26 妙案
「私は国には戻りませんよ」
目の前の長卓の一点を見つめ、ニコラスはそう言った。背筋が凍り付いてしまいそうな、そんな声色だった。
プラネーカ王国がニコラスを拉致していたなんて大嘘、そんなものがまかり通るなんて馬鹿げている。
だが、ニコラスはあまりに有名になりすぎた。彼が街の復興に尽力した功績はとても大きい。レムズブルークでニコラスの名を知らぬ民はいないだろう。
その話は国を超え、サハンカ王国に亡きはずの王子の名が届いたに違いない。奇しくもニコラスの当初の目的が達成されたことになるのだが。
大切なのは今現在の事実だ。ニコラスが生きていて、なぜかプラネーカ王国にいる。であれば、拉致されたという嘘を信じるものも多いだろう。
「先ほども申したが、ニコラス殿下の身は私の預かるところだ。異論はないな?」
ラークの落ち着いた眼差しに、ニコラスは静かにうなずく。レガードが苛立ちを押し殺すように息を吐き出し、口を開いた。
「なに、サハンカ王国の策略に正面から乗ってやるつもりはない。ニコラスを返してしまえば、拉致したことを認めるようなものだからな。きっとサハンカ王国は、約束を無視して大々的に公表するだろう。そうなれば、プラネーカ王国は各国から強烈な非難を浴びることになる」
話している途中でまた怒りがこみ上げたのか、レガードはブーツで床を小刻みに踏んだ。
「賠償金を払うという選択肢は……?」
アドマンドがきょろきょろと目を泳がせる。レガードが「事を先延ばしにするだけで何の解決にもならん」と一蹴した。
「ではどうすれば……」
イーリスは背中を丸め、考える。肩に乗っていた髪がさらりと滑り落ちた。
ニコラスには悪いが、サハンカ王国には恨みしかない。ニコラスを無下に扱い、プラネーカ王国に害を成すのだから当たり前だ。
だが八方塞がりなこの状況をどう打開するのか。思考を巡らすが、答えは見えてこない。
「まだ時間はある。国力はこちらが上だ。レムズブルークの橋を落としてすぐに攻めてこないのは、相手がこちらを恐れている証拠」
皆の焦りを抑えるように、ラークが穏やかな口調で言った。「早々に兵を集め、睨みを利かせておいたおかげですな」と、レガードがラークを称える。
「やはり、私が身を隠すほかないでしょう」
そう呟いたニコラスに、視線が集まる。
「どこか別の国へ姿を消すこととします。私がいないとなれば、祖国の妄言でプラネーカ王国が非難を受けることにはならないでしょう」
「待ってニコラス!」
イーリスはたまらず立ち上がった。
「あなたは何も悪くない。なんで自分を犠牲にするの?」
一番辛いのはニコラスのはずだ。なのにどうしてもっと怒りを表に出さない。なんで隠れることが最善だと思えるのだろう。
頭に血が上ったイーリスを、驚いたように目を丸くしてニコラスが見上げる。
そしてニコラスは、眼差しをほんのりと和らげた。
「イーリス様と、イーリス様が大切に思うこの国を守るためですよ。争いにならないのが一番ですから」
「そんなの…… 私は、あなたも大切なのよ!」
つい勢いで口をついた言葉が、応接室に広がる。急速に顔が熱を持ち出したのを感じ、イーリスは両手を頬に押しつけた。
ニコラスの目が、見られない。
「イーリス様。あなたという人は」
ふっ、とニコラスが噴き出した。ずっと思いつめた顔をしていたニコラスに笑みが戻る。
二人のやり取りを、レガードはニヤリと口角を上げて眺めていた。
「若いというのはよいな、アドマンドよ」
「ええ…… 殿下の仰る通りです」
レガードが大口を開けて笑いだした。対してアドマンドは、どこか複雑な面持ちだ。
「……そうだ、父上。また妙案を思いつきましたぞ」
一笑い終えたレガードが、目を瞬かせてラークの顔を覗く。「申してみよ」とのラークの返事に、レガードは少し悪そうな笑みを浮かべて言った。
「イーリス嬢に、ニコラス。お前ら婚約しろ」




