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引きこもり公爵令嬢は新任の家庭教師(隣国の王子)と外に出る  作者: ひとえ


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29/33

29 心だけは一つになれたと思った


「ゆっくりでよいのです。さぁ、どうぞ」


 見上げたニコラスの顔は自信に溢れていて、イーリスを安心させてくれる。彼に導かれるように、イーリスは右足をそっと前に出した。


「そう、その調子です」


 続けて左足、右足。前に三歩、後に三歩。


 二人は緩やかな曲線を描くように部屋の中を回る。

 ニコラスのローブの擦れる音。吐き出す息。

 練習したステップは、絨毯のせいで少し籠もった響きをまとう。


 ニコラスがイーリスの腰に手を回す。けれどその手は、絹のドレスに触れる直前で止まった。

 ニコラスからイーリスに触れてしまえば、加護が発動してしまうからだ。


 ニコラスの熱が微かに背中から伝わる。


 本当は直接温もりを感じたい。でも、仕方がないと思うしかなかった。


「下を向いてはいけません。胸を張って」


 言われるがまま目線を上げると、視界はニコラスの顔でいっぱいになる。


 包み込むような瞳を向けられ、イーリスの胸はドクンと跳ねた。手袋越しにニコラスの手の平に添えた右手から、じわじわと汗が滲む。


「いいですよ。あと少しです、集中して」


 ニコラスと呼吸を合わせ、互いに位置を入れ替えるようにターンする。スカートの裾が軽く持ち上がり、可憐な花弁のように広がった。


「素晴らしかったです。イーリス様」


 ニコラスがゆっくりと足を止める。それに合わせ、イーリスも立ち止まった。


「どんなもんでしょ、って言いたいところだけど。まだまだね」


 ニコラスのリードは踊りやすかった。だが、緊張もあったせいか足がもたついてしまった。動きにくいローブでも平然としているニコラスとは、あまりに技量の差がある。


「でも安心して、絶対本番に間に合わせるから」


 イーリスが力こぶを作ってニカリと笑う。「イーリス様ならできますよ」と、ニコラスは呆れと愛おしさを混ぜたような笑顔で応えた。


「では、私はこれで。また一緒に練習する時間を設けましょう」


 ニコラスは軽くお辞儀をすると、部屋の外へと向かっていく。


「待って、ニコラス!」


 ほとんど反射的に、呼び止める声がイーリスの喉を飛び越えた。ニコラスが少し驚いたように振り返る。


「あの…… その……」


 イーリスの目が、左に右に泳いでいる。


 何を言おうかなんて考えてはいなかった。きっと今だけは、一人になりたくなかったんだと思う。


 でもそんなこと言えるわけもなくて、イーリスは無理に笑顔を作ってしまう。


「ごめんなさい、なんでもないわ」


 後ろ手に指を組み、覗き込むようにしてニコラスの顔を見上げる。


 だけど、ニコラスはどこか心配そうに眉尻を下げた。イーリスの胸の内が、透けて見えているかのようだった。


「イーリス様、少し後ろを向いていただけますか?」


「いいけど……」


 イーリスは言う通りに背を向けた。そして――


「っ……!?」


 背中と両腕に、柔らかな布の生地が触れた。とっさに掴んだそれは、ニコラスのローブだった。


「じっとしておいてください」


 吐息交じりの少し照れた声が、イーリスの耳元をくすぐる。

 ニコラスの体温を、髪を挟んで右の頬から感じた。


 ニコラスは直接その手で触れることなく、イーリスの体を抱きしめた。


 心臓の音が、耳まで響く。


 触れているのはローブだけだ。でもニコラスは、確かにそばにいる。


「イーリス様、あなたは一人ではありません。ニコラスがおります」


「うん…… うん……」


 肩に寄せられたニコラスの腕を、イーリスが優しく、包むように握りしめる。

 

 イーリスの加護が、二人の体が交わることを許さない。


 だけど今この瞬間、心だけは一つになれたとイーリスは思った。




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