12 杖の行方
アドマンドに杖の詳細、つまり、なぜ隣国サハンカ王国の国章が刻まれた杖を持っているかと問われたのだが、イーリスは頑なに口を閉ざした。
真実を話してしまえば、ニコラスを裏切ることになるからだ。それだけは避けたかった。
アドマンドにさらに詰められると、イーリスは目を赤くして、勝手に部屋に入らないでほしいなどと、論点のずれた言い訳をかました。
街での一件もあり、イーリスの心はもうボロボロだった。理性の蓋が外れ、溢れ出す感情をそのまま吐き出した。
アドマンドは「着替えて一時間後に私の書斎に来なさい」とだけ言い残し、杖を回収してイーリスの部屋を去っていった。
重厚な木製の扉の前に立ち、イーリスは静かに目を閉じる。大丈夫、気持ちはかなり落ち着いた。
コン、コン、コン。イーリスが扉を叩くと、「入りなさい」と太い声が返ってくる。
その声色は、アドマンドがメイドたちに向けるものと同じだった。イーリスはドアノブを強く握りしめると、口の中に溜まった唾を飲み込む。
「失礼します。っ……!?」
扉を開くと、イーリスの背筋は凍りついた。くしゃっと広がった猫っ毛と、灰色のローブを着た後ろ姿が目に飛び込んできたからだ。
「ニコラス……」
「イーリス、こちらに来なさい」
正面の椅子に座るアドマンドがイーリスを呼ぶ。机の上に山積みにされた書類からは、仕事の時間を縫ってイーリスを呼び出したことがうかがえた。
赤の絨毯を同じ赤のハイヒールで踏みつけ、イーリスはニコラスの隣に並んだ。ちらりとニコラスを覗いてみるが、彼は真っ直ぐにアドマンドを見つめたままだった。
アドマンドが杖の入った木箱を引き出しから取り出す。
「これはニコラス君がイーリスに渡したもので間違いないかね」
「仰る通りです」
呆気なく認めたニコラスを、イーリスがまじまじと見上げる。娘の驚いた顔に、アドマンドは深くため息をついた。
「杖は何のために使うんだ? それを考えれば、誰が渡したなど大方見当がつく」
イーリスはアドマンドに視線を戻すと、うなだれるように足下を見つめた。
「ここからが本題だ。なぜ、サハンカ王国の国章が入った杖を持っている? これは王族にのみ渡される代物であろう」
言いながら、アドマンドは木箱から杖を取り出した。くるりと杖を捻ると、漆黒の獅子が持ち手に現れる。
「単刀直入に申し上げます。私はサハンカ王国第一王子、ニコラス・バーナンドなのです」
「馬鹿なことを言うな。ニコラス殿下は何年も前に亡くなられたと聞く。他国ではあるが、名前が同じとはいえ殿下の名を騙るなど」
イーリスの目がぎょろりとニコラスに吸い寄せられる。死んだことになっているとは聞いてはいない。追放されたという話ではなかったのか。
アドマンドが背もたれにずっしりと身を預ける。その豊満な体にのしかかられた椅子がギィと悲鳴を上げた。
アドマンドが信じられないのも無理はない。だがきっと、ニコラスの言うことに嘘はないのだろう。イーリスはニコラスのことを本物の王子のように感じているのだから。
そのニコラスが、自身をサハンカ王国の第一王子だと告白している。絶対に隠しておきたかったことだろう。イーリスはニコラスの覚悟を台無しにはしたくなかった。
「お父様!」
深紅のドレスに包まれた胸に手を押し当て、イーリスは声を振り絞った。
「ニコラスの言うことは信じるに値するかと。彼は国章入りのハンカチも持っています。それに……」
イーリスは出かかった言葉を飲み込むようにぎゅっと奥歯を嚙みしめる。けれど、無理やりに口をこじ開けて話を続けた。
「わたしもニコラスから、彼が王子であることを聞きました。ですがその時、お父様から頂いた加護は発動しませんでした」
アドマンドがくりくりとした両目を点にする。イーリスの加護は言葉の刃すらも跳ね返す。人を欺く嘘は、イーリスには通用しない。
「本当なのか……?」
「はい、お父様」
イーリスの迷いのない返事に、アドマンドは愕然として椅子に深く沈み込んだ。少しの沈黙の後、はっとしたように目を見開いて立ち上がる。
「あぁぁ、もう訳が分からん」
アドマンドは自身の整った髪をめちゃくちゃにかき混ぜた。そして机の上に手を置き、小刻みに表面を叩く。振動に耐え切れず、書類の山が崩れた。
「……ニコラス君、後でもう一度私の部屋に来なさい。頭を冷やしてから話の続きだ」
「承知しました」
「お父様、わたしも同席して――」
「イーリス、お前には先に大事な話がある」
アドマンドはきつくイーリスを睨んだかと思うと、ふるふると目元に涙をたくわえる。
「イーリス! なぜ護衛もつけずに一人で外に出た! 私がどれだけ心配していたかわかるか!?」
「お父様……」
イーリスの瞳に、鼻水を垂らし、顔を真っ赤にしたアドマンドが映っている。こんなにも取り乱すアドマンドを見るのはいつぶりだろうか。
「お前はイリステラ家の娘だ。加護があろうが、それだけで悪意のある人間から狙われる可能性はある。ニコラスが近くにいるならと外出を許していたが、お前は……」
アドマンドが真っすぐにイーリスに歩み寄ってくる。そのままがばっと両腕を広げると、イーリスの視界はアドマンドでいっぱいになった。
「いけません、お父様!」
咄嗟に身を引いたイーリスを、手繰り寄せるようにアドマンドは抱きしめる。直後に、その頭部へゴンと鉄球が落ちた。イーリスの加護がアドマンドを襲ったのだ。
「忘れたのか、イーリス。私の持つ加護を」
見上げると、どこか誇らしげにアドマンドが笑っている。鉄球は弾かれるようにして頭の上を転げ落ちると、絨毯を巻き込んで床に穴を開けた。
「私が宿すのは鉄壁の加護だ。愛する娘を抱きしめられずして何が父親か」
そう言うとアドマンドは、もう一度イーリスを抱きしめる。どこからともなく足を狙う矢が、押し返されてストンと絨毯に乗る。
「お前が無事で本当に良かった。もう私は誰も失いたくないんだ」
イーリスを包むアドマンドの体が、とても弱々しく震えている。嗚咽混じりの息を頬に感じ、イーリスは自身が犯したことの重大さを理解した。
「ごめんなさいお父様……」
イーリスは守られて生きているのだ。
抱きしめられるイーリスを、ニコラスはほっとしたように、けれどどこか羨ましそうに見つめていた。




