれということだ」
「わかりました」
不安そうにイーリスは目を伏せる。それを見て、レガードは自信たっぷりに笑った。
「心配するなイーリス嬢! 俺が立案した計画だぞ、失敗するはずなどない。それにだ、万に一つ上手くいかなかったとしても、俺の女にしてやることを約束しよう」
「レガード殿下!」
ニコラスが両目を細めてレガードを睨む。レガードは挑発的な視線で応えた。
「どうしたニコラス、まだイーリス嬢と婚約したわけではなかろうに」
「そうですが、お戯れが過ぎます。イーリス様を振り回さないでいただきたい……」
イーリスには、二人の視線がぶつかって火花が散っているように見えた。
ニコラスの肩を持ちたいが、レガードのお陰でこの窮地を乗り切れるかもしれないわけで…… イーリスはあわあわと二人を交互に見るしかなかった。
「お二人とも!」
バン、とアドマンドがテーブルに両手を突いた。ふくよかな体が、早い呼吸に合わせ上下に揺れている。
イーリスは今までの経験から一目でわかった。アドマンドは怒っている。
「そもそも私は、イーリスの、婚約なんて……」
言葉を詰まらせると、アドマンドの目から大量の涙が溢れ出す。
「この親バカが。娘の門出を祝ってやれんのか」
「ですが…… ですが……」
ふるふると、アドマンドは辛そうに首を横に振った。
イーリスは情けないアドマンドの姿にため息をこぼしつつも、その大きな愛情に心が温かくなる。
レガードがゴホンと咳払いをする。
「話は以上だ。ニコラスよ、俺の部屋に来い」
「殿下、まだ何か?」
未だ細められたニコラスの瞳に対し、「その位の気概で今宵も臨んでほしいな」とレガードは煽るよう言う。
立ち上がり、レガードはニコラスの頭のてっぺんからつま先までをなぞるように眺めた。
「ローブのまま晩餐会に出るわけにもいかんだろ。俺の服を貸してやる」
「レガード殿下……」
「お前にも、赤の竜が似合うだろうよ」
大きく口を開けて笑いながら、レガードが部屋を出ていく。ニコラスはイーリスとアドマンドに一礼すると、レガードの後を追った。
レガードとニコラスが通り過ぎ、二人の影に隠れていた壁画の全体像が見えてくる。
天を翔ける赤い竜。
プラネーカ王国の国章だ。




